孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

レバノン  噴出する機能麻痺した宗派・宗教間の権力分割体制への不満 内戦の反省から生まれた制度

2020-01-19 23:00:21 | 中東情勢

(反政府デモに放水する治安部隊【1月19日 共同】)

【ゴーン被告も「腐敗した富裕階級」の一人】
カルロス・ゴーン被告の逃亡先として日本では一躍関心も高まった中東・レバノンでは、昨年10月以来、既成政治に反発する若者らを中心に反政府デモが続いています。

****【大内清の中東報告】反政府デモ続くレバノン 「ゴーンも同じ」と既得権益層の腐敗に反発****
中東レバノンで、反政府デモによる混乱が続いている。デモに参加する若者らの原動力は、政治家ら既得権益層に根付く汚職体質や縁故主義への怒り。

現場では、同国に逃亡中の日産自動車前会長、カルロス・ゴーン被告も「腐敗した富裕階級」の一人として非難する声があった。(中略)
 
当初からデモに参加してきたというアリーさん(28)に日本の記者だと名乗ると、「自分たちの利益しか考えない腐敗した連中がレバノンをダメにしている。ゴーンもその仲間だ。日本から逃げればかくまってもらえると思ったのだろう」と語り始めた。
 
ゴーン被告は逃亡後の今年初め、レバノン人の弁護士グループから告発を受けた。日産在職中の2008年にイスラエルを訪問したことが、イスラエルのボイコットを定める法律に違反している−との訴えだ。
 
「これがもし僕なら、即座に刑務所行きだ。でもゴーンは悠々と暮らしている。これがレバノンの現実さ」。アリーさんは、自分たちの抗議運動とゴーン被告をめぐる事件は「根っこは同じ」だと話す。

レバノンで若年層の失業率は25%に上るとされる。通貨下落やインフレとも相まって、一般市民の生活は苦しさを増している。その一方で富裕層は、ゴーン被告のように複数の国籍を使い分け、海外に資産を移していることも珍しくない。
 
同国では昨年10月、デモの激化を受けて当時のハリリ首相が辞任を表明。その後は、正式な内閣が不在の「政治空白」が続いている。【1月19日 産経】
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【「ひどい状況を前に、僕らの世代は宗教の違いは気にしていない」】
ゴーン被告のことはさておき、昨年来のレバノンの抗議行動は、従来とは異なり宗派を超えたものになっているところに特徴があるとされており、レバノン社会において政治・軍事で決定的な地位を築きあげてきた親イラン・シーア派「ヒズボラ」も批判の対象になっているようです。

****古い政治システム壊したい レバノン、デモ2週間****
中東レバノンで大規模な反政府デモが始まってから2週間を超えた。続くデモは首相を辞任に追いやったが、さらなる政治改革を求める声が強い。

激しい宗教対立の歴史を持つレバノンだが、厳しい経済状況を背景に広がる若者たちの不満は、宗教や宗派を超えて社会全体を巻き込んでいる。(中略)
 
1日夜、首都ベイルート。政府庁舎の前に広がる広場に若者たちが集まってきた。
「革命だ」。大音響で音楽を流し、肩を組んで首相府に向かって声を上げる。レバノン国旗があちこちで振られている。
 
「大学を中退してから仕事がない。ひどい経済状況に絶望している」。テント内で夜通し座り込みをしているマジェド・ドブさん(22)は嘆いた。日雇いの電気工事で食いつなぐが、稼ぎは1日3千円。しかも10日に1度くらいしか仕事がないという。
 
報道などによれば、35歳未満の若者の失業率は40%近くになる。上位1%の富裕層が全国民所得の4分の1を占める格差社会だ。
 
デモが始まったのは、10月17日。スマートフォンのアプリを使った無料通話への課税を政府が提案したことが引き金となり、若者たちの政治エリートへの不満が爆発した。(中略)

不満の矛先は、エリート層に支配された政治システムに向かう。腐敗がはびこる一方、電気や水道といった基本的なインフラも十分に行き届かない現状がある。「宗教や派閥に分かれた政治家が自分たちの利益ばかりを追い、負担は人々に押しつけられる」と市民運動家のミラ・モウラさん(28)は言う。「ここに集まる人たちの不満はさまざま。でもみんな、機能不全の政治が原因だと思っている」
 
長引くデモを収拾しきれず、29日にはハリリ首相が辞任を表明。(中略)

