孤帆の遠影碧空に尽き

年に3回ほどアジアの国を中心に旅行、それが時間の流れに刻む印となっています。そんな私の思うこといろいろ。

「ベルリンの壁崩壊」の主役は?

2009-11-10 22:09:40 | 国際情勢

(ベルリンの壁を越えようとして命を落とした人々のメモリアル 総数192名 写真の一番手前が最後の犠牲者Chris Gueffroy 死亡したのは1989年2月 “flickr”より By http2007
http://www.flickr.com/photos/http2007/1344875533/)

昨日11月9日ブログ「ベルリンの壁崩壊から20年  政治指導者の思惑を超えた時代の流れ」
http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20091109)に引き続き、ベルリンの壁崩壊の話。
壁崩壊の「主役」がだれだったかなど、当時の関係者の話がいろいろ報じられており、歴史を振るかえるとき興味深いものがあります。

【「彼は共産主義崩壊も壁崩壊も望まなかった」】
辛辣なのは、ワレサ元ポーランド大統領。
ワレサ元ポーランド大統領(66)は9日、ポーランドの民放テレビで、ゴルバチョフ旧ソ連大統領(78)を「彼は共産主義崩壊も壁崩壊も望まなかったのに、ウソがまかり通っている」とこき下ろしたそうです。【11月10日 毎日】
祝賀式典に同席するふたりですが、そこまで言って大丈夫なのでしょうか。
まあ、ふたりともすでに政治の表舞台にはいませんので、問題ないのでしょう。

【ソ連:市民の行動を「妨害しないよう」指示】
ソ連・ゴルバチョフ旧ソ連大統領が“壁崩壊を望まなかった”のは確かにそうでしょうが、ただ、崩壊の時点において、敢えてその動きに抗せず、事態を悪化させなかった・・・ということはあるのかも。

****ベルリンの壁:崩壊直後「ソ連軍の動員中止させた」元外相****
シェワルナゼ元ソ連外相(前グルジア大統領)はベルリンの壁崩壊から9日で20年になるのを前に、トビリシで毎日新聞の単独インタビューに応じた。
元外相は壁崩壊直後、東独駐留ソ連軍と市民が衝突し「第三次世界大戦の引き金になりかねない」と懸念。ゴルバチョフ最高会議議長(当時)と協力し、ソ連軍に市民の行動を「妨害しないよう」指示したことを明らかにした。事実上支配下にあった東独の危機にソ連が介入を自制、ドイツが平和裏に統一されたことが改めて裏付けられた。
元外相や旧ソ連外務省関係者によると、壁崩壊2日前の89年11月7日、在東独ソ連大使館から「情勢が悪化している」と当時外相のシェワルナゼ氏に連絡があった。東ベルリンでは100万人規模の民主化要求デモが起こっていた。壁崩壊後の10日、詳細な現地報告を受けた同氏は「ソ連軍が駐留しており、市民を攻撃すればソ連とドイツの戦争になり、第三次世界大戦の引き金になりかねない」と危機感を強めた。そこでゴルバチョフ議長とも協力、11日に駐東独ソ連大使に電話し「駐留軍司令官に軍の動員中止を命じよ」と伝えた。大使はこの内容を司令官に電話で伝えた。駐東独ソ連大使は10日、「未明に(ベルリン中心部の)ブランデンブルク門周辺に軍が動員された」とシェワルナゼ氏らに伝えた。大使は「東独軍」のつもりだったが同氏は「駐留ソ連軍」と勘違いしたとみられる。
実際には東独軍は動かず、ソ連軍もロシア革命記念日(11月7日)前後の6~13日、慣例で郊外の兵舎に引き揚げ、市内に入ることは禁じられていた。
ただ、当時、東独には約36万人のソ連軍が駐留しており、市民と衝突する危険は潜在的にあったとされる。【11月10日 毎日】
***************************

後から公表される関係者の言動は、自分に都合のいいように脚色されることも多いので、必ずしも当時の正確な事実と一致しない場合もあります。
ただ、壁が崩壊した1989年という年は、中国北京で6月に天安門事件が起きた年でもあります。
天安門事件のような不幸な結果にならなかったことについては、東独政府やソ連の対応もある程度関係しているところでしょう。中国のような対応をとる力がすでになかった・・・というのが実際のところだとしても。
メドベージェフ露大統領は「壁崩壊と独統一に果たしたソ連の役割は決定的だった」と語っています。

【英仏:民主主義を守ってきた自負を強調】
一方、式典でサルコジ仏大統領やブラウン英首相は「あなた方が壁を崩した」などとドイツ国民を持ち上げる一方で、それぞれ仏英が欧州の民主主義を守ってきた自負を強調したとか。
それはそうなのでしょうが、当時の英仏指導者はサッチャー英首相にしても、ミッテラン仏大統領にしても、壁の崩壊、ドイツ統一を望んでいなかったというのも昨日ブログで触れたところです。
クリントン米国務長官は「ドイツの壁の両側の人々、特に勇敢に立ち上がり、自由と権利をつかみ取った人々を回想したい」と述べています。【11月10日 毎日】

なお、サルコジ大統領は「自らも20年前にベルリンに飛んでいって、市民と一緒に壁を崩した」との体験をネットで披露していますが、様々な矛盾が浮上、つくり話では、との疑惑を招いているとも報じられています。【11月10日 朝日】

【メルケル首相:旧東独の民主化運動を称賛】
一方、メルケル独首相は「危険を冒し、街に出て自由を求めた多くの人々の勇気をたたえる」と演説し、旧東独の民主化運動を壁崩壊の主役として称賛しています。
メルケル首相は式典に先立つ9日午後、旧東独の民主化運動指導者だった約100人を、東西通過地点だったベルリン北部ボーンホルマー橋でのイベントに招いています。

もちろんドイツだけでなしとげたものではなく、メルケル独首相も“英紙フィナンシャル・タイムズに、「ポーランドの結束が大きな推進力となった」と語り、自主管理労組「連帯」が東欧の民主化に向けて果たした役割を称賛。また、オーストリアとの国境を開き、多数の旧東独市民を西側に脱出させる機会を作ったハンガリーについても、「その貢献は決定的な意味を持った」と強調した。ルーマニアについても「劇的な大衆運動が展開された」などと述懐した。”【11月10日 産経】と、周辺国の関与の大きさに言及しています。

【主役は民衆】
上記産経記事は、冷戦終結に道を開いた84年のサッチャー元英首相とゴルバチョフ氏の初会談に同席したジェフリー・ハウ元英外相の「あの時誰一人として次に何が起きるかを予測することはできなかった。米英仏ソの首脳より大衆が主要な役割を果たした。」との発言を紹介しています。
昨日ブログでも書いたように、人々の思いが政治指導者の思惑を超えて時代を動かした・・・といったところでしょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベルリンの壁崩壊から20年  政治指導者の思惑を超えた時代の流れ

2009-11-09 21:26:33 | 国際情勢

(1989年11月の壁崩壊当時の様子 “flickr”より By antaldaniel
http://www.flickr.com/photos/antaldaniel/2912118873/)

【「先見の明をもって世界を主導した」】
ベルリンの壁が崩壊して20年。現地では各国首脳が参加しての祝賀式典が行われます。
****ベルリンの壁:崩壊20年記念式典 ゴルバチョフ氏ら参加*****
ベルリンの壁が崩壊して20周年にあたる9日、ベルリンでメドベージェフ露大統領、クリントン米国務長官、ゴルバチョフ元ソ連大統領ら各国要人が参加し、祝賀式典が開かれる。メーンイベントとして壁の断片をかたどり、壁跡地に並べられた約1000個の巨大ドミノを倒す行事が行われる。最初の「一押し」はポーランドの民主化を主導したワレサ元大統領が受け持つ。
ドミノ倒しは、壁崩壊から「ドミノ倒し」のように東欧、ソ連で民主化が進んだことにちなんだ行事。ドミノは、発泡スチロール製で高さ約2.5メートル、重さ20キロ。「平和」などの文字と共にカラフルに塗られたドミノの列は、ポツダム広場からブランデンブルク門まで約1.5キロ続く。8日夜には、大勢の観光客が見物に訪れた。【11月 9日 毎日】
******************************

これに先立ち、先月31日には、当時の米ソ独首脳だったブッシュ元米大統領(85)、ゴルバチョフ元ソ連大統領(78)、コール元独首相(79)が31日、ベルリンに集まり、ケーラー独大統領が3氏が果たした東西ドイツ統一への貢献をたたえたそうです。
式典主催財団は、この3氏が「壁崩壊後、先見の明をもって世界を主導した」と称賛。大衆紙ビルトは3氏を「統一の父たち」と呼んでいるとも。【10月31日 毎日】

【誤発表がもたらした壁崩壊】
よく知られているように、壁の崩壊自体は、ある意味偶然というか東独担当者のミスが誘発したものでした。
東独市民が西側に大量脱出、デモの頻発で東独の国家は麻痺状態に陥るといった混乱状況にあって、11月9日、東独政府は外国への旅行の自由化を決議しましたが、その内容は、「11月10日から、ベルリンの壁をのぞく国境通過点から出国のビザが大幅に緩和される」というものでした。

