孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

EUノーベル平和賞  “バルカン半島の和平” を後押し

2012-12-08 23:01:46 | 欧州情勢

(ドイツと国境を接するフランス・ストラスブールにある独仏融和の像。命を落としつつある2人が、独仏それぞれの軍服をまとわぬ姿で手を握り合あい、母親のひざに体を預ける。“ここアルザス地方は、石炭や鉄鉱石をめぐって独仏が奪い合った地域。19世紀以降だけで4度も「国籍」が変わった。EUの源流、欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)が発足したのは、その反省からだ”【11月7日 朝日】
写真は“flickr”より By emperley3 http://www.flickr.com/photos/emperley3/101387430/

戦争の大陸から平和の大陸に
欧州連合(EU、27カ国)は10日、ノーベル平和賞を受賞します。
ノーベル賞委員会は授賞理由について、「EUは欧州を戦争の大陸から平和の大陸に変革させる重要な役割を果たした」と説明。EUとその前身が60年以上にわたり、欧州の平和と和解、民主主義や人権の進展に貢献したことを評価しました。

****平和賞 EUへの授賞理由****
ノルウェーのノーベル賞委員会が発表した欧州連合(EU)への授賞理由は次の通り。

ノルウェー・ノーベル賞委員会は2012年のノーベル平和賞をEUに与えると決めた。EUとその前身の時代も含め、60年以上にわたって欧州における平和と和解、民主主義と人権の向上に貢献してきた。

ノルウェー・ノーベル委員会は二つの世界大戦のはざまに、独仏間の和解を模索する人々に平和賞を与えた。1945年以来、その和解は現実になった。第2次世界大戦のすさまじい犠牲は、新しい欧州の必要性を証明した。70年以上の間、ドイツとフランスは三つの戦争を戦った。今日、両国間の戦争は考えられない。このことは、的確な努力を通じて、そして、相互信頼を築きあげることによって、歴史的な宿敵も親密なパートナーになりうることを示している。

1980年代には、ギリシャ、スペイン、ポルトガルがEUに加盟した。民主化していることが加盟の条件だった。ベルリンの壁の崩壊が、中央ヨーロッパ、東ヨーロッパの国々のEU加盟を可能にした。これにより、欧州の歴史に新しい時代が開かれた。東西分裂にはほぼ終止符が打たれ、民主主義は強固なものとなり、多くの民族紛争も終結した。

来年に決まったクロアチアの加盟、モンテネグロの加盟交渉の開始、セルビアの加盟候補国入り。こうした動きはすべて、バルカン半島の和平を後押ししている。また、この10年、トルコのEU入りの可能性が取りざたされたことで、トルコの民主化が進み、人権が尊重されるようになった。

EUはいま、経済面で重大な困難を抱え、大きな社会不安に直面している。ノルウェーのノーベル賞委員会は、EUの最も大切な成果と我々がみなすものに注目したい。すなわち、平和と和平、民主化と人権の尊重への成功した取り組みだ。EUのおかげでもたらされた安定によって、欧州の大半を戦争の大陸から平和の大陸に変えることに貢献した。

EUの働きは、「国家間の友愛」を象徴し、「平和のための会議」を形作ったに等しい。それはまさしく、1895年にアルフレッド・ノーベルが残した遺言にある平和賞の基準そのものだ。 【10月13日 朝日】
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欧州の歴史は、他の地域同様に、あるいは他の地域以上に、戦争の歴史でした。
そうした国々が、特に常に争いの中心にいたドイツ・フランスが互いに手を取り合う形で統合体を目指し、平和と安定をもたらしていることは、歴史的に見れば確かに特筆すべきことでしょう。

【「EUに入るためなら“犯罪者”とも話す」】
EUの活動は全世界・多方面にわたりますので、その実績や問題点を簡単に網羅することはできません。
たまたま、“バルカン半島の和平を後押ししている”ことに関する記事が2本ありましたので、その面を取り上げます。