デモは規模を縮小しつつも、連日続いている。参加者にゴールを尋ねると、口々に言った。「首相辞任は最初の一歩。古い政治システムを壊すことが必要だ」

 ■異例、宗教超え行動
今回のデモには、大きな特徴がある。宗教・宗派を超え、政治への怒りが一つの動きになっていることだ。Tシャツ姿の男女のほか、ヒジャブで頭を覆った女性の姿もあった。
 
キリスト教マロン派のサマー・エル・クーリーさん(28)は「今までは抗議運動と言っても、各宗派が組織したものだった。だから今回のデモは特別。ひどい状況を前に、僕らの世代は宗教の違いは気にしていない」と話す。
 
レバノンは激しい宗教対立の歴史を持つ。1975~90年の内戦では、キリスト教徒とイスラム教徒が対立し、10万人以上の犠牲が出た。解決策として、戦後は二つの宗教が均等に国会議席を分け合ってきた。だが、18もの宗教・宗派が混在するため、派閥主義がはびこる原因にもなっている。(中略)
 
宗教にこだわらず、市民運動として広がるデモは、2011年の「アラブの春」を思い起こさせる。中東では今年に入り、アルジェリアやエジプト、イラクなどでも反政府デモが相次ぐなど、各地でまた政治への不満が噴き出し始めている。【2019年11月3日 朝日】
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昨年11月の上記記事では“デモは規模を縮小しつつも”とありますが、年が明けても沈静化の兆しは見えていません。

****レバノン抗議デモ、160人負傷 強制排除の治安部隊と衝突****
大規模な反政府デモが続くレバノンの首都ベイルート中心部で18日、投石する抗議デモ隊と、催涙ガスなどで強制排除を試みる治安部隊が衝突した。フランス公共ラジオは160人以上が負傷したと伝えた。
 
中心部でデモ隊の拠点となっていたテントも放火された。アウン大統領は同日、平和的なデモの保護やベイルート中心部の治安回復を軍などに指示した。レバノンでは昨年10月17日にデモが開始して3カ月が過ぎたが、沈静化の兆しは見えていない。
 
デモではハリリ首相が辞任を表明し、ディアブ元教育相が首相指名されたが、組閣はできていない。【1月19日 共同】
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既成政治への批判ということは、既成政治を牛耳るヒズボラへの批判ともなりますので、単にデモ隊と治安部隊の衝突だけでなく、“イスラム教シーア派政党・武装組織のヒズボラとアマルを支持する若者らがベイルート中心部にある反政府デモ隊の主要拠点の襲撃を試みた。”【12月18日 AFP】といった衝突、さらには、その暴力的なヒズボラ支持勢力と治安部隊の衝突も・・・ということで混とんとしてきます。

【内戦の経験から生まれた複雑怪奇な宗派・宗教間の権力分割体制】
レバノンの既成政治は、一言でいえば宗派・宗教間の権力分割体制です。
激しく長い内戦の経験から宗教・宗派対立を防止するための仕組みでしたが、政治は硬直化し、非効率と腐敗の温床ともなっています。

****欠陥が見えてきた宗派・宗教での権力分割****
イラクとレバノンでは政府への激しい抗議運動が続いている。これに関して12月7日付のエコノミスト誌の論説‘Time for Iraq and Lebanon to ditch statesponsored sectarianism’は、良い結果をもたらさなかった現行の宗派・宗教間の権力分割体制を人々が否定するのは正しい、と言っている。論説の内容をかいつまんで紹介すると次の通りである。(中略)

・レバノンも同様で、国土を荒廃させた軍閥が政治家になって国富を収奪している。政府はスンニ派、シーア派、キリスト教徒の利益供与体制に資金を与えて巨額の負債を蓄積、世界銀行の推定では、この権力分割体制に絡む浪費額は毎年レバノンのGDPの9%に及ぶ。財政危機が迫るレバノンは、負債の返済を繰り延べし、改革を行う必要があるが、指導者たちにはその能力がない。

・両国の人々は自分たちの考えを反映し、自分たちの利益を代表してくれる政治体制を擁してしかるべきだ。国家支援の宗派主義、つまり宗派・宗教間の権力分割体制を止めるべきだ。透明性が向上すれば、利益供与の仕組みが明らかにされ、強力な公共機関はこうした仕組みを抑えてくれるかもしれない。
 
