(スペインからの独立の是非を問う住民投票実施を発表するカタルーニャ自治州のカルレス・プチデモン州首相(2017年6月9日撮影)【6月10日 AFP】)
【スコットランド民族党(SNP)「残念な結果だった。SNPはいろいろ考えるべきことがある」】
前倒し総選挙というメイ首相の“楽勝”と思われていた“賭け”が大失敗に終わったことについては、多くの報道があるとおりです。
もともとはっきりしていなかったEU離脱(ブレグジット)の今後は、いよいよ不透明さを増しています。
メイ首相としては、EU離脱に向けた自身の指導力を強化しようという狙いのほかに、ついでに独立を巡る2回目の住民投票実施を求めるスコットランド民族党の動きも封じ込めたい思惑があるとも指摘されていましたが、こちらのほうは一応の成果をあげたようです。
スコットランド独立を目指す地域政党スコットランド民族党(SNP)は、総選挙のマニフェスト(政権公約)に独立の是非を問う住民投票実施を求める方針を明記して臨みましたが大きく議席を減らす結果となっています。
****英総選挙で民族党大敗=独立派に痛手―スコットランド****
8日に投票が行われた英総選挙で、北部スコットランドでは、2015年の前回総選挙で59議席中56議席を獲得し大躍進した地域政党スコットランド民族党(SNP)が、第1党の座は確保したものの、21議席減の35議席と低迷した。
スタージョン自治政府首相(SNP党首)はじめ、スコットランドの英国からの独立を目指す勢力にとっては痛手となった。
今回の選挙で、ロバートソン副党首、サモンド前党首ら有力議員も相次ぎ落選した。
スタージョン氏は9日、「ひどく失望する敗北を喫した」と表明。その上で、「疑いなく、独立住民投票問題がこの選挙結果の一因となった」と指摘し、「有権者の声を聞き、将来のスコットランドの最善の在り方を慎重に検討する」と語った。
スコットランドでは2014年に独立を問う住民投票が実施され、接戦の末、賛成45%、反対55%で否決されている。【6月10日 時事】
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スタージョン自治政府首相は前倒し総選挙について、表向きはスコットランド独立に向けた自身の計画に弾みが付く機会になるとの認識を示す強気の姿勢はとっていました。
しかし、前回選挙では59議席中56議席を獲得する圧勝だっただけに今回は苦戦が予想される中で、今回総選挙と独立の是非を問う住民投票実施をリンクさせることへは躊躇もあったのでしょうか、マニフェストへの住民投票要求明記は投票日直前の5月30日でした。
選挙の結果は、SNPの議席は35、保守党は13議席、労働党は7議席、自由民主党は4議席となっています。
スコットランドは労働党がもともと強い地域ですが、保守党が大きく議席を増やしています。再度の住民投票要求への反発でしょうか。
“スコットランド保守党のデービッドソン党首は20年ぶりの大勝利だと述べ「望まれていない2度目の国民投票にスタージョン氏が照準を合わせていなければ、SNPがこれほど議席を失うことはなかった」との見方を示した。
デービッドソン氏は「スコットランドの住民の多くはスタージョン氏に対して(国民投票への)反対を明確に表明した。スタージョン氏は主張を取り下げるべきだ」と述べた。”【6月9日 ロイター】
“スタージョン党首は「残念な結果だった。英国のEU離脱と(スコットランドの)独立を巡る不確実性が要因」と総括し「SNPはいろいろ考えるべきことがある」と述べた。”【同上】とも。
【“北アイルランドをEUに半分残すような『特別な立場』にしない”とは言うものの・・・】
スコットランドと並んで、北アイルランドもEU離脱に伴って分離・独立の気運があることは、5月30日ブログ“北アイルランド 根深いカトリック・プロテスタント対立 EU離脱による国境線復活で英分離も現実味”http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20170530でも取り上げました。
過半数割れしたメイ首相・保守党は、主張の似通っている北アイルランドの地域政党「民主統一党(DUP)」(10議席)などと連携する形で、今後の政権維持を図るようです。
ただ、そういう形でプロテスタント系「民主統一党(DUP)」の意向が政策に反映される度合いが強まると、北アイルランドにおけるカトリック系「シンフェイン党」(7議席)などとの対立が先鋭化することも懸念されます。
“英ガーディアン紙は、DUPの有力議員の話として「EU離脱後に、北アイルランドをEUに半分残すような『特別な立場』にしないことが、保守党との交渉条件になる」と報じた。”【6月9日 朝日】
“北アイルランドをEUに半分残すような『特別な立場』にしない”という意味合いはよくわかりませんが、前回ブログでも触れたように、EU離脱に伴って、現在は往来が自由なアイルランドとの国境線が復活することも予想されています。
移民の流入を防ぐというEU離脱の趣旨からすると、EU圏内のアイルランドとの間で人の往来を制限する必要があるからです。
もし、アイルランドとの国境線管理を復活しないのであれば、北アイルランドからイギリス本土への渡航について国境審査的なものをする必要がでてきます。“北アイルランドをEUに半分残すような『特別な立場』”というのは、そういう事態を指すのでしょうか。
逆に、北アイルランドと本土の間をフリーにするのであれば、アイルランドとの国境線管理復活は避けられず、そうなると現在のアイルランドとの往来自由を前提にした北アイルランドの人々の生活・経済は大きな打撃を受け、不満が一気に噴き出すことも予想されます。特に、カトリック系住民の反発を刺激します。
なかなか難しい問題ですが、どうするのでしょうか?
