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自由になりたい(「自由論」 ジョン・スチュアート・ミル著 斉藤悦則訳)

2020年06月04日 | 読書

今の日本の現状(惨状)を知れば知るほど、残念と言うか「あ~あ」と言うか、脱力と言うか、悲しいと言うか、そんな気分になってくるのは、ワタシに執着という煩悩があるからでしょう。日本社会への執着。日本社会の中で生きていく限り、ある程度は仕方がないことかもしれません。

だって人間だもの、、、by相田みつを

しかし、人間だれでも自由になりたいと思っているのではないでしょうか。(依存症の方もいるかも知れませんが)

自由と言うのは、いくつかの選択肢があってそれらを好きに選べるという「選択の自由」ではなく、何か押し付けてくるものから「解放」された自由。言い換えれば「解脱」(執着や煩悩のない心)です。人間という身体をもって生きているのだから、身体(維持すること)からは解放されません。でも、心はできるだけ解放していきたい。

社会に依存(執着)すればするほど自由はなくなります。
自由になりたい、ということは、今は自由じゃないということです。
この社会の中で、どうすればなるべく「自由」でいられるのか。
(一番は瞑想修行マインドフルネス的見方考え方だと思いますが)


1859年に書かれた有名な古典 ジョン・スチュアート・ミルの「自由論」というものを読んでみました。

ミルはこの本の中で、シンプルな原理を明示しています。

>その原理とは、人間が個人としてであれ集団としてであれ、ほかの人間の行動の自由に干渉するのが正当化されるのは、自衛のためである場合に限られるということである。文明社会では、相手の意に反する力の行使が正当化されるのは、ほかのひとびとに危害が及ぶのを防ぐためである場合に限られる。

>物質的にであれ精神的にであれ、相手にとって良いことだからというのは、干渉を正当化する十分な理由にはならない。相手のためになるからとか、相手をもっと幸せにするからとか、ほかの人の意見では賢明な、あるいは正しいやり方だからという理由で、相手にものごとを強制したり、我慢させたりするのはけっして正当なものではない。

本人のみにかかわる部分については、当然ながら、本人の自主性が絶対的である。自分自身にたいして、すなわち自分の身体と自分の精神にたいしては、個人が最高の主権者なのである。

>この原則は、成熟した大人にのみ適用される。


日本社会は個人に対する越権行為(ハラスメント、大きなお世話、押し付け)が多い。
しかも、本当に困ってる弱い人々を助けようという人が少ない。
(弱肉強食、差別的な封建社会の空気がさらに濃くなっているような気が、、、)


いくら”善かれ”と思ったとしても、人に押しつけることはできないし、
何でもかんでも「言うことを聞かない」ことです。

自分で判断して、勝手に(自主的に)やろう。

ただし、

自由になるためには、「成熟した大人」にならなければいけない、ということです。
自由が制限された社会は、人々を「未成熟で幼稚な子ども」だと認識しているのでしょう。
または、個人を見てないのでしょう。(全体主義)


国民は、個人は、成熟した大人にならなくては。

とってもよい本でした。

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