この論説の主張は一見、過激で革命的な意見に思えるが、それなりに根拠のある良い意見である。
 
レバノンの宗派間での権力分有体制は、諸宗派を権力構造の中に取り込み、諸勢力間の平和を作り出し、国家を安定させるためのものである。

レバノンの隣国シリアでは、少数派のアラワイト派のアサッドが権力を独占、多数派のスンニ派を抑圧する体制であったが、内戦になったことを考慮すれば、宗派間の権力分有には良い面もある。
 
しかしながら、レバノンのように大統領はキリスト教徒、首相はスンニ派、国会議長はシーア派という権力分有に加え、国会議席の半分はキリスト教徒、半分はイスラム教徒の枠にし、またその枠内で宗派別定員を設けるのは行き過ぎであろう。

このレバノンのシステムが政党の宗教性を強め、世俗的政党の存在空間をなくし、国民の選択の幅を狭めていることは否定できない。

レバノンには世俗的な人も多い。今回のレバノンでの抗議デモは現宗派主義体制への抗議であり、レバノンの指導者は抗議者の意見に耳を傾けるべきであると思われる。

特にこの論説が言及しているが、世界銀行が権力分有に伴う浪費額がGDPの9%に上るとしている。こういうようなことは持続不可能である。(中略)

国内が分断された国では、分断している諸勢力を権力分有で権力構造に取り込むことが平和につながると考えられてきたし、それには一理あるが、同時に、それは分断を強める作用もある。

(中略)論説の言うところが目指すべき方向性であると思われる。ただ、中東は難しい地域である。イスラム教は政教分離を是とする宗教ではない。キリスト教が「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」としているのとは違う。【12月27日 WEDGE】
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レバノンの宗派・宗教間の権力分割体制、それを支える選挙制度は、日本的常識を超えて複雑怪奇です。
大統領、首相、国会議長を分け合っているとか、議員定数でイスラム教徒枠とキリスト教徒枠が半々に設定されているというのは多くの記事で目にしますが、それだけでは、「じゃ、一体何のために選挙をするのか?」という話になります。

“その枠内で宗派別定員を設ける”というあたりが、そこに関係してきます。

****モザイク国家レバノンが生み出した奇妙な政治制度の背景にあるもの「橘玲の世界投資見聞録」****
歴史学者トインビーは、“文明の交差路”に位置するレバノンを「宗教の博物館」と呼んだ。(中略)人口450万人のこの小さな国は、国民のほとんどがアラブ人であるにもかかわらず、20ちかい宗教・宗派が共存しているのだ。

このような複雑な社会では、私たちが想像すらできないようなことが起きる。(中略)

レバノンの宗教三権分立
レバノンが宗教の博物館だとしても各宗派が並立しているわけではなく、社会の中核となる宗教組織はイスラム教のスンニ派とシーア派、マロン派を中心としたキリスト教各派の3つだ。(中略)

この三派のなかでもっとも信者が多いのはキリスト教各派だが、それでも人口の3割超にしかならない。ムスリムは全体の半数を超えるが、スンニ派とシーア派はそれぞれ2割程度だ。そのうえこれは概数で、宗派対立を助長するとして1930年代以降、正式な人口調査は行なわれていない。

レバノンでは建国以来、「三権分立」が実行されている。だがこれは私たちが馴染んでいる立法・司法・行政の三権のことではなく、宗教の主要3派に権力を分配する仕組みだ。

不文律により、大統領はキリスト教マロン派、首相はスンニ派、国会議長はシーア派に国家の首脳ポストが割り当てられているのだ。(中略)レバノンの政治はこの三者が協調しないと動かないようにできている。

宗派ごとに議員の割合が決まっている選挙制度
こうした制度では、政治の場で自らの意思を実現しようとすれば国会で多数派を形成する以外にない。

だがさらに驚くのは選挙制度で、宗派別に議員の人数が割り振られている。その仕組みはきわめて複雑だが、『レバノン 混迷のモザイク国家』(安武塔馬氏)に基づいてできるだけわかりやすく説明してみたい。

レバノンの国会は任期4年の一院制で、議員定数は128。これがキリスト教徒とイスラム教徒の権力折半の原則によって、それずれ64議席ずつ割り当てられる。(中略)

宗教への配慮はこれだけではない。議員定数は宗派ごとに以下のように細かく規定されている。

レバノンは大選挙区制で、それぞれの選挙区の信者数で宗派別の定数が割り振られ、選挙民は定数分だけ投票する。といっても、これではなんのことかわからないだろうから具体例を挙げてみよう。