しかし、事情をよく把握しないままこれを発表した当時の東ドイツ社会主義統一党のスポークスマンだったギュンター・シャボウスキーが、「全ての国境通過地点から出国が認められる」「直ちに」と発言してしまいました。
この記者会見は夕方のニュース番組において生放送され、これを見ていた東西両ベルリン市民は壁周辺に集まりだしました。

21時頃には東ベルリン側でゲートに詰めかける群衆が数万人にふくれあがり、門を開けるよう警備隊に要求。
何も指示を受けていない国境警備隊は対応に苦慮しますが、結局群衆の勢いに抗することができず、0時前に門が開けられました。
本来は正規の許可証が必要でしたが、混乱の中で許可証の所持は確認されることがなかったため、許可証を持たない東ドイツ市民は歓喜の中、大量に西ベルリンに雪崩れ込み、あとはもうお祭り騒ぎとなりました。

こうした偶然によってもたらされたものではありますが、それに先立つ東独内の政治混乱をまねいた時代のうねり、人々の熱気が、人々を壁へと向かわせ、国境警備隊に強権的な対応をとらせなかったとも言えます。
その意味で、時代の流れがもたらした必然であったとも言えるかと思います。

ベルリンの壁の崩壊によって、事態は東西ドイツ統一へ一気に進み始めます。
ここでもまた、その動きは当時の政治指導者の思惑を超えたものでした。
結果的に、東西ドイツの経済格差を是正することなく実現した早急な統合は、今もその格差問題という難題をドイツに課していますが、そのような統一に向かわせたのも、やはり“時代の流れ”とも言うべきものでしょう。

【東西ドイツ統一を望まなかった英仏首脳】
公開された当時の外交文書によれば、英仏首脳は東西ドイツ統一を快く思っていなっかたようです。
壁の崩壊に象徴される西側の勝利を導いたヒロインであると称賛されているサッチャー英首相は、1990年3月、フランスの駐英大使に「フランスと英国は、手を取り合って新しいドイツの脅威に向かうべきだ」と語っています。

また、壁崩壊の2か月前、サッチャー英首相は冷戦時代の敵であったソ連のゴルバチョフ書記長に「英国も西欧もドイツの再統一を望んではいない。戦後の勢力地図が変わってしまうことは容認できない。そんなことが起こったら国際社会全体の安定が損なわれてしまうし、われわれの安全保障を危うくする可能性がある」と語り、西欧の同盟国たる西ドイツの「統一という野望」をくじく手助けをするよう、暗に協力を求めています。

西ドイツのコール首相の親友であり盟友であると見なされていたミッテラン仏大統領も、壁が崩壊した1989年、ドイツ統一を予期していなかったし、支持もしていなかったようです。
ミッテラン大統領の側近アタリ氏は、壁崩壊の1か月後にゴルバチョフ大統領の側近とキエフで会談し、ソ連が東ドイツ側の再統一運動を阻止するために介入しなかったと不満をもらしています。
サッチャー首相の側近のメモによると、1990年1月、ミッテラン大統領はパリで行われた夕食会で、サッチャー首相に「統一ドイツは、ヒトラー以上の力を持つかもしれない」と漏らしたとも。【11月4日 AFPより抜粋】

最近のEU大統領選出にあっては、結局ドイツ・メルケル首相とフランス・サルコジ大統領の意向で決まる動きのようですから、サッチャー首相が感じた“ドイツの脅威”は現実のものでもあったのかも。

【プーチン首相「壁崩壊は歴史的に不可避の出来事だった」】
ポーランドの民主化、ベルリンの壁崩壊から“ドミノ倒し”となって東欧の民主化・ソ連崩壊へと突き進んだ流れを、当のロシアはどのように見ているのでしょうか。

****ドイツ民族分断、誤りだった=「ベルリンの壁」崩壊でロシア首相****
ロシアのプーチン首相は8日の同国民間テレビNTVのインタビューで、1989年11月の「ベルリンの壁」崩壊は歴史的に不可避の出来事だったとの見方を示し、「そもそも最初からドイツ民族を分断してはならなかった」と語った。
同首相は、ソ連時代に国家保安委員会(KGB)将校として東ドイツで勤務していた当時を振り返り、ベルリンの壁でドイツが分断されていたため、「不自然で非現実的な印象を受けた」と指摘。壁崩壊は「起こるべくして起こった。民族分断を続けることにはいかなる歴史的展望もなかった」と述べた。【11月9日 時事】
***********************

このインタビューで、当時の東独での生活を懐かしく語ったプーチン首相は、「(東西統一後の)ドイツの発展をわれわれは目にしているし、新たな基盤の上に良好な関係を築いていることを幸せに思う。いかなる郷愁もそれをしのぐものでは、もちろんない」とも語っています。

あまり本音のようには思えませんが・・・。
ロシアでは、東欧の民主化・ソ連崩壊を当時のゴルバチョフ大統領の弱腰のせいとして、彼を批判的に見る空気が一般的とも聞きます。
もし、そのときプーチンがソ連大統領の地位にあったら、歴史は変わっていたでしょうか・・・。

壁が崩壊した1989年11月、プーチン首相がいたドレスデンのKGB支部にもデモが押し寄せたそうですが、「群衆に、われわれのいる建物はソ連軍に属し、協定に従ってわれわれにはドレスデンに駐在し、任務を遂行する権利があることを説明した。しばらくしてデモは解散したが、当時は全体的に嵐のような、動乱の時代だった」と語っています。

なお、やはり東独で生活していたメルケル独首相は壁崩壊の当日、いつものようにサウナへ行っており、“サウナの後、友人とバーへビールを飲みに行ったが、その店を出たところで西ベルリンになだれ込む大群衆に押し流され、自分たちも西ベルリンに足を踏み入れた”そうです。【11月8日 AFPより】

人々の熱気に突き動かされて、ときに時代は指導者の思惑を超えて動くこともある・・・そんなことを思わせる“ベルリンの壁崩壊”とその後の一連の動きでした。

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アフガニスタン  警察官が英兵を射殺、ISAF誤爆で軍・警察犠牲・・・広がる混乱

2009-11-08 13:46:55 | 国際情勢

(死亡した国連職員の遺体を見送るスタッフ “flickr”より By United Nations Photo
http://www.flickr.com/photos/un_photo/4074631231/
国連は5日、タリバン勢力による先月28日の国連施設攻撃で5人の外国人スタッフが死亡したことを受け、数百人の外国人スタッフを退避させる方針を明らかにしました。国連スポークスマンによると、現地に展開している約1100人の外国人スタッフのうち、600人前後を配置転換して、一部は国内のより安全な地域に移動し、残りは国外に出るとのことです。)

【カルザイ政権と国際社会の溝】
アフガニスタンの大統領選挙については、アメリカなど国際社会が嫌がるカルザイ大統領に強いる形で決選投票実施に持ち込んだあげく、アブドラ元首相のボイコットによって、結局カルザイ大統領の無投票再選が決まるという混乱の様相を呈しました。

もともとアメリカなどは、カルザイ政権の汚職・腐敗体質、統治能力の欠如には批判的で、カルザイ政権側にはそうした国際社会の批判に対する反発がありましたが、今回の騒動で両者の溝が更に深まったことは確実です。

****「国際社会の内政干渉」アフガン外務省が非難*****
アフガニスタン外務省報道官は7日、「我が国新政権への国際社会による関与は、内政干渉の域に達している」と国連や欧米を非難する異例の声明を発表した。
アフガンでは、再選が確定したカルザイ大統領が新政権の組閣を進めているが、声明は、欧米や国連が「人事案などにも圧力を加えている」と指弾している。
国際社会は、大統領選で明るみに出たカルザイ大統領陣営の不正に批判を強め、5日には国連アフガン支援団(UNAMA)代表のカイ・エイダ氏(ノルウェー人)が「復興支援継続は汚職撲滅などと無縁ではない」と語って、続投するカルザイ政権をけん制していた。
外務省声明はこうした批判に反論したもので、新政権と国際社会のひずみが早くも浮き彫りになっている。【11月8日 読売】
*******************************

両者の間に深い溝があっても、アフガニスタンに介入を続ける以上、アメリカ・国際社会としては現地政権の正統性を主張せざるをえませんし、カルザイ政権としても、外国勢力の支援なしにはタリバンの攻勢に対処できないという現実にあって、両者の関係は切るに切れない状態にあります。

【アフガニスタン警察が英兵を】
そんな政治状況の混乱と軌を一にするように、現場での混乱も多く伝えられています。

****警察官が英兵5人を射殺、アフガニスタン*****
アフガニスタン南部ヘルマンド州の検問所で3日、アフガニスタン人の警官が英国部隊に向けて発砲し、英兵5人が死亡、6人が負傷する事件があった。警官は逃走した。
事件があったのはナド・アリ地区で、国際治安支援部隊(ISAF)に参加する英国軍兵士の大部分がここに駐留している。殺された5人は同国警察の訓練にあたっており、検問所に寝泊まりしていた。
ゴードン・ブラウン英首相は、ロンドンの議会で、反政府武装勢力タリバンが犯行を行ったと主張していることを明らかにし、「タリバンが(犯人の)警官を利用したか、またはアフガン警察に潜入していた可能性がある」と述べた。

