(手洗い方法を実演するアシャ(公認ヘルスワーカー)のデヴァラティさん【6月6日 NATIONAL GEOGRAPHIC】)
【感染拡大が続く中での都市封鎖を段階解除】
新型コロナ感染拡大の中心は南米・アフリカに移り、沈静化しつつある欧州や日本では制限の緩和が進んでいます。
13億人の人口を抱えるインドでも都市封鎖の段階的な解除が始まっていますが、インドの場合は感染拡大はいまだピークアウトしていません。これ以上の規制は経済的に耐えられないというのが実態でしょう。
****インド、都市封鎖を段階解除 まず飲食店など再開 ****
インド政府は8日、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため実施している都市封鎖の段階的な解除を始めた。
第1弾として飲食店やショッピングモールなどを再開し、落ち込んだ個人消費の回復につなげる。
だがインドでは都市封鎖したにもかかわらず感染拡大に歯止めがかかっておらず、解除によって感染ペースがさらに勢いづく恐れもある。
「3カ月ぶりに宅配と持ち帰りの営業を再開できる。給与を2カ月もらえなかったので働けてうれしい」。首都ニューデリーのインド料理店で働くネリン・シン氏(43)は8日、安堵の表情をみせた。これから消毒作業を実施し、店内でも食事できる体制を整える。デリーは社会的距離を保ちながら、モールやホテルも営業を再開し始めた。
インドは3月25日から始めた都市封鎖の期限をこれまでに4度延長し、6月末までとしていた。しかしインド準備銀行(中央銀行)のダス総裁が「内需の6割を占める個人消費が大きく吹き飛んだ」と語るなど景気低迷が深刻で、期限を待たずに一部解除せざるを得なくなった。
解除は3段階で進め、第1弾では飲食店などのほかホテルや宗教施設、その後に学校や飛行機の国際線の再開を検討する。
世界保健機関(WHO)によるとインドの感染者は7日時点で24万6628人。足元の新規感染者は1日あたり1万人弱のペースで増えている。封鎖を2カ月以上続けているにもかかわらず、感染ペースが鈍化する兆しがみえない。感染者が最も多い商都ムンバイは8日、飲食店やモールの再開を見送った。【6月8日 日経】
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【「新型コロナとの共存」を目指さざるを得ないインドの実情】
感染拡大が未だ続く中での制限緩和については、一言で言えば、インドの実態に対応した「新型コロナとの共存」を目指す現実的判断と言えます。
****新型コロナとの共存を模索するインド 見えてきた「ニューノーマル」****
(中略)
インドでは都市部の人口密度が高く、人と人の距離感も近い。衛生についても問題は多い。だから厳しい封鎖を実施したとしても新型コロナを完全に封じ込めるのは難しかった。
ただ3月の時点では新型コロナに関する情報が圧倒的に不足していた。このウイルスが引き起こす症状の重さや致死率など不明な点があまりにも多かったのだ。最大で3億人程度が感染し、1000万人近くの患者が重体に陥るといった専門家の予測もあった。
脆弱な医療体制で新型コロナに立ち向かうためには、経済活動を犠牲にしてもとにかくまずは封鎖を実施して感染拡大のペースを落とし、態勢を整える必要がある。そこで政府は早い段階から封鎖に踏み込んだと見ている。
累計の感染者数だけを見れば増加の一途をたどっているものの、人口比で見るとインドの感染者数や死者数は欧米を大きく下回っている。統計サイト「ワールドメーター」の集計によれば、100万人当たりの感染者数、死者数は日本と大差はない。
厳しい封鎖がその背景にあるとすれば、インドは感染をある程度は抑え込むことができているとも言える。その間にも新型コロナについての知見は増え、病床の確保も進んだ。
現状を見る限り、少なくともインドで新型コロナは共存できない相手ではなさそうだということも分かってきた。足元の死者数は約7000人だ。
少ない数ではないし、今後も増加する恐れも十分にある。それでも他の病気や事故に比べて突出しているわけではない。
例えばこの国では交通事故により年間15万人もの人々が亡くなっている。また狂犬病による死者数は同2万人を超え、10万人以上がデング熱に罹患する。年によっては20万人近くに上ることもある。ちなみに新型コロナと同様に、デング熱にも特効薬はない。
一方で、封鎖措置による経済への打撃は大きく、深刻な落ち込みを見せている。インドは日雇い労働者が多い。経済活動がストップしたため、彼らの仕事は容易に奪われてしまった。
