孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

ミャンマー  古都バゴーで、オカマ霊媒師「ナッカドー」に会う

2014-01-02 23:19:40 | ミャンマー

(1月2日 バゴー「ヒンタゴン」にて)

ミャンマー・ヤンゴン4日目。
今日は、ヤンゴンから70kmほど郊外に位置する、古都バゴーに行ってきました。

先ずタクシーでバススセンターまで行くのですが、これが非常に遠く30分以上かかり、料金が8000チャット(約800円)。アジアの他の国も同様にバスセンターは郊外にあることが多く、そこへ行くローカルバスを使いこなせない外国人には不便です。

バスセンターからは、約1時間半ほどで、料金は1000チャット(約100円)
バスは非常に格安です。(一昨日は、ブログにも書いたように、その安いバス料金を踏み倒してしまいましたが)

バスの車掌役の者が、気を利かして、あるいは業者とつるんでいるのか、バイクタクシーの詰め所みたいなところで降ろしてくれます。

バイクタクシーは、車のかわりにバイクの後部に客を乗せて走る乗り物で、市内の移動や、あちこに散在する観光ポイントをまわるのに便利な乗り物です。

私のようなひとり旅ではよくお世話になります。
ただ、長時間はやはり疲れます。
落ちないように後ろ手にバイクの後部を握り締めていると手も痛くなり、カメラを構える手が震えてうまく写真が撮れなかったりもします。
道が悪いと、特に大変です。

今回は、バゴーに点在するスポットをバイクタクシーで3時間半ほどかけて回りました。
料金は約1000円。安さが魅力です。

観光の内容は、別途、旅行記サイトにアップしますが、訪れた寺院や仏塔のなかのひとつで、ミャンマーのオカマ霊媒師「ナッカドー」を見ることができました。

「ヒンタゴン」というお寺で、当然仏様が祀られていますが、同時にナッ神も祀られています。

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ミャンマーは上座部仏教の国で、ビルマの竪琴や列をなして村を巡る托鉢のイメージが強いですが、11世紀、仏教が浸透する以前からナッという精霊が信仰されてきました。現在も仏教徒でも、ナッ神も信じるという人も多いようです。

ナッ神というのは、自然に宿るものから仏教の守護神まで様々あるそうですが、中でも人気なのが、「37柱のナッ神」で、そのほとんどがミャンマーの歴史上非業の死をとげた英雄達を神として祀っているとのこと。

最近は願掛けや商売繁盛のために祈る人が多いそうです。とても現世利益な神様ですね。北野天満宮が受験の神様になってるようなもんでしょうか。【風の旅行社HP】http://www.kaze-travel.co.jp/tabibito242.html
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ナッ神が仏様と一緒に祀られているのは、ミャンマーでごく普通のことですが、「ヒンタゴン」もそうですが、ミャンマーの人々は仏様よりナッ神の方に愛着があるようにも見えます。

「ヒンタゴン」では、ご本尊の前はひっそりしていましたが、ナッ神の周りには人々が大勢群がり、盛大なお供えをしていました。
ナッ神の袖の下に現金をお供えする風習があるようで、非常に現世利益的なところが庶民に親しまれる理由でもあるのでしょう。

そうした一画で、賑やかな音楽に合わせて、“女性”が舞っていましたが、よく見ると(よく見なくても一目瞭然の人もいますが)男性が女装しているようで、その周囲で地元の人々がお供えを用意しています。
これがナッ神をとりつぐオカマ霊媒師「ナッカドー」のようです。

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お祭りでは、ナッ神の機嫌を取るため、人々は踊ります。そこで登場するのが「オカマさん」。ナッカドーと呼ばれるナッ神と信者を介する霊媒師のような存在で、女装に化粧し、トランス状態になるまで踊り、ナッ神の言葉を信者に伝えるそうです。
信者は踊りながら商売、健康、家庭問題などを相談するとのこと。

聞くところによると、もともとナッカドーは女性の職だったが、いつからか「オカマさん」(女性の心をもった男性)が主役になっていったそうです。
もしかして、恍惚状態で踊る女性がなまめかしすぎたため、お上の目に触れて禁じられたのでしょうか(出雲の阿国のように)?【同上】
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ナッカドーについては、下記のような説明も。

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ナッカドーは、シャーマン的な病気の治療等はしませんが、憑依状態で託宣や占い等を行います。
37のナッ神のうちのいずれかがナッカドーの身体にのりうつり、その口を借りて人々と話をするのです。
(中略)
ナッカドーは元々女性が演じていましたが、今では男性も多くなっています。
ナッ神の多くは男性で、ナッカドーはその妻とされているため、男性のナッカドーは常に女装していて、彼らは、自分はもう男性ではないと信じています。

ナッカドーは神の妻であって、人間世界の男女のどちらにも属さない神聖な者として捉えられています。
男性でも女性でもない存在なので、男性霊、女性霊どちらの霊も呼び出せる力があると信じられ、普通の人達からも尊敬されています。http://inuiyouko.web.fc2.com/folklore/w06.html
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“普通の人達からも尊敬されています”とありますが、宗教的な祭礼・儀式における聖的な役割と、普段の生活における社会的地位は同じではないかも。
被差別的な要素がないかは確認する必要がありそうですが、今は旅先でネット環境がよくないので、そのあたりは後日。

隣国タイもオカマ文化が盛んな国ですが、東南アジアにおけるオカマ文化について調べるのも面白いかも。
コメント
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