今回の事件は、各国の政府と軍がISAFによるアフガニスタン警察の訓練を戦争の出口戦略として推進する中、同国で8年間続いている戦争がますます複雑な様相を呈していることを物語っている。
これにより、2001年10月にアフガニスタンへの駐留を開始して以来の英兵死者数は229人となった。うち少なくとも193人が敵対行為により死亡している。今年に入って任務中に死亡した英兵は94人(アフガニスタンで93人、イラクで1人)となり、1982年のフォークランド紛争以来最悪となっている。【11月5日 AFP】
*************************

記事にもあるように、アフガニスタンの軍・警察の能力を高めることが、外国勢力にとって、泥沼からの“出口”と考えられているだけに、治安当局へのタリバン勢力の浸透は大きな衝撃です。
日本も、アフガニスタン警察官約8万人分の給与について半額負担を続けており、日本のアフガニスタン支援策の中心施策でもあります。

イギリスでは、この事件以前から、アフガニスタンからの撤退を求める厭戦気分が世論に広まっていました。
***7割がアフガン撤退望む=死者増大で厭戦気分-英調査****
英民間テレビ局チャンネル4が5日夜放映したアフガニスタン政策に関する世論調査結果で、英国民の73%が「1年以内の駐留英軍の撤退」を望んでいることが分かった。うち即時撤退を主張する人は35%と、2週間前の同様の調査より10ポイント上昇した。
また「反政府勢力タリバンとの戦いに勝利できる」と答えた人はわずか33%で、2週間前(42%)より大幅に低下。一方、「勝利はもはや不可能」との回答は57%に上った。【11月6日 時事】 
**************************
今回の事件が示す現場の混乱ぶりは、こうした厭戦気分をさらに強めることが想像されます。

【ISAFがアフガニスタン軍・警察を】
上記事件はアフガニスタン警察によるISAF兵士殺害ですが、逆に、ISAF誤爆によるものではないかと思われるアフガニスタン軍・警察の死亡という事件も起きています。

****アフガン軍兵士ら8人が死亡、ISAFが誤爆か****
アフガニスタン国防省は7日、北大西洋条約機構(NATO)が主導する国際治安支援部隊(ISAF)の誤爆により、アフガン国軍の兵士と警察官の計7人が死亡したと発表した。
ISAFは4日から行方不明になっている米兵2人の捜索活動を行っていた6日、武装勢力との間で交戦となった。
ISAFによると、アフガン軍で働く民間人1人も死亡したほか、アフガン兵18人と米兵5人が負傷。これら犠牲者が空爆によるものかどうかは調査中としている。【11月8日 ロイター】
*********************

戦闘現場が混乱しているのは当然のことではありますが、こうして並べると「大丈夫かな・・・」という感もしてきます。
かねてからアメリカ・ISAFの誤爆による民間人犠牲を批判しているカルザイ大統領も、更に批判を強めそうな事件です。

【戦争疲れ】
一方、アメリカでは、テキサス州フォート・フッド陸軍基地で5日、精神科医のニダル・マリク・ハサン少佐(39)が銃を乱射し、13人が死亡、30人が負傷した事件がありました。
この事件は、軍におけるイスラム教徒の役割といった問題もありますが、01年の同時多発テロ以降、アフガニスタン、イラクでの戦いに明け暮れてきたアメリカの「戦争疲れ」を感じさせるものがあります。

****米基地内乱射 「戦争疲れ」が気になる*****
今年5月、バグダッドの米軍基地でも米兵が銃を乱射し他の米兵5人が死亡している。帰還米兵らの団体によると、この時点で意図的な友軍殺害事件がイラクで5件起きていた。
5月の事件についてマレン米統合参謀本部議長は、何度も戦地へ派遣されるストレスを背景として指摘した。すでに8年に及ぶ米軍のアフガン攻撃、03年から6年半に及ぶイラク駐留は、前線のみならず米国内の基地にも大きな負担を強いている。
しかも負担は重くなる一方だ。兵員不足を補うべく国防総省は兵士の従軍期間を従来の1年から15カ月に延長し、休息の期間も2年から1年に短縮したという。兵士の自殺者も増えている。ベトナム戦争時の暗い空気が米国を覆い始めているようだ。(後略)【11月7日 毎日】
*******************

【見えない出口】
オバマ政権は、住民の安全対策を重視するアフガン駐留米軍のマクリスタル司令官と、大規模増派に反対するバイデン副大統領との折衷案として、増派される兵力を人口集中地域への重点配備する考えとも伝えられています。
タリバンを、アメリカへの直接的な脅威はないとして完全に掃討することは断念し、国際テロ組織アルカイダへの攻撃を強化する考えとも。【10月29日 産経より】
しかし、住民の安全対策、ひいては民主国家の建設という旗を捨てて、アルカイダ掃討のために国土を蹂躙するというのであれば、アフガニスタン国民は外国勢力をどのように見るのでしょうか。

政治・現場の混乱、蔓延する戦争疲れ、世論に広がる厭戦気分・・・・
アフガニスタンの事態を好転させるためには増派が求められていますが、ベトナム的な泥沼も強く懸念されます。
大統領選挙で再選されたカルザイ大統領は、タリバンの「兄弟たち」に、「家に戻り、国を愛する」よう呼び掛けたそうですが、今の状況では・・・。
選択肢の幅は狭く、「悪い事態」と「さらにもっと悪い事態」の選択しか残されていないようにも見えます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カンボジア・タイ  タクシン元首相問題で大使召還、国境封鎖も

2009-11-07 14:53:53 | 国際情勢

(フン・セン首相夫妻 カンボジアのタ・プロム遺跡 “flickr”より By serge.corrieras
)

【腫れものに触るような日米関係論議】
普段世界各地から報じられるニュースは概ね何らかのトラブル絡みのものですから、そこで繰り広げられる外交関係は“リング中央で足を止めて打ち合う”ような激しい(場合によっては武力行使を伴うような)ものが殆どです。

そうした外交関係を目にしていると、日本で昨今話題になっている日米関係に関する議論、特に自民党サイドからの「日米関係の重要性を一体何と心得る・・・」といった類の議論には違和感を覚えます。
別に、鳩山政権を含めて、誰も日米関係をないがしろにする考えはありませんし、日米関係なしに日本が立ち行かないのも自明のことです。

ただ、主権国家どうしの関係ですから(それを“対等”と呼ぶか“普通”と呼ぶかは別にして)、お互いの主張はオープンにして、そのうえで妥協点を探ればいいだけの話です。(外交ですから、自国主張が100%とおることはありえません。何らかの、時には苦渋の譲歩も必要になります。)
最初から相手のご機嫌を損ねないようにとの腫れものに触るような議論は、いかがなものか・・・との感じがします。

【リング中央での打ち合い】
“リング中央で足を止めて打ち合う”ような関係のひとつが、最近のカンボジアとタイの関係です。

****カンボジア、タクシン氏の顧問任命発表 タイの反発必至****
カンボジア政府は4日、汚職罪で有罪判決を受け、海外逃亡中のタイのタクシン元首相をカンボジア政府の経済顧問に任命したと発表した。フン・セン首相の私的顧問にも任命するという。タイ政府は各国に対し、タクシン氏を犯罪人として引き渡すよう求めており、反発は必至だ。
発表によると、フン・セン首相の提案を受けたシハモニ国王が10月27日に任命を認める勅令に署名した。ただ、タクシン氏の了承が得られているのかどうかは不明だ。

フン・セン首相は先月23日に、東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議に出席するため訪れたタイで、06年の軍事クーデターで追放されたタクシン氏に顧問就任を要請するアイデアを披露。タイ政府やタイのメディアが強く批判していた。
両国は、国境にある世界遺産のクメール寺院周辺の領有権をめぐって対立を続けており、今回の発表で関係がさらに悪化するのは確実だ。
フン・セン首相は、タクシン氏がタイの首相に就任する前からの友人とされ、クーデター後もかばう発言を繰り返している。【11月5日 朝日】
************************

先日の2日ブログ「カンボジアとタイ  タクシン元首相の処遇で確執 望まれる地道な関係改善」
http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20091102)でも取り上げた話題で、そのときは「カンボジアが実際にタクシン氏を経済顧問として迎えることなどはないでしょうし、フン・セン・カンボジア首相の言動はタイ側をからかっている悪乗りにも思えますが、そうした発言が出てくるのは、冒頭に述べたような両国間の対抗心があるからです。」なんて書いたのですが、フン・セン首相、本当にやっちゃいましたね・・・。

タクシン元首相は、過去にカンボジアで携帯電話事業などに投資し、フン・セン首相とは近い関係にあって、フン・セン首相は元首相を「永遠の友人」と呼んでいるそうです。
汚職で有罪判決を受け海外逃亡中のタクシン元首相はインターネットを通じ、カンボジア政府の任命書を受け取ったことを明らかにし「フン・セン首相に感謝する」と語っているそうです。【11月5日 毎日】

“任命書を受け取った”というのは“要請を受ける”ということでしょうか?
タクシン元首相がいくらアピシット現政権と対立しているとはいえ、民族的な対抗心が強く、国境のヒンズー教遺跡「プレアビヒア」の領有問題で衝突しているカンボジア側に与することが、タクシン元首相の利益になるのでしょうか?
当然、反タクシン派は“売国奴”的なレッテルを貼って、今まで以上に激しく攻撃してくるでしょうし、タクシン支持者の理解が得られるのでしょうか?