モディ首相は企業経営者やオーナーに対し従業員を解雇しないように求めたが、彼らとてない袖は振れない。封鎖下で雇用主が長期にわたり従業員に給与を支払い続けることは困難だった。
都市部では大企業からスタートアップに至るまで、解雇の嵐が吹き荒れ始めている。封鎖後1カ月で失業率は27%を超え、日本の人口とほぼ同じ約1億2000万人が職を失ったとされている。都市部から遠い農村では通常の3分の1、時には10分の1の価格で作物を買いたたかれるという事例が出ている。
政府はGDP(国内総生産)の10%に当たる20兆ルピー(約29兆円)という巨額の支援を打ち出したものの、それでも貧困層を十分に支えることができているとは言い難い。
政府の予算は潤沢とは言えず、無理をすれば財政赤字がさらに拡大し、通貨の下落にも歯止めがかからなくなる。封鎖による経済停滞で企業の資金繰りは悪化し、税収は増えず、直接投資も滞ってしまう。
こうした負の連鎖を考えるならば、全土を丸ごと厳しい封鎖下に置くような措置はもう取れない。新型コロナとの共生を試みる方が現実的と言える。(後略)【6月9日 繁田 奈歩氏 日経ビジネス】
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上記のような認識について、個人的に共感できる点は“今後も増加する恐れも十分にある。それでも他の病気や事故に比べて突出しているわけではない。”という点です。
いつも言うように、世の中、特にインドのような社会にあっては、生命にかかわるような病気・事故は多々存在し、新型コロナだけに大騒ぎするのはバランスを欠いた対応でしょう。
また、絶対的貧困が多く残るインドと、それなりに豊かな社会にある日本では、経済的な耐久力が全くことなります。
“すでに数百万人が仕事や生計の道を失い、企業は閉鎖に追い込まれている。また、飢えへの恐怖から、日雇いの出稼ぎ労働者が多数、都市部を逃げ出した。一夜にして公共交通機関が停止したため、その大半は徒歩で移動した。
人類の悲劇と呼ばれる状況の中、出稼ぎ労働者の多くは極度の疲労や飢えで死亡した。”【6月11日 BBC】
“けがした父乗せ、自転車で1200キロ インド・15歳少女、8日かけ故郷に”【5月27日 毎日】ということが話題にもなりましたが、美談というより、厳しいインドの実態を示すエピソードでしょう。
このまま規制を続ければ、新型コロナ予防対策のために多くの餓死者が出る、あるいはそういう危機感から大きな社会混乱が起きて、とても規制どころではなくなる・・・というのが、インド社会の現状でしょう。
一方、上記【日経ビジネス】に示された認識には注意を要する点も。
“人口比で見るとインドの感染者数や死者数は欧米を大きく下回っている”とありますが、インドの場合はこれから増加することが予想されます。また、“病床の確保も進んだ”というのも楽観的に過ぎるでしょう。
****インド・ムンバイの感染者、5万1000人に 中国・武漢を上回る****
インドの金融の中心地ムンバイで10日、新型コロナウイルスの感染が確認された人が5万1000人に達し、感染の発生源となった中国・湖北省武漢市を上回った。
インドでは感染者が急増しており、米ジョンズ・ホプキンス大学の集計によると、これまでに確認された感染者の数は27万6583人となっている(日本時間11日午後2時時点)。
このうち約9万人は、ムンバイが州都の西部マハーラーシュトラ州で確認されている。
首都デリーでも感染者が急増している。当局は7月末までに同市でさらに50万人以上が感染すると予測しているという。(中略)
数週間もの間、インドでは比較的COVID-19(新型ウイルスの感染症)患者の数が少なく、専門家たちを困惑させた。人口が密集し、公立病院の資金が不足しているにも関わらず、多数の感染者や死者は出なかった。
感染者の少なさは、ウイルス検査の実施率が低いことが要因と言える。しかし、死者の少なさは説明がつかなかった。感染が確認されていないインド人の多くは入院が必要なほど重症化しないのではないかとの期待があった。これが、政府にロックダウン緩和を促すことにもなった。
しかし最近の感染者数の増加は、インドでは単純に感染のピークが遅かったことを示していると専門家たちは指摘する。
一方で専門家たちにとって気がかりなのは、各州がロックダウン期間中に医療施設の強化を進めたにもかかわらず、複数の主要都市の病院がひっ迫しつつあることだ。COVID-19のような症状が現れている人たちが追い返されていると訴える声が複数上がっている。【6月11日 BBC】
