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「他人を攻撃せずにはいられない人」 片田珠美

2014年09月17日 | 読書

     

暴言を吐く、支配したがる、けなして自信を失わせる、優しいようで水面下で工作している、一見目立たない人を含めて、あなたの周りにはとんでもない人が隠れているケースがある。本書では、精神科医として「ターゲット」にされて、痛い目に遭った患者たちから聞いた、人を陥れる「攻撃欲の強い人」を事例で紹介。ターゲットの心をどんなふうに壊していくのか、その手法を取り上げて分析する。多くの場合、攻撃される側は、ターゲットが抵抗できないが、それは一体なぜなのか。結果どんな影響を及ぼすのか。はたして、攻撃欲の強い人と、どう向き合い対処すべきか。】


「一般に周囲の人を脅したり、恐怖を与えたりするのは、自分自身が他者を恐れているからである。少なくとも、通常のやり方では他人を自分の思い通りに動かすことはできないと感じているからこそ、恐怖に訴えようとするわけである。このような姿勢それ自体、自信のなさや無力感の裏返しとも言える。自分に自信がなく、周囲との信頼関係を築くこともできず、不安にさいなまれているせいで、自分のほうが優位に立って相手を支配できるように、震え上がらせたり、振り回したりするのである。
このことをきちんと認識して、攻撃欲の強い人は実は臆病な意気地なしなのだという視点から眺めることが必要である。」(p179)

その通りですね。怒る人(攻撃する人)は気の毒なのです。

ではどう対処するか。

「攻撃欲の強い人に支配されて振り回されている関係から早く脱出すること」

そのためには、まずは観察
「耳をすませながら、悪意を含んだほのめかしや挑発にも一切応酬せず、沈黙を守る。挑発に乗ってはいけない。」
・・・いいと思う。
でも、「一連の挑発を冷ややかなまなざしで見守るべき」・・・これは少し異論がある。
できれば”冷ややかな”まなざしではなく、冷静に、慈悲喜捨のまなざしで見守りたい。(気の毒だなあ、苦しいだろうなあ、あなたももっと強く、楽になれたらいいんだけどなあって・・・)。明らかな悪意があれば”挑発”と言えるかもしれないけれど、正しいと信じてやってる場合は”挑発”とは言えないしね。
やられたこちらも悪意をもって見るのなら、自分も攻撃欲の強い人とそう変わらないということになる。

「ちゃんとした話し合いがいつかはできるようになるだろうなどという淡い期待は、早めに捨てた方がいい」
これもそうかもしれない。”話し合い”ができれば、そんな楽なことはない。けれど頑固に自分が正しいと信じている人や自分の弱さを見せたくないという人は、まともに話し合いなどに応じたりしない。
だから自分が何とかして相手を変えよう(自分に変える力がある)などとは思わない方がいい。それは無理なこと。問題は、相手の人間性なのではなく、今起こっている事柄と捉えて目の前のことに対処する方がいい。だから、
「なぜそれを私がしなければいけないのですか」「その話が事実だという根拠はどこにあるのですか」「なぜ、それを私に話すのですか」 などと、穏やかに質問するのはいいと思う
(まあ、自分の都合のいいように答えるか、うるさいと言って逃げるか、逆ギレするかだろうけど、気にすることはないよ)。で、不可能なことは不可能だと伝える。ワタシにはそんな力はありませんって。

「根性曲がりにつける薬はない」
これにも、少し異論が・・・
つける”薬”はあるのです。ただ、この薬は”自分で”つけなければ効かない。人がつけるわけにはいかないのです。 残念ですが、本当にお気の毒ですが、人の言うことに耳を傾けられない人にはどうしようも手がない。
じゃあ、本人が気がつかないうちに、自分で薬をつけようという気になるような手だてはないのか。
自分は悪くない、周りが悪いと思っているのだから、自分をどうこうしようなどとは考えないだろう。

事態は自分次第でよくなるんだという事例を見せ続ける?でも見たくないといって見ない?見ても自分流に解釈してしまっては意味がない?
それでも、いつか気がつくという可能性がまったく”ゼロ”ではないのです。現実を客観的に冷静に見る(あきらめる=明らかに見る)ことは大事だけど、希望を捨ててしまうことはないと思います。

「最良の解決策は、できるだけ避けることである」「できるだけ話さないようにするしかない。ただし、表面上は、礼儀正しくしておくべきである。・・・当たり障りのない話題にとどめておいて、深入りしないことだ」
「攻撃欲の強い人に依存しなくてもやっていけるだけの力つけておくことが必要」
(他人になれる人なら、事態が悪くなってどうしようもないと思ったら関係を絶つことも選択肢のひとつだね。それがお互いにとっていい場合もある。)

当然、どんな場合もどんな人に対しても礼儀は大事です。(表面上だけでなくね・・・


まあ、お釈迦様の教えを学ぶと、人間というものがよく分かります。
それほど違う(新しい)ことはなかったけど、相手ではなく自分が変わる(賢くなる)ことというのは、やっぱりそうだよなあって思いました。


星3つ 

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コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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ティモコさんへ (まる)
2014-09-18 14:21:09
いやですね~
でも、いますね~、いろんなところに。あそこにも、・・・ここにも
育てる気も能力もない、自分だけって人もいるからね^^;
ま、人それぞれ、色んな人がいる、という現実を受け入れましょう。
そして、それを乗り越え、自分の成長の糧にしましょう。オー!!
(と勝手に同志のように・・・^^;)
返信する
こんばんは~ (ティモコ)
2014-09-17 23:07:59
いやですね~
いやですね~
上司に多いですね
部下を育てることと怒って攻撃することは違うのにね。
悩めるリーマン諸君にぜひ読んで元気出してほしい本ですね。
(他のいろんな立場でも応用ききそう)
返信する

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