【本格的な外交紛争へ】
タイとカンボジア間には犯罪人引き渡し条約がありますが、カンボジアはタクシン元首相が入国してもタイへの引き渡しを拒否する構えです。
タイ政府は5日、駐カンボジア大使の本国召還を発表。これを受けてカンボジア政府も同日、駐タイ大使の召還を表明。タクシン元首相を巡る両国の対立は、本格的な外交紛争に発展しつつあります。

****タイ:カンボジアに報復 共同開発合意破棄「国境封鎖も」****
タイのカシット外相は6日、カンボジアがタクシン元タイ首相を政府経済顧問に任命したことへの報復措置として、両国間で結んだ海洋地下資源の共同開発に関する合意を破棄すると表明した。アピシット・タイ首相も同日、カンボジア側がタクシン氏の任命撤回などに応じなければ、さらに強硬な対抗措置を取る考えを示した。国境地帯の領有権問題を背景にカンボジアのフン・セン首相が仕掛けた両国間の対立は、泥沼化する様相を見せている。
カシット外相が破棄を表明した合意は、タクシン氏が首相だった01年に結ばれた。両国沖の未画定となっている境界の画定をめざし、海底の天然ガスなどの地下資源共同開発へ向けて協議を開始するとの内容だが、協議は進展していない。

両国首相は、同日東京で始まった「日メコン首脳会議」にそろって出席している。だが、アピシット首相は、タイ側から首脳協議を申し入れる考えがないことを記者団に明らかにした上で、「(カンボジアの反応がなければ)次の措置を検討する」と強調した。タイのステープ副首相も同日、バンコクで「すべての国境検問所を閉鎖することもありうる」と語り、国境封鎖の可能性に言及した。
両国は昨年から、国境のヒンズー教遺跡「プレアビヒア」付近の領有問題をめぐって関係が悪化。今回の対立は、この問題を背景にカンボジア側が仕掛けた神経戦の色合いが濃い。
フン・セン首相は10月にタイで開かれた東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議の直前に、タクシン氏のカンボジア訪問を歓迎すると表明。今回は、「日メコン首脳会議」の直前に同氏の顧問任命を正式発表した。反タクシン派のアピシット首相と顔を合わせる首脳会議の直前に、タクシン氏の問題を持ち出すことでタイ側に揺さぶりをかけている可能性がある。
だが、泥沼化する対立が、ASEAN全体の協力体制に悪影響を与えるのは必至だ。AFP通信によると、シンガポール外務省報道官は6日、「ASEAN全体の利益を考慮してほしい」と述べ、両国に強く自制を求めた。【11月6日 毎日】
***********************

“カンボジア側が仕掛けた神経戦の色合い”・・・・そんなレベルではないような気もしますが。
大使や外交官の召還とか追放というのは外交関係ではよくある話で、先進国・主要国間でもイギリスとロシアが外交官を追放し合っていますが(最近、縁りを戻す動きがあるようですが)、国境封鎖というのは穏やかではありません。
特に、タイ経済に大きく依存するカンボジア経済にとっては大問題ではないでしょうか。

冒頭で“お互いの主張はオープンにして”とは言いましたが、ここまでくると、和をもって尊しとする日本の風潮・外交感覚からすると“お互い、よくやるな・・・”という感がします。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イラン  シーア派武装組織支援と核問題交渉にみる孤立感と不信感

2009-11-06 22:57:14 | 国際情勢

(30年前、大使館占拠人質事件があったテヘランの旧アメリカ大使館を取り巻く壁 
“flickr”より By pooyan
http://www.flickr.com/photos/pooyan/2230627228/

【レバノン・ヒズボラとイラン】
イスラエル軍は今月4日、キプロス島近くの地中海で、ロケット弾など武器数百トンを積載した貨物船を拿捕しましたが、この武器はイランからレバノンのイスラム教シーア派民兵組織ヒズボラに供与されたものと、イスラエル側は見ています。

****イスラエル:地中海で貨物船を拿捕 武器数百トンを積載*****
発表によると、3日深夜、イスラエルから約180キロ沖合の地中海で貨物船を発見、拿捕した。貨物船はドイツの船会社所有で、カリブ海の島国アンティグア・バーブーダの国旗を掲げていた。積んでいた約400個のコンテナのうち、36個からロケット弾や迫撃弾、対戦車砲などが見つかった。一般貨物を装っていたという。
コンテナはエジプトで荷積みされたが、書類から出港元はイラン国内と判明。ロイター通信は運航関係者の話として、貨物船がエジプトからキプロス、レバノン、トルコに寄港して再びエジプトに戻る予定だったと伝えた。軍によると、乗組員は積荷の内容を知らなかったという。

イスラエルのネタニヤフ首相は「イスラエル市民を標的にする武器の供与だ」と非難、摘発された事例はイランが支援する武器密輸の一部にすぎないと指摘した。イスラエル軍は02年、イランがパレスチナを支援しているとして、武器約50トンを積載した船を紅海沖で拿捕した。今回押収した武器の量はこの約10倍ともいわれている。【11月5日 毎日】
************************
イスラエル首相府のレゲブ報道官は「(今回の摘発で)イランに幻想を抱いてきた国々が目を覚ますよう期待している」と述べています。
一方、ヒズボラは5日、関連を否定。貨物船を臨検したイスラエル軍を「海賊行為も同然」と批判しています。【11月5日 毎日】

ところ変わって、アラビア半島のイエメン。
イエメン北部で04年に始まったイエメン政府軍とイスラム教シーア派ザイド派民兵の戦闘が今年8月に拡大し、15万人もの避難民が発生しています。
このザイド派民兵組織掃討のため、隣国のサウジアラビアが初めて本格的な越境作戦に乗り出したことが報じられています。イエメン政府、サウジアラビアともにスンニ派です。

【イエメン・ザイド派とイラン】
****イエメン空爆、民兵ら40人以上死亡 サウジアラビア軍*****
サウジアラビア軍は4日から5日にかけ、イエメン北部のイスラム教シーア派のザイド派拠点を空爆した。ロイター通信などによると、同派の民兵ら40人以上が死亡した。民兵組織掃討のため、隣国のサウジが初めて本格的な越境作戦に乗り出した可能性がある。
サウジ、イエメン両政府は詳細を発表していないが、ザイド派民兵側によると、サウジ空軍機がイエメン領空に越境し、ミサイルなどを撃ち込んだという。AP通信によると、サウジ軍特殊部隊もすでにイエメン領内に派遣され、サウジ側国境付近の町には避難命令が出されたという。AFP通信はサウジ治安筋の話として、陸軍による地上侵攻もあり得るとの見方を伝えた。
3日夜にイエメン側から越境した同派民兵らの銃撃でサウジの国境警備兵2人が殺害される事件があり、サウジ当局が強硬手段に出た可能性がある。

イエメン北部で04年に始まったイエメン政府軍とザイド派民兵の戦闘は今年8月に拡大し、15万人もの避難民が発生している。ザイド派民兵側は最近、イエメン政府軍との戦闘の末、北部山岳地域を掌握したと発表。サウジ当局は危機感を募らせていた。スンニ派のサウジ、イエメン当局は、ザイド派民兵組織がシーア派大国イランの支援を受けていると批判している。【11月6日 朝日】
***************

【孤立感と猜疑心】
事の真偽はさだかではありませんが、両方の話に共通するのが、シーア派武装組織(ヒズボラ、ザイド派)に対する、シーア派イランの支援という構図です。

イランは隣国イラクにおけるシーア派組織への武器提供も行っていると言われています。
イラクはイランの隣国であり、戦争を戦った相手でもありますので、そのイラクの混乱に乗じて自国の影響力を高めたいとイランが考えるのは、ある意味自然なことではあります。

ただ、レバノンのヒズボラ、更にはイエメンのザイド派となると(報じられているようにイランが支援しているというのが真実ならの話ですが)、「なぜイランはそんなに各国のシーア派武装組織を支援するのか?」という素朴な疑問を感じます。

イスラムの中では少数派の「シーア派」という宗教的つながりによるものでしょうか。
もちろんそれもあるでしょうが、イランの孤立感、外国への猜疑心が、国外でのシーア派組織支援の背景にあるようにも思えます。

イスラム革命で政権を掌握したイランは、外部の国家(イスラエルや欧米諸国、更にはアラブ・スンニ派諸国)が自国イランに敵対し、隙あらばイスラム革命の成果を否定しようと虎視眈々と狙っている・・・という被害妄想あるいは根拠ある考えに強く囚われているように見えます。

周りはみな敵で、自分たちをつぶそうとしている・・・と身構えており、イランへの“敵国”の侵略を許さないための予防線として、各国でシーア派組織による戦端をひらき、その地域への自国影響力を高めようとしているのでしょうか。
シベリア出兵といった外国からの干渉を受けた革命後のソ連がやはり外国への猜疑心を強め、周辺国での革命支援に精を出したのと似たようなところもあります。