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****インドのデリーで新型コロナ患者急増の恐れ、病床足りず****
インド・デリー政府のマニッシュ・シソディア副首相は9日、7月末までに域内の新型コロナウイルス感染者数が50万人を超える見通しで、病院の収容能力が足りないと表明した。
デリーでは入院できない新型コロナ感染者が猛スピードで増えている。病院に受け入れてもらえず、入り口前で大切な人が亡くなったとの話も耳にする。(中略)
感染のホットスポットの一つであるデリーの感染者数は約2万9000人。副首相は記者団に対し、7月末までに55万人に上ると話した。その時点で8万床の病床が必要となるが、現在の病床能力は9000床にすぎない。「感染者数が伸び続ければデリーにとって大きな問題だ」と話した。もう一つのホットスポットはムンバイだ。
医療機関はすでに正常に機能していない状態だ。デリーの大学生、Aniket Goyalさんの祖父は先週、6つの公営病院から受け入れを拒否された。政府の新型コロナアプリでは空きがあると表示されていたという。
民間施設に出向いたところ、治療費が高過ぎて断念した。裁判所の仲介を求め、家族で嘆願書を提出。裁判所が翌週に審理の場を設けることとしたが、それまでに祖父は亡くなった。(中略)
Manish Tewari議員は「デリーの医療システムは崩壊している」と述べた。【6月10日 ロイター】
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少ないとされてきた死者数もこれから増える、医療崩壊の危機もある・・・・それでも経済的に耐えられない以上「新型コロナとの共存」の線で進むしか選択肢はないといったところです。
【「新型コロナとの共存」のもとでの「ニューノーマル」】
「新型コロナとの共存」のもとでの「ニューノーマル」とはどういうものになるのか?
****インドのニューノーマルとは****
新型コロナの感染拡大と封鎖措置は、インド社会が抱える様々な課題を顕在化させた。
例えば広大な面積と複雑な社会構成を抱えるインドでは、政府が意図する封鎖措置を国の隅々まで浸透させるのが容易ではなかった。(中略)
教育水準に差があるため規律を守れなかったり、理解できなかったりする人がいる一方、都市部の中間層や富裕層の間では、掃除や洗濯といった仕事で移民労働者への依存度合いの高さが改めて浮き彫りになった。
新型コロナは課題を露わにすると同時に、社会や経済に変化も促している。その一部は今後も定着し、いわゆる「ニューノーマル」として受け入れられていくだろう。
ではインドのニューノーマルとは何なのか。全容はまだ見えづらいが、これを理解する手がかりはある。
新型コロナを背景とする国際的なヒトとモノの移動制限はインドでサプライチェーン問題を引き起こした。政府は今後、より積極的に外資製造業を自国に呼び寄せて産業集積を図るだろう。
もともとインドは「メーク・イン・インディア」というスローガンを掲げ、自国の製造業を強化する方針を示していた。その取り組みは加速しそうだ。
インドの人たちの間では価値観に変化が起きている。ひどい渋滞にはまって過ごす時間の無駄が意識され、健康に対する関心が高まった。
在宅勤務が一般的になり、若者やビジネスパーソンにとどまらず多くの人が、仕事と生活の両面でオンラインやデジタルの利便性に気づき始めた。これを背景にデジタル化も一層速いペースで進むとみられる。
新型コロナの感染拡大を契機に、4000万人以上いるといわれる国内の移民労働者のうち、750万人以上もの人々が帰郷したようだ。さらに、その多くは新型コロナが収束しても、もう都市には戻りたくないと感じている。
これが影響し、大都市に近い工業団地や都市部では労働者不足や労働コストの上昇に直面し、機械化や自動化を促進することが避けられなくなるだろう。
同時に、大都市に集中してきた経済圏の在り方も変わる可能性がある。中規模都市、小規模都市、そして農村エリアまで巻き込んだ新しいインフラ開発モデルが生まれるかもしれない。(後略)【6月9日 繁田 奈歩氏 日経ビジネス】
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“新型コロナの感染拡大と封鎖措置は、インド社会が抱える様々な課題を顕在化させた。”・・・・インド社会に限った話ではありませんが、特に“BRICs”(今では“死語”の感もありますが)と一時呼ばれて将来が期待されていた新興国では、その底の浅さ・社会矛盾が露呈した感もあります。