対応を誤ると、北アイルランドでイギリスからの分離を巡る内紛が再燃することも懸念されます。(スコットランドとは違って、かつてのIRAなどの“伝統”もありますので、対立は“血塗られたもの”になります。)
スコットランドよりこちらの方が厳しそうです。
普段、ネットで欧州を舞台にした“刑事もの”ドラマをよく観ます。ドラマでは、犯人も捜査側もほとんど国境線を意識することなく、同日中に各国をまたいで移動しています。
もちろんドラマと現実は異なるのでしょうが、欧州における人の移動の自由というのは、“国境”を当然のこととしている日本人の感覚からは想像ができない部分があります。
一旦そういう形になじんだ状況から、再び通常の国境管理に戻すのは相当に大変なことにも思われます。
【フランコ独裁の亡霊 スペイン中央政府の強硬策が火をつけたカタルーニャの独立運動】
イギリスから離れると、欧州における分離・独立の動きとしては、スペインのカタルーニャの問題もあります。
カタルーニャ州政府はスペイン中央政府の反対を振り切って、独立の是非をめぐる住民投票を実施する姿勢を見せています。
****カタルーニャ独立めぐる住民投票、10月1日に実施と州首相 スペイン****
スペインからの独立運動が盛んな北東部カタルーニャ自治州のカルレス・プチデモン州首相は9日、州都バルセロナで記者会見し、独立の是非をめぐる住民投票を10月1日に実施すると発表した。
スペイン政府は地方の独立をめぐる投票について強固に反対しているが、それに盾突いた格好だ。
プチデモン州首相によると、住民投票は「カタルーニャが共和国の形をとった独立国家となることを希望するか」という質問への有権者の賛否を問う。
独立を目指しているカタルーニャ州政府は、賛成多数となればすぐに独立に向けた手続きを始めるとしている。
しかし住民投票にはスペイン政府が反対しているほか、スペインの憲法裁判所も違憲との判断を示しており、住民投票の関係者、特に住民投票の準備をする公務員が罪に問われる可能性がある。住民投票の実施にこぎ着けるだけでもかなりの困難が予想される。
750万人の人口を抱え、独自の言語、習慣を持つ富裕なカタルーニャ自治州は長年、自治権の拡大を求めてきた。最近の州政府による世論調査では、独立賛成派44.3%、反対派48.5%という結果が出ているが、住民投票の実施自体には4分の3が賛成している。
住民投票は憲法違反だとして中央政府によってこれまで繰り返し実施を阻止されてきた。2014年に行われた非公式の投票では、賛成票は80%を超えたが、投票に参加したのは有権者630万人のうち230万人にとどまった。【6月9日 AFP】
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カタルーニャの分離・独立運動については、2015年10月1日ブログ“スペイン・カタルーニャ州議会選挙 「独立派の勝利」とも言い難い微妙な結果”http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20151001などで何回か取り上げてきました。
独自の文化・言語を持つカタルーニャはスペイン国内有数の工業地帯で、近年は州の税収が他の貧しい地域のために使われていると不満を強めています。ただ、上記のように世論調査では独立反対派がやや優勢となっており、数年前と比較しても独立支持率は低下しています。
もっとも、賛否はかなり拮抗していますので、実際に住民投票となれば、そのときの気運次第ではイギリスのEU離脱のような結果もあり得ます。
カタルーニャでは2015年9月の州議会選挙で独立賛成派が「1年半以内の独立」の公約を掲げて第1党となっており、昨年9月段階で“2017年9月に住民投票実施”が明らかにされていました。
中央政府はこのような投票は違法として実施すべきではないという強硬な姿勢を崩していませんので、住民投票の行方もわかりません。
もっとも、「カタルーニャ独立運動はスペイン継承戦争(1701〜14年)に遡る300年余の歴史がある」とも言われますが、カタルーニャの分離運動が現在のように顕在化したのは、近年の中央政府における国民党による中央集権的な施策が原因だとする指摘があります。
****独立運動の震源地、スペイン・カタルーニャ自治州****
・・・・79年に自治州となったカタルーニャは中央政府に協力しながら自治権を拡大させてきた。
独立運動と言っても最初は自治権と、言葉や文化の違いを認めてもらうのが目標だった。世論調査を振り返ると2005〜06年ごろまで独立を支持する世論は15%にも満たなかった。
多数意見は自治州としての現状維持派で40%。連邦制への移行を求める声が30%余だった。それが今や独立派が50%近くに達する勢いを見せる。
なぜか。同州第2の都市ロスピタレート・デ・リョブレガート自治体の広報局長ベゴニャ・バローさん(48)は「中央政府が理不尽なノーを突きつければ突きつけるほど、カタルーニャの独立心は燃え上がる」と解説する。
