ルベン族、ガド族、マナセの半部族はカナンの地のヨルダン川の流域まで来たとき、そこ、ヨルダン川のそばに一つの祭壇を築いた。それは遠くから見えるほど大きな祭壇であった。(10)
その大きさは主への感謝と思いを現わしているようである。しかし、その律法に拠らない祭壇は命を脅かすほどの誤解を生むことになった。
イスラエルの子らは、「ルベン族、ガド族、マナセの半部族がカナンの地の国境、ヨルダン川のイスラエルの子らの側の流域に、祭壇を築いた」と聞いた。
イスラエルの子らがそれを聞いたとき、イスラエルの全会衆は彼らと戦おうとシロに集まった。(11)
神より発したものでない祭壇は偶像礼拝となり、それらはイスラエルに多くの死をもたらせて来た歴史があり、彼らはイスラエルの中に偶像礼拝が入り込むことを防ごうと直ぐに動いたのだ。
イスラエルの子らは、ギルアデの地のルベン族、ガド族、マナセの半部族のところに祭司エルアザルの子ピネハスを送った。(13)
部族の族長10人も同行して、主に対する裏切り行為は、その偶像礼拝の罰がイスラエルにくだる恐れを伝え、彼らのしていることが何であるかを知らせて、祭壇による裏切り行為を止めさせようとした。
あなたがたは今日、主に従うことをやめようとしている。あなたがたは今日、主に反逆しようとしている。明日、イスラエルの全会衆に向かって主は怒られるだろう。(18)
イスラエルは主の民として、その罰がイスラエルのすべてに及ぶことを経験していた。そこで、礼拝の場が必要なら自分たちの所で住み、共に主を礼拝してその守りの中に住むことを勧めた。
ただし、あなたがたの所有地が汚れているのなら、主の幕屋が建つ主の所有地に渡って来て、私たちの間に所有地を得なさい。私たちの神、主の祭壇のほかに自分たちのために祭壇を築いて、主に反逆してはならない。私たちに反逆してはならない。(19)
この言葉は愛深い言葉である。彼らのために自分たちの地を分け合って住むことを提案しているからであり、一方的に正義を振りかざして打ち滅ぼそうとはしなかった。
罪を見聞きした時に早急に責めて排除することは、時に神の敵を喜ばせるばかりである。目に見える証拠がある時もその理由を直接聞くことは、主にある兄弟に対する愛である。
生まれたばかりの神の教会に、初めに聖霊を汚す罪を持ち込んで神を欺いたアナニヤとサッピラに対しても、使徒たちは彼らにその事実を問いただして確認をしている。(使徒5章)
ピネハスたちは自分たちのきよさの中に彼らを誘って、罪を犯さないようにと言葉を尽くした。主のために一つとなって戦って来た神の家族を追求する者は、主に在ってそのことをするのだから、きよくなければならないのである。
イエスは罪の現場から引かれて来た姦淫の女に対しても、「罪のない者が、まずこの人に石をなげなさい」と言われた。
それは過去においても未来においても、キリストだけがすべての罪の代価を支払われる方であり、ただおひとり神に在る罪のさばきと赦しの権威を持っておられる方だからである。
キリスト以外には誰も神に変わって、人をさばく権威を持って居ないのである。この時、ピネハスたちは主の命によって出て来たのではなく、自分たちの見た所によって出て来たのであった。
神で無い身が事の初めから終わりまでを知ることは無く、神のものである家族を責める時は、敵を喜ばせないためにも、まず主にあって分かち合う備えの中で、聖霊の臨在により真実を語り合うなら誤解は解けて行き、御名を崇めて共に主をほめたたえる時となるのである。