1本目は、セルビアとコゾボの和解に向けたEUの取組です。
****セルビア・コソボ:和解への歩み 直接対話、光と影****
欧州連合(EU、27カ国)は10日、「欧州に平和と和解をもたらした」功績でノーベル平和賞を受賞する。授賞理由の一つ「バルカン半島の和解」では戦火を交えたセルビアとコソボの首相同士の直接対話を10月から成功させた。EUの「平和構築力」を検証した。

●首相対話実現
「2時間、談笑しながらの夕食だった」。セルビアのダチッチ首相、コソボのサチ首相が先月、ブリュッセルで行った直接対話に同席したEU交渉筋は話す。EUのアシュトン外務・安全保障政策上級代表(外相)主導による対話は、今月4日に3回目が行われた。

内戦でセルビアと戦ったサチ首相をセルビアのダチッチ首相は犯罪者呼ばわりする。しかし、ブリュッセルでは握手も交わし、共同の国境管理や高速道路建設計画で合意した。

対話の動機はEU加盟だ。セルビアは3月に加盟候補国に認められた。セルビア交渉筋は「EUに入るためなら“犯罪者”とも話す」と意気込む。コソボも加盟の前提となるEUとの安定連合協定の来年締結を目指す。

●高まる民族主義
コソボの首都プリシュティナ。町中が赤地に双頭のワシを描いた隣国アルバニア国旗であふれた。コソボ国旗はほとんどない。オスマントルコからアルバニアが独立を宣言し、先月28日で100年になったお祝いだ。当時の独立闘争は現在のコソボで始まったが、イタリアやドイツによる占領などで民族は国境線で分断された。

コソボは独立で犠牲を払ったが、多数を占めるアルバニア人には「国を捨てアルバニアと統合するのが自然」と中年男性は話す。コソボ政府・欧州統合省のカサポリ副大臣も「将来の国のあり方に100%の保証はない」と統合に含みを残す。

欧米は独立を求める市民に応えコソボを支えた。しかしその前提が崩れる可能性が出てきた。「国境線変更は認めない」とするEUとコソボ市民が対立する悲劇もありうる。

●苦悩するEU
一方、少数派セルビア人が集住するコソボ北部ミトロビツァではセルビア国旗がはためく。この地域はセルビアに所属するとの主張だ。「セルビアのダチッチ首相はEU入りのために我々を裏切った」とセルビア国会議員でもあるジャクシッチ医師は話す。
同医師が勤める病院や学校などはセルビア政府が維持する。直接対話でセルビアからの支援が切れ、コソボ政府にも見捨てられる不安がよぎる。「セルビア人は直接対話の被害者だ」とコソボ議会でのセルビア人代表・ミキッチ議員は孤立感を深める。

「EUは去れ」。市内に抗議の落書きが見られる。EUはコソボの税関、警察を支援するが、ワード捜査官は「捜査の車もセルビア人地域に入れてもらえない」と嘆く。「EUはアルバニア人を偏重し、中立的でないと受け止められている」とEU加盟国高官は自己批判する。治安維持は北大西洋条約機構(NATO)頼りだ。

米国の助けも大きい。クリントン米国務長官は10月末、アシュトンEU外相とセルビア、コソボを訪れ対話を促した。コソボを知る元米外交官は「旧ユーゴ紛争でEUは介入能力がなく米国に頼った。ようやくEUは力をつけた」と話す。

夫の元大統領がボスニア紛争解決やコソボ空爆を主導した歴史から、クリントン長官はバルカン半島に「特別な関心」(米外交筋)がある。長官の退任に備え5日、ウェスターウェレ独外相の呼びかけで、ブリュッセルで同長官、アシュトンEU外相らがコソボ支援継続を確認した。EU外交筋は「私たちが生んだコソボを育てる責任がある」と話す。【12月7日 毎日】
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旧ユーゴの内戦のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争、コソボ紛争では、アメリカが主導し欧州諸国が参加するNATOによる空爆が戦況の行方を決定づけたことは周知のところですが、戦闘に勝つことより難しい“紛争当事者の和解”に向けた地道な試みが平和賞受賞にあたって評価されています。