【「米国の表面的な融和姿勢にはだまされない」】
そのイランの核問題をめぐる交渉は正念場を向かえています。
国際原子力機関(IAEA)は、イランの低濃縮ウランを国外で核燃料に加工するとした草案を提起しました。
IAEAの草案では、3.5%の低濃縮ウラン1200キロをロシアに運び、医療用ラジオアイソトープを製造する実験炉の核燃料として利用できる20%にまで濃度を高め、その後、フランスが燃料棒に加工する・・・となっています。

この草案に関しては、当初、アフマディネジャド大統領が歓迎の姿勢を示したと報じられました。
****イラン大統領、米などへの対決姿勢を軟化 核開発計画****
国営テレビの生放送でアフマディネジャド大統領はいつもの強硬姿勢から一転し、「燃料の交換、核協力、発電所と原子炉の建設を歓迎する。われわれは協力する用意がある」と語り、欧米諸国のイラン政策が「対決から協力」に変わったことでイランは協力できるようになったと指摘した。

イラン政府は長い間、ウラン濃縮停止を求める国連安全保障理事会の呼びかけに耳を貸さず、欧米諸国と対立を続けてきた。アフマディネジャド大統領は欧米諸国はこれまでイランにすべてを止めさせようという姿勢をとってきたが、いまは燃料交換、核開発協力、原子力発電所や原子炉の建設について話し合うようになり、「対立から協力」に変わったと述べた。その結果、「核協力の条件は整った」としている【10月30日 AFP】
****************

しかし、その後、低濃縮ウランの国外搬送を一度に行うのでなく、段階的に輸送することや、テヘランの実験炉向けの核燃料を同時に受け取ることの要求などの、イラン側の草案の根幹にかかわる修正要求が報じられています。
こうしたイラン側の対応からは、アフマディネジャド大統領の“歓迎発言”にもかかわらず、イラン保守層指導者には欧米への不信感が根強く存在し、おいそれとIAEA草案にのれない・・・そうした状況が窺われます。

イランの最高指導者ハメネイ師は3日、1979年11月に起きた在テヘラン米大使館占拠事件から4日で30年になるのを前に演説し、「米国の表面的な融和姿勢にはだまされない」と述べ、米国との関係改善には同国の具体的な行動が必要との考えを改めて表明しています。

一方、クリントン米国務長官は10月31日、イランが低濃縮ウランを国外に移送し加工する構想に難色を示していることについて、「忍耐は最後に限界が来る」と強い不快感を表明。
また、オバマ大統領は「イラン政府が、過去に焦点を合せるか、あるいはより大きな好機と繁栄、そして国民の正義に向かって扉を開くための選択をするかを決定すべき時期に来ている」、「イランは選ばなければならない。われわれは30年にわたってイランの反論を聞いてきた。いまの問題は、彼らが今後どうするかだ」と述べています。

イラン側の欧米不信感と、欧米側の苛立ちがぶつかるなかで、交渉はまとまるのか、決裂するのか・・・。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ネパール  なお続く非毛派連立政権と毛派の対立による混乱

2009-11-05 22:11:51 | 国際情勢

(カトマンズの路上市場の様子 私の印象では、カトマンズの朝市に並ぶ野菜など食糧は決して豊富とは言えず、タイ・ベトナムなどの溢れかえる商品の山に比べると、貧しささえ感じました。
もちろん、“たまたま”だったのかもしれませんので、自分の見た断片から全体を判断するのは誤解のもとでもありますが。
“flickr”より By ellievanhoutte
http://www.flickr.com/photos/ellievanhoutte/3995142858/

【カトマンズ国際空港占拠も計画】
今日は、普段取り上げられることが少ない、ネパールの政局の話題。

****ネパール:毛派が全国で反政府デモ*****
ネパール共産党毛沢東主義派(毛派)の支持者が2日、ヤダブ大統領に対する抗議デモをネパール全土で開始した。各地の役場前などに集結、連立政権の解体などを訴えた。10日にはカトマンズ国際空港占拠も計画しており、混乱が予想される。
ネパールは昨年5月、王制から共和制に移行し、新首相に毛派のプラチャンダ氏が選出された。だが、毛派民兵の国軍編入を巡り、これに反対する他の連立与党と対立し、プラチャンダ氏は今年5月に辞任していた。【11月3日 毎日】
*************************

上記記事の最後にある、王政から共和制への移行、ネパール共産党毛沢東主義派(毛派)政権の成立、そしてその混乱のあたりまでは、ネパール情勢についてもしばしばニュースで見かけたのですが、ここ5ヶ月ほどメジャーなメディアで取り扱われることがなく、上記記事を見て、「ああ、そう言えば、ネパールはどうなっていたのだろうか・・・」と思った次第です。

【毛派政権成立とその崩壊】
ネパールでは、共産党毛派が96年、王制打倒を目指して武装闘争を開始。
06年4月、当時のギャネンドラ国王の強権政治に対する主要政党による抗議運動によって、国王は下院を復活せざるを得なくなりました。これを受け、新政権と毛派が制憲議会選挙の実施などで合意。
06年11月、両者が和平協定に署名して10年間に及んだ内戦が終結しました。

その後、毛派と各政党の協力で選挙の実施や王制廃止などが実現しました。
毛派は08年の制憲議会選挙で“思いがけず”勝利して第1党となり、連立政権を組織。
プラチャンダ議長が08年5月、新生ネパールの初代首相に選出されました。

しかし、それまで武装闘争を行ってきた毛派への各政党・国軍の不信感は強く、毛派政権は行き詰まりを見せます。
最大の問題は、約1万9千人の毛派軍兵士の扱い。
毛派が、毛派軍兵士全員を国軍に統合させる方針を示したのに対し、毛派に嫌悪感を抱く国軍はこれを拒否。
国軍としては、正規軍がかつての武装組織にのっとられるようなものですから。
国軍は、毛派以外からの新兵募集を強行し、毛派はこれに激怒。

毛派は、かねて毛派政府の意向を無視し続け、クーデターの企ても報じられた国軍トップのカタワル陸軍参謀長の解任を決めましたが、これに連立政権の他の与党がいっせいに反発。
ヤダブ大統領も陸軍参謀長解任を取り消す措置にでます。

毛派プラチャンダ首相は、こうした“反毛派”の動きに反発する形で、今年5月、辞任を表明。
毛派政権は8ヶ月で崩壊しました。
プラチャンダ首相の辞任については、“毛派側は参謀長の解任決定によって軍部から反発を買っており、首相の辞任で軍との全面衝突を避けた”との見方もありました。

その後の連立協議の結果、全24党のうち毛派などを除く22政党の合意で、第3党の「ネパール共産党マルクス・レーニン主義派」(UML)のマダブ・ネパール上級幹部が首相に選任されます。
この間、毛派は各地で抗議デモを展開し、毛派議員が大統領の謝罪を迫って開会中の暫定議会を妨害するなどの行為もあり、かつての内戦状態へ戻ってしまうのでは・・・との懸念も出ていました。
毛派は新政権成立後も、6月に入るとゼネストをかけて、政権を揺さぶります。
一部でデモの参加者らが暴徒化し、首都カトマンズの機能が完全に麻痺する事態になりました。

一方の新政権も内紛続きで、先行きが危ぶまれる状況に。
****ネパール政権、発足2週間で内紛 与党の一部が支持撤回*****
ネパールの新政権が発足から約2週間で、早くも内紛に陥っている。閣僚の選任をめぐる対立から連立与党の一部が5日、政権への支持撤回を表明。一方、政権を降りた共産党毛沢東主義派(毛派)は抗議デモを繰り返し、揺さぶりを強めている。

地元紙などによると、マダブ・ネパール首相は4日夜、与党第3党「マデシ人民の権利フォーラム」幹部のガッチャダル氏を副首相兼公共事業相に任命した。連立参加への論功行賞とみられ、同フォーラムのヤダブ議長の頭越しの人事だった。怒ったヤダブ議長は5日、連立離脱を表明。ガッチャダル氏をはじめ幹部7人を除名した。ただ、同フォーラムの一部はガッチャダル氏側につくとみられ、政権は過半数を維持できる見通し。
与党第1党のネパール会議派でも、連立合意のもう1人の立役者、コイララ元首相が政治経験の少ない長女の外相起用をごり押しし、幹部が公然と反発。与党第2党の統一共産党も内部対立で入閣メンバーが決まらない状態だ。5月23日の政権発足以来、10閣僚が任命されたが、うち6人は担当省庁が決まらない異例の事態になっている。
一方、毛派は街頭デモを活発化させている。5日に全国で一斉に幹線道路を封鎖するストを実施。首都カトマンズでは、首相府へ向かおうとした毛派のデモ隊と警官隊が衝突し、毛派幹部を含む数人が負傷した。【6月6日 朝日】
*************************

