私たちは肉にあって歩んではいても、肉に従って戦ってはいません。(Ⅱコリント10:3)
戦われるのは主である。成るべきは主のご計画であって、組織の力や人の悟りや賢さではない。それは、人は神のご計画のすべてを知らないからである。武器はみことばへの従順である
ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。
というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。(ローマ11:33.36)
サタンの要塞となっているものを暴いて破るのは、聖霊に導かれたみことばの確信であり、まどわしの議論や神の知識をもたない高ぶりを暴露する。すべては神の備えによることである。
私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです。
私たちは、さまざまの思弁と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕き、すべてのはかりごとをとりこにしてキリストに服従させ、(Ⅱコリント10:4~5)
それは、破壊するように見えても神に従順させるためのものであり、サタンの計略をとっ捕まえて、神への従順が教会に完全となるとき、世を罰して神の栄光を現す働きをするものである。
また、あなたがたの従順が完全になるとき、あらゆる不従順を罰する用意ができているのです。(Ⅱコリント10:6)