もっとも、セルビア・コソボの和解に向けてEU側が積極的に仲介していると言うよりは、争いをEU内に持ち込まれたくないEUが、加盟条件として当事者に和解を迫っているというのが実態でしょう。セルビアにしろ、コソボにしろEU加盟を再建に向けた道としていますので、和解をEU加盟の条件とされている以上、なんらかの形をみせなければいけない事情があります。

それによって民族感情のレベルでの“和解”が本当に実現するか・・・と言えば、なかなか難しいものがあります。
特に、コソボ北部ミトロビツァなどに取り残された形で暮らす少数派セルビア人の問題は深刻です。
ただ、そうであったとしても、「EUに入るためなら“犯罪者”とも話す」というのが本音であったとしても、両国間で一定の交渉がもたれ、何らかの関係が構築されることは、互いに憎しみ合っているだけの状態よりは大きな前進と言えるでしょう。

【「EU加盟はセルビアから攻められない防衛策だ」】
もうひとつの“バルカン半島の和平”へのEUの関与に関する記事は、クロアチアに関するものです。

****ノーベル平和賞のEU、真価問われる****
■激戦の傷と不信、今も クロアチア
クロアチアの首都ザグレブから東に240キロ、ドナウ河畔に広がる古都ブコバル。青いEU旗を掲げるガラス張りの市庁舎のそばで、弾痕だらけの廃屋が無残な姿をさらしていた。

クロアチアが旧ユーゴスラビアから独立を宣言した1991年、セルビア人保護を掲げた旧ユーゴ連邦軍との戦闘が起きた。約1600人が殺され、ブコバルはセルビア人率いる連邦軍の手に落ちた。クロアチアに再統合されるまで7年、さらに多くの血が流れた。
ジェリコ・サボ市長(58)は「街は焼け野原になり、住民も離散した。戦争はもうたくさんだ。EUの支援で戦前の豊かな街を取り戻したい」と話す。

人口430万の小国クロアチアは、戦争を否定し、経済成長をはかるEU入りを悲願としてきた。
旧ユーゴに平和を定着させたいEUは、歴史の清算を迫った。05年からの加盟交渉では、国連の旧ユーゴ国際戦犯法廷(オランダ・ハーグ)への協力やセルビア人難民の帰還を求め、クロアチアも応じた。今年1月の国民投票では66%がEU加盟に賛成票を投じた。

だが、ブコバルの市民はEUの力に懐疑的だ。
EUの前身、欧州共同体(EC)が何度も示した紛争の和平案は実を結ばず、仲介は国連が主導した。ECの停戦監視団がいたのに、病院からクロアチア人患者ら約260人が連れ出され、虐殺された。日用品店を営む男性(58)は「EUがノーベル平和賞? 冗談だろ」とはきすてた。

EU加盟の条件だった国民の和解も道半ばだ。ブコバルの学校ではクロアチア人とセルビア人の子どもが違うクラスで学ぶ。推定3割未満のセルビア人に独自教育を受ける権利を認めているためだ。
市民が憩うカフェや食堂も経営者がどちらの人かで色分けされている。クロアチア軍元幹部のズドラブコ・コムシチュさん(56)は「和解は絶対に無理。EU加盟はセルビアから攻められない防衛策だ」と声を荒らげた。

旧ユーゴ国際法廷の上訴審は11月、セルビア人の大量殺害の罪に問われたクロアチアの元将軍ら2人を逆転無罪とした。「クロアチアの正しさが証明された」と国は沸き、隣国セルビアは「古い傷を開いた」と猛反発。ブコバルのセルビア人の多くは沈黙した。民族感情が刺激されたのは間違いない。