2009年の国政選挙ではトリポリ選挙区の定数は8で、信者数によりスンニ派に5議席が割り当てられ、マロン派、ギリシア正教、アラウィー派が各1議席となっていた。

この場合、有権者は8票を投じることができるが、それはこの議席配分に厳密に従っていなければならない。自分がスンニ派だからといって8票すべてをスンニ派の候補に投票すると無効にされてしまうのだ。

この選挙方式がとてつもなく複雑だということは誰でもすぐに気づくだろう。スンニ派の有権者は、それ以外の宗派の候補者にはなんの関心もない。

だが選挙で有効票を投じようとすれば、自分の選挙区の宗派別割り当てを調べたうえで、各宗派の候補者の名前を書かなければならないのだ。これほど難易度が高いと投票の大半が無効になってしまいそうだ。

この問題を解決するために各政党が考えたのがリスト方式で、安武氏はこれを定食にたとえている。「主菜A、副菜B、ご飯C、汁物D」のように、「スンニ派A、マロン派B、ギリシア正教C、アラウィー派D」のようなリストをあらかじめつくっておき、有権者は支持政党のリストを持って投票所に行くのだ。これならたしかに混乱はなくなり、有効票も増えるだろう。

だがその結果、なにが起きるのだろうか。

選挙区の区割りをめぐる政治抗争
大統領がマロン派から選出されるとしても、レバノンのキリスト教徒の利害が常に一致しているわけではない。

トリポリはレバノン第二の都市だが、そこに住むキリスト教徒は、大統領はベイルートではなく自分たちの町の出身者がなるべきだと考えるだろう。

だがキリスト教徒内の単純な多数決では常にベイルート派に負けてしまう。そこで彼らに対抗するためにイスラム教徒との提携するのだ。

話をさらに複雑にするのは、選挙区の区割りによっては多数派の候補が勝てるとは限らないということだ。

キリスト教マロン派の住民がほとんどを占める地区があるとする。ふつうに選挙をすれば、住民たちが支持する候補者がマロン派の議席を独占するはずだ。

だが他派がこれを不都合だと考えた場合、選挙区の区割りを変えることで選挙結果を左右できる。その隣にムスリムが多数派の地区があったとすると、その選挙区と合体してしまうのだ。

これによって、ムスリム地区の有権者にもキリスト教系の候補者に投票する資格が生じる。他派が別のマロン派候補をリストに載せると、ムスリム票によって、その選挙区に住むキリスト教徒の意思とはまったく関係のない候補が当選してしまうのだ。

こうしてレバノンでは、まず選挙区の区割りをめぐって激しい政治抗争が起きる。それが一段落して選挙が始まると、こんどは現在の選挙区を所与として、自分たちにもっとも利益のある同盟を模索することになるのだが、その結果、誰も想像できなかった奇怪な事態が生じる。

複雑怪奇な政治状況
(中略)
こうした複雑怪奇な政治状況を見ると、レバノンで起きているのが宗教対立かどうかもあやしくなってくる。宗教・宗派の違いに地域対立が加わって利害が複雑に錯綜した結果、どの組織がどこと提携し、どこと敵対しても不思議はなくなってしまったのだ。(中略)

この愚行を体験したレバノンのひとたちは、二度と内戦を起こしてはならない、ということだけはかたくこころに刻んだ。そのためには、宗派間の決定的な対立はなんとして避けなければならない。

このようにして、それぞれの派閥が合従連衡し、敵対しては和解する政治の仕組みが生まれたのではないだろうか。レバノンの政治体制は不合理きわまりないが、それは日常的な対立によって致命的な対立が起きないようにするための、ひとびとの知恵かもしれないのだ。【2014年4月17日 橘 玲氏】
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前出【WEDGE】が指摘するように、国民の利益を省みない合従連衡に明け暮れる非合理な政治制度ではありますが、是正するには細心の注意も必要です。

また、極端な話、単純に最も支持が多い勢力が政治を担うとした場合、おそらく政治力・軍事力・資金力で他を圧倒するヒズボラ・シーア派が今以上に前面に出てくることが予想されます。

どう改正すればいいのでしょうか。
なお、前回の選挙からは、非宗派政党の独立派が当選する可能性を高めるために、部分的に比例代表制の仕組みを取り入れましたが、大きな変化はなかったようです。

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