英国の地域政党・スコットランド民族党(SNP)が主導するスコットランド独立運動と、カタルーニャのそれは歴史的に似ているようで、実相はまったく異なる。スコットランドではSNPが強く出て、英国の中央政府が譲歩する一方、カタルーニャの独立運動はスペインの中央政府の強硬策が火をつける形となっている。(中略)
スペイン政府とカタルーニャ自治州は国会で多数派を形成するため十数年前まで持ちつ持たれつの関係だった。しかし「あの日を境に状況は一変しました」とバローさんは続ける。
フランコ政権の流れを汲み、スペイン・ナショナリズムを掲げる国民党のアスナール政権が00年総選挙で絶対過半数を獲得した。カタルーニャの地域政党の協力を得る必要がなくなってから、再中央集権化の動きを見せる。
これに反発してカタルーニャは05年、「カタルーニャはネーション」と規定し、スペインを連邦的な国家にしようと試みる新しい自治憲章を制定した。
しかし国民党や他の自治州が反対し、憲法裁判所は10年、「カタルーニャの新自治憲章は憲法の定める『スペインの揺るぎなき統一』に反している」という違憲判決を下した。
憲法裁といっても裁判官の大半は国会や内閣によって推薦される。このため、時の政権の影響を色濃く受ける。バルセロナで110万人が参加した抗議デモは「私たちはネーションだ。決めるのは私たちだ」と大声を上げた。
11年末に国民党のラホイ政権が誕生してから再中央集権化はさらに強まり、カタルーニャ語による授業は必修時間の定めがない自由選択科目にされた。
独自の言葉と文化を抹殺される寸前まで追い込まれたカタルーニャは、フランコ独裁の亡霊を見た。スコットランドと同じように独立住民投票を行おうとしたところ、憲法裁は「住民投票は国の専権事項」として停止命令を出した。
そのため非公式の投票が14年11月に行われ、80%強が独立に賛成した。しかしカタルーニャ自治州のマス前首相ら3人が投票を止めなかったとして起訴されたのだ。
徴税権なく公共投資も抑制 不満募るカタルーニャ
租税と配分をめぐってもカタルーニャは虐げられている。バスクやナバラには認められている徴税権がなく、公共投資も抑えられている。(中略)
海外向けにカタルーニャ独立をPRする機関DIPLOCATのアルベルト・ロヨ事務局長も「カタルーニャは徴税権の90〜95%を中央政府に握られ、港湾施設も鉄道も十分な投資を受けていない」と指摘する。
独立運動が急激に盛り上がった発端は、国民党がスペイン・ナショナリズムを煽って票を集めたことだ。中央政府が再中央集権化を強行すればするほど、カタルーニャは独立への動きを一段と加速させるだろう。
政治もメディアも独立をめぐるオール・オア・ナッシングの二元論に陥り、単純化され、誇張されたメッセージだけが繰り返し流される。自治権の拡大や連邦制の導入といった現実的な議論は完全に隅に追いやられた。(後略)【2016年9月13日 WEDGE】
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【「バスク祖国と自由」(ETA)の武装解除 問題は解決したのか?】
なお、スペインにおける分離・独立運動と言えば、かつてはバスクの問題を意味していましたが、バスクの方は“収束”とも思える状況となっています。
****バスク祖国と自由、武装解除か 分離独立主張のテロ組織****
スペイン・バスク地方の分離独立を主張してテロを重ねた武装組織「バスク祖国と自由」(ETA)について、地元州政府は17日、完全に武装解除する方向になったと発表した。AFP通信などが伝えた。
800人超の命を奪ったテロ組織だが、摘発の強化で組織の弱体化が指摘されていた。
4月8日までに武装を解除し、武器の隠し場所を明らかにするという。
ETAは2011年、武装闘争の「最終的な停止」を宣言。14年には武器の放棄を始めたと伝えられたが、スペイン、フランス両国の捜査当局が爆薬や銃器の摘発を続けていた。【3月18日 朝日】
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“首都・マドリードで04年に発生した、国際テロ組織「アルカイダ」による列車同時多発テロ(死者191人)以来、ETAの転換期が訪れる。スペインにおいて、地方独立よりも国防問題に課題が移っていく。ETAは、独立活動における支持者の減少や、経済危機による資金源不足などに悩まされ、存続意義を失っていった。”【5月25日 WEDGE】との状況にあったようです。
ただ、住民の不満が解消した訳でもなく、“武力行使を続けることが独立のためなのか。独立を拒んででも平和の道を選ぶべきなのか。バスク地方には、今も肉親を囚人に持つ人々や、テロ活動を支持する独立派が多く潜んでいる。ETA問題が解決したのかは、誰も理解できないのが現状だ。”【同上】とも。