現代人は贅沢の影響などナイナイと言う割に、では何故
現状に不満が多いのかという矛盾を解決できない恐るべき盲目です。
贅沢のできなかった江戸時代の人々が不幸だったかというと、そんな事はない、むしろ
人情・愛情という人間の最も高尚な精神的能力を失わせるものは贅沢や快楽なのです。
贅沢が呼ぶワガママとは愛情の対極にある自己中心の事です。
人間が機械と向き合うようになりコミュニケーション能力を失い、美食でしか心の空白を埋められないようになれば、必然的にかなりの速度で自己中心が勢いを増してきます。
1986年
子供達がファミコンに興じていた頃社会はまだ健全だった。
僅か20年で人間がここまで堕落した事は人類史上ないだろう。
加速する人心の荒廃 2026年の日本は恐らく生きる価値もない。
今の内に死んで行く若者は賢いのかもしれない。
いま聡明な目を以って事物に対処すべきです。
日本人が「快楽の影響を知らなかった」など非常にらしくない敗因ですから。
開発途上国に先進国並みの文明が揃えばそこでも病的犯罪が生じる事は自明です。
本来宗教が人間を縛らねばならないが、宗教が砂糖や美食など贅沢にふけっていたり、既に便利の拡大が制御不能の域に達している感もあって、ここで一つ言い切れる事は、人類の歴史はこの先永く続く事はないだろうという事です。