【毛派軍兵士の処遇問題】
上記記事を最後に、ネパール情勢に関する記事を見なくなりました。
冒頭毎日記事を見ると、非毛派連立政権に毛派が街頭行動で揺さぶりをかけるという情勢はあまり変わっていないようです。
おそらく憲法制定のプロセスも停滞しているのではないでしょうか。
“10日にはカトマンズ国際空港占拠も計画しており”・・・タイの反タクシン派の騒動以来、空港占拠が流行るようです。

いずれにしても、内戦状態に戻ることだけは避けなければなりませんが、そのためには“毛派軍兵士の処遇問題”に道筋をつける必要があります。
内戦後の武装組織メンバーの社会復帰をどのように確保するかは、ネパールに限らず、社会安定のカギになります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミャンマー  キャンベル米国務次官補 スー・チーさんと会談

2009-11-04 20:52:05 | 国際情勢

(ヤンゴンの街角 今年3月 手前の子供の顔が白く塗られているのは、ふざけている訳ではなく、タナカという木の粉を顔に塗るミャンマーの風習です。日焼けを防止し、清涼感が得られるとのことで、多くの女性や子供が行っています。
“flickr”より By judithbluepool
http://www.flickr.com/photos/74399150@N00/3455037197/)

【アメリカ 軍事政権との対話の本格化】
ミャンマーを訪問したキャンベル米国務次官補(東アジア・太平洋担当)らは4日、ヤンゴンのホテルで、民主化運動指導者アウン・サン・スー・チーさんと約2時間会談しました。

****米次官補、スー・チーさん初会談 軍事政権との対話意図説明か*****
米国のアジア政策の責任者であるキャンベル氏がスー・チーさんと直接顔を合わせるのは初めて。軍事政権との対話を始めた米国の政策変更の意図をあらためて説明、対ミャンマー制裁解除問題などについて意見を交わしたとみられる。【11月4日 共同】
*****************************

キャンベル次官補らは、ミャンマーのテイン・セイン首相とも会談しています。
米政府高官のミャンマー訪問は、95年のオルブライト国連大使以来14年ぶり。
キャンベル氏は今回の訪問目的について「実情調査」と説明していますが、国際社会はオバマ政権による軍事政権との対話の本格化と受け止めています。
一方、ミャンマー民主化グループからは、性急な軍事政権との関係改善を危惧する声も上がっているようです。

****ミャンマー:米高官が訪問へ 関係改善の成果は未知数*****
政治・経済制裁を軸としたブッシュ前米政権の強硬姿勢は、軍事政権の孤立化を招き、ミャンマーに対する中国の極端な影響力増大や、軍事政権と北朝鮮の関係強化をもたらした。オバマ政権の政策転換にはこれらへの反省があるとみられる。
一方、軍事政権にとっても米国との関係改善は、来年に予定される総選挙の結果を国際社会に認めさせるための追い風になる。

だが、米国との関係改善が始まった後も、軍事政権は民主化や人権問題で本質的な譲歩には一切応じていない。スー・チーさんに対しては米国人侵入事件を利用して軟禁を延長し、総選挙に関与させない姿勢を明確化。9月の恩赦でも重要な政治犯は釈放せず、少数民族武装組織への軍事的圧力も強めている。
スー・チーさんは9月、それまでの軍事政権との対話拒否姿勢を転換し、制裁解除に向け政権に協力すると表明した。スー・チーさんの真意は不明だが、米国の政策転換で自身が取り残されたまま政権と国際社会の関係改善が進みかねないとの危機感から、態度を軟化させざるを得なかったとの見方もある。

タイを拠点とする反軍事政権系誌「イラワディ」のアウンゾウ編集長は最新の評論で、「(軍事政権に特使を派遣してきた)国連外交はほとんど成果を上げられなかった」と指摘。交渉術にたけた軍事政権が米国の態度軟化に応え、どれほど意味のある妥協姿勢を示すか疑問だと警告した。【11月2日 毎日】
***************************

【中国・北朝鮮に近づくミャンマー】
ミャンマーと中国の接近ぶりを示すニュースとして、昨日こんなものもありました。
****中国、ミャンマーと結ぶパイプライン着工*****
AP通信は3日、中国の国有石油大手の中国石油天然ガス(CNPC)の話として、同社がミャンマー(ビルマ)と中国雲南省を結ぶ石油、天然ガスのパイプライン建設に着工したと報じた。中国にとって、マラッカ海峡経由で海上輸送している中東産の原油を陸路輸送するルートを確保する重要な事業となる。
CNPCのホームページによると、10月31日に着工を宣言する式典が開かれた。完成すれば全長771キロ、年間輸送量は約1200万トンに達するという。【11月3日 朝日】
*************************

ミャンマーと北朝鮮の関係については、北朝鮮がミャンマーを核関連を含む兵器取引の中間基地として活用しており、最近は北朝鮮の主な兵器関連企業がミャンマーで活発な活動を展開しているという主張がアメリカ議会で提起されています。
****北朝鮮はミャンマーを兵器取引基地に利用、米議員*****
米国のエド・ロイス下院議員は21日、下院外交委員会で開催された公聴会で、ミャンマーが米国に対し安保上の脅威を与える5つの理由を挙げながら、「北朝鮮がミャンマーを利用している」と指摘した。
ロイス議員は、北朝鮮が兵器と輸出禁止品を移転するためミャンマーの港湾や小型飛行場を利用しており、この夏に米国がミャンマーに向かっていた北朝鮮の貨物船に対し憂慮したのもそのためだと述べた。また、ミャンマーが核開発計画に利用されかねない技術を購入したとし、改めて核コネクション疑惑を提起した。
このほか、北朝鮮の兵器会社1社がここ数か月間、ミャンマーで活発に活動してきたことや、核関連の目的があるともいわれるミャンマー首都近隣の広範囲な地下通路の建設を北朝鮮が支援しているとの報道も、脅威の理由として挙げた。

一方、ロイス議員の主張に対し、キャンベル国務次官補(東アジア・太平洋担当)は「北朝鮮とミャンマー間の協力要素がある」と述べ、否定しなかった。国家安保問題において最も懸念されることは、北朝鮮とミャンマーの軍事分野での協力、その他の分野での協力の可能性と関連があるとし、両国の軍事協力に対する米国の懸念を重ねて表明した。【10月22日 聯合ニュース】
***************************

オバマ政権によるミャンマー軍事政権との対話の本格化という政策転換は、こうした国際関係を憂慮してのものでもあります。

【「長期戦」】
“米政府は当面、現行の経済制裁の緩和については「軍政が主要な懸念に対処した場合のみ協議に応じる」(キャンベル氏)との方針だが、軍政の行動次第では(1)米企業による直接投資の解禁(2)臨時代理大使の大使への格上げ――など関係改善の「アメ」があり得ることも示唆し、具体的な行動を求めると見られる。”【11月2日 朝日】とのことで、アメリカ政府は「長期戦」も念頭に、軍事政権の出方を慎重に探る姿勢とも。

一方、アメリカ政府の新政策を受けてミャンマー軍政は10月初め、アウン・チー対話調整担当相とスー・チーさんとの対話を1年9カ月ぶりに復活させました。また、10月下旬の東南アジア諸国連合(ASEAN)関連の首脳会議では、テイン・セイン首相が、スー・チーさんの対応次第では軟禁措置を緩和する可能性に言及したとされています。

***************
(スー・チーさん率いる国民民主連盟)NLD広報官のニャン・ウィン氏も2日、朝日新聞に「事態は間違いなく動き出している」と述べた。
だが、ミャンマーの地元紙記者は「米国が求めるスー・チーさんらの解放は、軍政が(来年に予定される)総選挙で負ける危険性を高めるので不可能だ。このギャップを埋める策を両国が持ち合わせているとは思えない」と楽観論を打ち消す。
スー・チーさんの解放なしに国際社会が納得する可能性は低いうえ、米国内では「対話のテーブルに着けば最も卑劣な体制に正当性を与えることになる」(野党共和党議員)などと拒否反応も根強い。早期の見返りを期待する軍政との対話は曲折も予想される。【11月2日 朝日】
**************************

ミャンマー軍事政権の最高指導者、タンシュエ国家平和発展評議会議長は国内出張中でネピドーにはいないとされ、キャンベル氏との会談は行われない見込みです。
このことからも、今回すぐに軍事政権が実質的な譲歩に応じる可能性はないと思われます。
また、来年総選挙前にスー・チーさんの政治活動を回復させることも考えられません。

しかし、新たな流れが生まれていることも事実であり、この流れをより太く確実なものにしていく努力は惜しむべきではないでしょう。
軍事政権側も、ここで成果を示すことが国際社会復帰へのほとんど最後の機会と考えて対応してもらいたいところです。

今月15日には、シンガポールで米国と東南アジア諸国連合(ASEAN)の首脳会議が開かれますが、この会議にミャンマーからはテイン・セイン首相が出席すると報じられています。
こうした場を通じて、対話が積み重ねられることを望みます。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パレスチナ側に譲歩促すクリントン米国務長官 和平交渉進展は望めず

2009-11-03 21:19:10 | 国際情勢

(ガザの今年1月の写真ですが、単にふざけあっているのか、どういう状況の写真かは全くわかりません。
“flickr”より By  freedom!!!!
http://www.flickr.com/photos/free_world/3195551220/

