「うーむ。我と我が身ながら、よくもこんなに堅くなってしまったものだ」人気の無い本堂に、微かに物を削る音がする。呟きは、舜義上人の納まった、ガラスケースの中からだ。
即身成仏となり、妙法寺に眠る舜義上人が幾多の歳月を経て、再びこの世に戻り出た時を想像しての入定だったが、数百年も後に、己の悟り違いに気づいた。
自然界の法則に忠実な生き方をし、また衆生を説き歩いた己が、生きながら石棺に入るという、全く以て自然に反する最後の形をとったのである。万物、リサイクルの世の中、どんな生物も、己の死は他の生への恵みであり、それが自然界の法則と、心得ていたはずであった。
せめてもの慰めは、図らずも衆生の仏心を起こす役に立っていると思えることだ。
舜義上人は、人々の出入りが無くなる日暮れを待って、少しずつ我が身を削ることに精を出した。念力は、僅かばかりの速度で身を崩していった。
「うむ、昨夜もほんの僅かしか削ることが出来なかったな。この分だと、後五十年や百年はかかるかもしれない。それにしても、何れは影も形も無くなる時が、必ずくるだろう」
塵となって虫の餌になる時が、必ずくるだろう。塵となって虫の餌になる時が、本当の己の最後と悟った。
今日も、数人の善男子、善女人が跪いた。気味悪そうに見る者。怖そうに拝む者。中には、上人の本当の心を読もうとする者。
一切の雑念を払い、身を堅くして、悟られぬよう鎮座した。
「平安な心、良心を欺かず、念ずれば現ずる。自然の恵みに感謝・・・どうぞお線香を」
妙法寺の住職が、いつものように言った。
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