クロアチアの1人当たり国内総生産(GDP)はEU平均の4割。待ち受ける競争に耐えうるか、ギリシャなどへの支援を強いられないか。不安も募る。
NGO「欧州の家」で住民の和解を進めてきたリリャーナ・ゲーレケさん(74)は「経済は上っ面の問題にすぎない。EU加盟は、この地から戦争をなくし、和解をもたらす希望だ」EUは問われ続ける。【11月7日 朝日】
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上記記事にある旧ユーゴ国際法廷上訴審の件は、12月3日ブログ「旧ユーゴスラビア国際法廷  セルビア人勢力と敵対した旧ユーゴ紛争の大物戦犯が次々と無罪」(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20121203)で取り上げたばかりです。

1995年、クロアチア軍は国内で自治権を主張するセルビア人支配地域の首都に侵攻。
“死者は約150人(但し、これはクロアチア側の公称である。セルビア側発表では最低でも婦女子を主体とする2,600人が虐殺されたとされる)。主にボスニアのセルビア人支配地域を経由してセルビアに流出したセルビア人難民は15-20万人と見積もられている。この作戦を指揮したクロアチア軍将軍アンテ・ゴトヴィナはクロアチアの英雄として祭り上げられたが、一方で大量虐殺と大量の難民を生み出した事により旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷から訴追された”【ウィキペディア】

“ECの停戦監視団がいたのに、病院からクロアチア人患者ら約260人が連れ出され、虐殺された”という件についてはよく知りませんが、停戦監視活動やPKO活動の難しさは、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で起きた「スレブレニツァの虐殺」(07年11月19日ブログhttp://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20071119参照)でも問題になるところです。

クロアチア人側にも、セルビア人側にも、大きな犠牲を強いられたとの憎しみが強く残っています。
そうした状況ではセルビア人難民の帰還も進みません。
しかし、これもセルビア・コソボ関係同様、EU加盟の条件とすることで、表面的にすぎないにしても何らかの取り組みは行われてはきました。先ずは形から・・・といったところでしょうか。

バルカン半島・旧ユーゴスラビア諸国におけるEUの取組が、民族間の憎しみと不信を和らげて和解をもたらすまでのものとなっていないのは言うまでもないことですが、互いに矛を収めて一定に関係構築を図る場を提供していることは事実でしょう。

平和賞は未来への宿題
バルカン半島に限らず、EUの活動全般について、“平和賞は未来への宿題だ”との指摘がなされています。

****開かれた欧州」への宿題*****
欧州を殺伐とした空気が覆っている。スペインではローンが払えず家の立ち退きを迫られての自殺が相次ぐ。ギリシャの病院では医薬品不足が深刻だ。緊縮策が生活をむしばみ、平和を実感するどころではない。

街頭デモで怒りの矛先はEUに向く。緊縮への不満だけではない。自分たちが選んでもいないEU官僚たちに、痛みを伴う政策を決められるのが我慢ならないのだ。不満は支援する側にも募る。自分たちの金が勝手に救済に使われるのはごめんだ、と。

確かにEUは人権や環境で高い目標を掲げ、世界を先導してきた。人権状況への懸念から中国には武器を輸出せず、ミャンマーのアウンサンスーチー氏を辛抱強く支援し続けた。
だがバルカン半島での宗派対立と非人道行為は止められなかった。その反省から共通の外交・安保政策が強化されたが、イラクやリビアで結束した対応がとれたとはいえない。経済大国化した中国の人権状況に切り込む声も湿り気味だ。

外から見たEUは、手にした繁栄にしがみつく「とりで」に映る。加盟国への膨大な農業補助金は、途上国からの輸出の足かせになってきた。EU加盟への動きがなかなか進まないウクライナの政治記者はいらだつ。「人権問題を口実にするが、大勢のウクライナ人が流入して職を奪われたくないのが本音だろう」

成長の果実を分け合い、民主主義を守り、開かれた欧州を取り戻せるか。平和賞は未来への宿題だ。【同上】
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