【「市民のことなど考えていない」 パレスチナ分断】
パレスチナでは、ファタハを率いるアッバス自治政府議長が、来年1月に自治政府の選挙を実施すると発表したことにハマスが反発し、エジプトが仲介するファタハとハマスの和解協議が難しくなっていることは、10月25日ブログ「パレスチナ  ハマスの和解案留保にアッバス議長“揺さぶり”、事態は混迷」
http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/d/20091025)で取り上げたところですが、結局、期限とされていた26日までにハマスがエジプトの仲介に応じず、協議は一旦頓挫した形となっています。

この事態に、パレスチナはヨルダン川西岸とガザの分断状態が固定化しかねない危機にさらされています。
背景として、ハマス内部の意見の分裂、ハマス幹部を保護するシリアの影響も指摘されています。

****パレスチナ和解協議、頓挫 ハマス仲介に応じず*****
「イスラエルに対する抵抗権を明記しない限り、署名には応じない」。ハマスは従来の主張を繰り返すだけで、拒否の理由について詳細を明らかにしていない。
ガザのパレスチナ人記者の間では、ハマス自体が内部分裂し、意見調整ができなかったという見方が出ている。ハニヤ首相を軸としたガザの指導部と、政治部門最高指導者のメシャール氏を中心としたシリアの保護を受けている在外指導部との間で、エジプト提案に対する見解が分かれているというものだ。
07年6月の分裂以降、ハマスが支配するガザはイスラエルの境界封鎖によって経済状況は悪化の一途。昨年末に始まったイスラエル軍による大規模攻撃で、さらに拍車がかかっている。
ガザの指導部は、困窮脱出のためには米欧が支援するファタハと和解し、国際社会からの援助が欠かせないと考える幹部も多い。だが、メシャール氏らはイスラエルへの強硬姿勢を崩さず、意見が割れているという。メシャール氏の意見にはシリアの意向が強く働いているとされる。
一方で、「ガザの指導部も海外から運び込んでくる金のおかげで困っていない。ガザを支配することに執着し、市民のことなど考えていない」といった声もガザでは上がっている。

一方のファタハは、和解案に応じないハマスへの非難を強めている。
「ガザ住民の多くが(イスラエルの攻撃で)ホームレスになり困窮生活を送っているが、彼らは一向に気にしていない」。パレスチナ自治区ラマラで24日に開かれたパレスチナ解放機構(PLO)の中央評議会で、アッバス議長はハマスを激しく批判した。
さらに「ハマス自体に決定権がないことが問題。外部の力の差配によるものだ」とも述べ、間接的な表現ながら強い影響力を行使しているとされるシリアやイランにも批判の矛先を向けた。

そのアッバス議長は23日夜に自治政府の議長(大統領)と評議会(国会に相当)の選挙を当初の予定通り来年1月に実施すると発表。ハマスは選挙が和解協議の重要課題であり、合意なしに実施することは「信義違反だ」と激しく反発した。
ただ、議長が本気で選挙を実施しようとしているのか疑う声は強い。選挙を強行しても、ハマスが実効支配するガザでの実施は、ハマスが同意しない限りは「事実上不可能」(自治政府職員)。ヨルダン川西岸とガザ、(東)エルサレムで実施すると定めている選挙法も骨抜きの形になり、選挙自体の正統性に疑問符がつきかねないからだ。
アッバス議長による選挙実施の発表は、ヨルダン川西岸とガザの「分断固定化」というパレスチナにとって最悪となるシナリオを提示したうえで、ハマスに和解を迫る「危険な賭け」との見方も強い。エジプトの仲介を軸にさらに和解の可能性を探るとみられる。【10月27日 朝日】
***********************

“ガザの指導部は、困窮脱出のためには米欧が支援するファタハと和解し、国際社会からの援助が欠かせないと考える幹部も多い”ということが、唯一の救いでしょうか。
政治目的のためにガザ住民の生活を犠牲にするような姿勢は、1日も早く解消してもらいたいものです。

【アメリカ 入植凍結を求めない方針】
パレスチナ側がこうした分断状況にあっては、イスラエルとの和平交渉などは望むべくも無いところですが、10月31日、ネタニヤフ・イスラエル首相と会談したクリントン米国務長官は、中東和平交渉を無条件で再開すべきだと表明、イスラエルの入植活動凍結を前提とみなすアッバス・パレスチナ自治政府議長と距離を置く姿勢を鮮明にしています。
オバマ米政権はこれまで、イスラエルの入植活動の全面凍結を求めてきていましたので、方針転換が窺われます。

****米国務長官:入植活動凍結「前提でない」 中東和平交渉*****
クリントン米国務長官は31日夜、訪問先のエルサレムでイスラエルのネタニヤフ首相と共同会見し、停滞する中東和平交渉を巡り、パレスチナ自治政府が要求するイスラエルの占領地ヨルダン川西岸での入植活動の凍結は「(交渉再開の)前提でない」と言明した。長官は「重要なのは協議に入ることだ」と述べ、仲介役として、交渉再開を優先する姿勢を明確にした形だ。

オバマ米政権は入植問題について、これまでイスラエルに「完全凍結」を要求。パレスチナはこれを支えに、凍結しない限り交渉再開に応じない姿勢を堅持してきた。一方、イスラエルは既に着工・承認済みの住宅建設を除く「部分凍結」を譲らず、折衝は暗礁に乗り上げていた。
パレスチナは米国が今回、イスラエルに譲歩したと反発を強めており、事態打開にはなお曲折がありそうだ。
クリントン長官は会見でイスラエルの「部分凍結」方針について、入植を制限する「前例のない提案」と評価。さらに、パレスチナが入植凍結を交渉再開の「新条件」にしたと批判するネタニヤフ首相に同意し、「(凍結が)前提になったことはない」と述べた。

一方、クリントン長官はエルサレム訪問に先立ち、アラブ首長国連邦でアッバス・パレスチナ自治政府とも会談した。議長はこの際、入植凍結が交渉再開の前提であるとの考えを改めて強調していた。
クリントン長官はこの後、国際会議出席のためモロッコを訪れ、アラブ諸国とも協議する。【11月1日 毎日】
**************************

【できない譲歩】
アメリカは、住宅の新規着工だけを一定期間凍結するというイスラエルの妥協案によって、交渉の早期再開を目指す方針ということですが、「完全凍結」を交渉再開の前提条件として要求するアッバス議長側に譲歩を促すものです。
しかし、議長選を来年に控え、ハマスとの対立が激化しているアッバス議長サイドは、入植問題で譲歩できる状況にはありません。

国連人権理事会でのガザ攻撃に対するイスラエル非難決議案でも、アメリカに強いられて譲歩したとの猛批判を浴びて、議長側近が「(延期に同意したのは)間違いだった」と釈明する事態に追い込まれ、結局、自治政府は「早期採択」へ翻意するという醜態を演じたばかりですからなおさらです。

それを承知でのクリントン米国務長官の発言ですから、アメリカとしては、中東和平交渉の当面の進展をあきらめた・・・というところではないでしょうか。
もとより、イスラエルは右派のネタニヤフ首相、パレスチナは分裂状況・・・ということで、誰も進展があるとは思っていなかった和平交渉ではありますが。

パレスチナでも、アフガニスタンでも、住民不在の政治が続きます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カンボジアとタイ  タクシン元首相の処遇で確執 望まれる地道な関係改善

2009-11-02 21:49:49 | 国際情勢

(クラスター爆弾の被害者でもあり、その禁止運動を行っているカンボジア男性 “flickr”より By ANZ Cluster Munition Coalition
http://www.flickr.com/photos/anzclusters/2510737655/)

【「フン・セン首相はASEANの目的を考える必要がある」】
隣接するタイとカンボジアは言語も近く、カンボジアの人に訊くと、タイのTV番組を観ていても大体理解できるとも言います。
そのように文化的に近いということは、これまで長い歴史において深い関係があったということであり、それはまた、争いも絶えなかったということでもあります。

そんな歴史的に争ってきたということに加えて、タイが東南アジアの地域大国として経済成長を遂げたのに対し、カンボジアはポル・ポトの内戦に苦しみ、結果、両国には大きな経済格差が生じていることも、両国の関係をぎくしゃくしたものにさせています。

両国は国境のヒンズー教遺跡「プレアビヒア」付近の領有を巡り対立、死者も出る小競り合いも起こしていますが、最近話題になっているのは、タイのタクシン元首相をめぐる、フン・セン・カンボジア首相の言動です。

クーデターでタイを追放されたタクシン元首相は、国有地をめぐる汚職で有罪判決を受け、現在、中東ドバイなどで逃亡生活を送っていますが、いまだタイ国内を二分する影響力を持っています。
その国家分断状況はアピシット現政権にとっては最大の国内問題であり、元首相の拘束・収監に躍起になっています。

一方、タクシン元首相は、過去にカンボジアで携帯電話事業などに投資し、フン・セン首相とは近い関係にあって、フン・セン首相は元首相を「永遠の友人」と呼び、いつでも訪問を受け入れると語っています。