【最前線で働く女性の地域ヘルスワーカー 不十分な報酬・装備】
そうしたインドが直面する危機的状況の最前線で働いているのが女性の地域ヘルスワーカーたちですが、経済的報酬も十分ではなく、防護具等の支給もほとんどないのが実情です。
****コロナと闘う女性ヘルスワーカー、350万人が劣悪な状況、インド****
新型コロナウイルスの警戒地域に指定されたインド、ニューデリーの衛星都市ノイダで、地域衛生員のビジャヤラクシュミ・シャルマさんは、アパートを一軒一軒回り、住人の健康状態を調査している。
シャルマさんが働く「アンガンワディ・センター」は、貧困女性と子どもの栄養不良問題に取り組むために、1975年にインド政府が立ち上げた施設。現在は全国に130万カ所以上ある。
ところが、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)が流行し始めてからは、地域における保健所の役割を担うことになった。同センターで働く270万人は、通常の仕事に加えて、食料の配給や調理された食事の配達、感染者の特定、ウイルスに関する知識の周知に奔走している。
その他にも、約100万人の「アシャ(Accredited Social Health Activists=ASHA、ヒンディー語で「希望」の意味)」と呼ばれる公認ヘルスワーカーがいて、出稼ぎから戻ってきた労働者の追跡、接触者追跡、感染疑い例の報告などの責任を負っている。症状がある人に付き添って、近くの病院へ行くこともある。
総勢350万人以上のこうした女性の地域ヘルスワーカーたちは、わずかな読み書きしかできず、ろくに報酬も受け取っていない女性たちだ(編注:インド政府は「スキームワーカー」と呼ぶが、労働者としての地位はない)。
その働きにすっかり依存している政府は、彼女たちを称賛こそすれ、感染を予防する防護具や支援、報酬をほとんど与えていない。
「彼女たちが感染すれば、その責任を誰が取るのでしょうか」。ウッタル・プラデーシュ州の女性アンガンワディ職員組合長ギリシュ・パンデイ氏は、そう訴える。「彼女たちにも家族がいるんです。名前や顔のない殉職者ではありません」
防護具なしでの活動
インドでは、人口14億人の3分の2以上が公的医療を利用している。だが、病院の病床数は人口1万人当たり8.5床、医師は8人しかいない。比較として、日本では1万人当たりの病床数はおよそ130床、韓国では120床だ。
そのため、インドでは多くの地域住民、特に弱者である女性や子どもたちが頼りにできるのは、シャルマさんのような身近で活動する衛生員だけということになってしまっている。
アンガンワディの働き手は、子どもや妊婦、授乳中の母親に補助栄養物を支給し、子どもの栄養について母親を指導し、未就学児に教育を施す。一方、アシャは、自宅出産よりも病院での出産を勧め、避妊に関する知識を教え、予防接種を受けさせ、応急処置を施し、抗マラリア薬や抗結核薬を与える。
インドの医療が危機に直面するなかで、重要な役割を果たす彼女たちは、本来ボランティアやパートタイムの身分であるため、定期的な賃金を受け取っていない。
ところが、需要が急増して、ほとんどの女性はフルタイムの労働者と同じように働かざるを得なくなっている。平均して、住人1000人につきアシャは1人しかいない。
アンガンワディの働き手への謝礼は約5000ルピー(約7200円)だが、これはインドの平均月給の半分にも満たない。
アシャの報酬は歩合制だ。予防接種1件につき約1ドル、子どもの死亡を報告すると50セント、出産のため女性に付き添って病院へ行くと4ドル、6〜7カ月間にわたり抗結核薬を出すと13ドル、そして新型コロナウイルスの対応に当たると13ドルが支払われる。
「政府は、こうした女性たちに多くの重要な医療サービスの提供を期待していながら、正当な報酬を支払っていません。また、今回のような命に関わる病気の最前線で働く人々に、適切な防護具を支給するのは人として当然のことです」と、「進歩的な医師と科学者のフォーラム」会長で医師、活動家でもあるハルジット・シン・バッティ氏は訴える。(後略)【6月6日 NATIONAL GEOGRAPHIC】
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“「バラの花びらも拍手もいりません。私たちに必要なのは、防護具と人道的な勤務時間です」と、医療専門家同盟のラジェシュ・バーティ氏は言う。”【同上】