****カンボジア首相:「タクシン・タイ元首相を経済顧問に」****
一連のASEAN関連首脳会議出席のため23日夕、フアヒンに到着したカンボジアのフン・セン首相は記者団に「タクシン・タイ元首相を経済顧問として迎える用意がある」と語った。
これに対しタイのアピシット首相は「フン・セン首相はASEANの目的を考える必要がある」と述べ、地域協力機構であるASEAN会議を前にした首相の言動を非難。元首相をめぐる両国の対立は、ASEAN全体の協力関係にも影を落としかねない情勢だ。

フン・セン首相は「もし(06年の)クーデターがなければ、タクシン元首相がタイを離れることはなかった」と述べた。さらに元首相をミャンマー民主化運動指導者、アウンサンスーチーさんと比較し、元首相も迫害の被害者との見方を示すなど、発言をエスカレートさせた。
タイとカンボジアは国境のヒンズー教遺跡「プレアビヒア」付近の領有を巡り対立。カンボジアは国境問題をASEANで協議したい意向だが、タイは「2国間関係であり国際会議にはなじまない」と拒否している。フン・セン首相はタイ政府をけん制するため、意図的に発言を過激化させている可能性もある。【10月23日 毎日】
***************************

タクシン元首相がカンボジアを訪れているとのうわさは絶えないそうで、フン・セン・カンボジア首相はタクシン氏に邸宅を贈ることも表明しています。
アピシット・タイ首相は、タクシン氏がカンボジア入りした場合は身柄を引き渡すよう要求。「関係を改善するつもりがあるのか。ボールはカンボジア側にある」と発言していますが、フン・セン氏が応じる様子はないとも。【11月2日 産経より】

【共同体ASEAN 道はるか】
カンボジアが実際にタクシン氏を経済顧問として迎えることなどはないでしょうし、フン・セン・カンボジア首相の言動はタイ側をからかっている悪乗りにも思えますが、そうした発言が出てくるのは、冒頭に述べたような両国間の対抗心があるからです。

やはり文化的・言語的に近いマレーシアとインドネシアの間でも、マレーシアが経済的に優位にあってインドネシアから多くの労働者を受け入れていることから、微妙な関係があります。
ベトナムは社会主義国で独自路線を歩んでいますし、同じ社会主義一党独裁のラオスは、鎖国をしている訳でもありませんが、ニュースになることもあまりなく、一体何をしているのかよくわからない国です。
ミャンマーに至っては悪評高い軍事政権・・・・というように、共同体を目指すとされているASEAN内の国々は、あまりまとまりがいいとは言い難い状態です。

ヨーロッパでは、EUがリスボン条約をクリアして政治統合に進み、初代大統領にブレア元英首相がなれるのか、いや難しそうだといった議論が賑やかですが、ASEANのほうは道はるか・・・といった感があります。

【カンボジア政府のオスロ条約署名延期】
ところで、貧困が解消できていないカンボジアでは、クラスター爆弾の不発弾を、生活の糧としてくず鉄拾いしている人が多く、今なお多くのクラスター爆弾による犠牲者が出ています。
被害国カンボジアはこれまで積極的にクラスター禁止運動に取り組んできました。フン・セン首相も「最もあってはならない兵器」と非難し、07年、世界で初めてクラスター禁止のための地域会議を開催しています。
しかし、昨年12月、クラスター爆弾禁止条約署名式が開かれたオスロで、カンボジア政府は突然、条約署名を延期しました。

“突然の署名延期の背景には、その直前に発生した隣国タイとの領土紛争が影響したとの見方が強い。昨年10月、両国は国境にあるヒンズー教寺院の領有を巡り武力衝突し、双方に死傷者を出した。「小国カンボジアはタイ、ベトナムの両地域大国に挟まれ、両国は禁止条約に署名していない」。政府関係者はそうささやいた。”【11月2日 毎日】

タクシン元首相をどうこうといった話より、こうした現実の解消に向けた地道な努力を関係国には望みたいものです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アフガニスタン  更に混迷を深める大統領選挙

2009-11-01 20:19:39 | 国際情勢

(8月の選挙前、カブールの街角に溢れた選挙ポスター この国の命運を託すに足る政治家は・・・ “flickr”より By TheNewYorkTimes
http://www.flickr.com/photos/thenewyorktimes/3788427461/)

【ボイコット】
混迷するアフガニスタンの大統領選挙について、昨日からアブドラ元外相の決戦投票ボイコットの可能性が報じられていましたが、今日、本人からボイコットが発表されました。
7日に予定されている投票自体は予定どおり行われるとのことですが、今後の先行きはますます不透明になっています。

****アフガン大統領選決選投票、アブドラ氏がボイコット表明*****
アフガニスタンの大統領選の第1回投票で2位のアブドラ前外相は1日、現職のカルザイ大統領との間で争う決選投票のボイコットを表明した。カルザイ氏寄りとされる選挙管理委員長の退任やカルザイ派の閣僚の更迭などの要求が満たされなかったためとしている。アブドラ氏のボイコットで、決選投票の実施が危ぶまれ、アフガンの政治情勢がさらに混迷を深める懸念も広がっている。【11月1日 朝日】
****************************

これまでカルザイ大統領とアブドラ元外相の連立協議も続けられてきましたが、成果が出せず、また、アブドラ元外相サイドからの独立選挙委員会委員長更迭などの要求も容れられなかったことによるとされています。

“第1回投票で選挙違反がまん延したことからアブドラ氏はカルザイ大統領に対し、同大統領が任命した独立選挙委員会(IEC)の委員長の退任と、カルザイ陣営に参加した4閣僚の停職を求めている。アブドラ氏は26日に記者会見で要求を明らかにしたが、カルザイ大統領とIECはおざなりな反省を示したに過ぎなかった。
カルザイ陣営に近い筋によると、両陣営の間で交渉が行われ、決選投票後にアブドラ氏の支持者が政府に入り、権力を分担する可能性が模索された。しかし、アブドラ氏側が閣僚ポストなどで大きな要求を出したため、カルザイ氏側は受け入れなかったという。”【11月1日 AFP】

カルザイ大統領の優位が予想される決戦投票にあって、アメリカ政府も「新政府発足前に新戦略の策定は可能」とカルザイ大統領再選を見越したことで、アブドラ元外相サイドが反発。決選投票のボイコットを示すことで、カルザイ大統領側に要求を認めるよう、アメリカに圧力をかけさせる狙いもあったとも報じられています。
しかし、アラブ首長国連邦に滞在中のクリントン米国務長官は31日、アブドラ元外相がボイコットした場合について「選挙の正当性に影響するとは思わない」と述べ、ボイコットがあってもアメリカ政府が決選投票の結果を受け入れるとの見通しを示しています。【10月31日 毎日より】

より直接的には、“アブドラ氏は選挙資金が不足しているうえ、初回投票よりも得票が下回ると予想されていることから、「選挙戦から降りるかもしれない」との見方も示していた。”【10月31日 朝日】という事情があります。

8月に行われた選挙前には、カルザイ大統領を見限っているアメリカは、決戦投票になれば対立候補を支援する・・・との見方もあったようですが、そのアメリカからも期待した支援が得られず、資金もなく、勝ち目の無い選挙から降りた・・・といったところのように思われます。

【救いの無い国民不在の政治】
それにしても、現カルザイ政権は汚職と腐敗が横行し、選挙となると不正が大規模に行われる。対立候補は、第1回投票結果でのカルザイ大統領勝利を認めず、連立にも参加せず、やっとのことで動き出した決戦投票もボイコットする・・・というのでは、彼等政治家は一体この国の混乱をどうするつもりなのか・・・という暗澹たる気持ちにもなります。

アフガニスタン国民の不幸は、まっとうな指導者を持ち得なかったことにあり、タリバンのような反政府勢力が力を増すのも仕方がないのかも・・・とも思われます。
べトナム戦争当時の南側での腐敗と混乱を思い起こさせるものがあります。

*****アフガニスタンの児童労働、4人に1人******
アフガニスタンでは多くの子どもたちが、読み書きを覚えるのもそこそこに、家計を助けるために働いている。午前中働き、午後に学校に行く子もいる。そうした子どもたちの家族は、約30年にもわたる国内の混乱でパキスタンなど周辺国に流出し、最近帰国した難民たちだ。
じゅうたん1枚を織って子どもたちが得られる賃金は、店頭価格よりもずっと安い12,000~13,000アフガニ(約21,700~23,600円)で、できあがったときに支払われる。

アフガニスタンは国連の「子どもの権利条約」を批准しており、憲法でもその他の国内法でも子どもの権利が保護されているが、2007年の国連児童基金(ユニセフ)の発表によると、実際には7~14歳の子どもの4人に1人が労働に従事している。アフガニスタン独立人権委員会では、首都カブールだけで約6万人の子どもが働いていると推計している。【11月1日 AFP】
**********************

“午前中働き、午後に学校に行く子もいる”・・・・学校に行ける子供はまだ恵まれたほうではないでしょうか。
タリバンの勢力が強い地域では、特に女子児童の教育はどうなっているのでしょうか?
テロや戦乱に巻き込まれて命を落とす子供は?
国内の混乱で十分な医療を受けられずに失われる命は?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする