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『「気づきの瞑想」で得た苦しまない生き方』カンポン・トーンブンヌム著 上田紀行監修・序 プラユキ・ナラテボー監訳 浦崎雅代訳

2016年09月11日 | 読書

【カンポン・トーンブンヌム
1955年、タイ・ナコンサワン県生まれ。1977年、アーントーン体育高等専門学校に体育教師として入職したが、2年後、水泳の模範演技中に事故に遭い全身不随に。その後、ルアンポー・カムキエン・スワンノー僧に師事し「気づきの瞑想」を修める。現在、寺院や病院、学校を中心に講演活動を行なっている】

 

心と体は、影響はし合うけれど、別物です。もちろん体=自分、ではない。
体は、たとえばフナッシーの着ぐるみ。マジンガーZ(ロボット)。自動車。。。そうそう思うようになりません。どっちみち古くなって壊れていきます。

体が壊れても、”自分”が壊れるわけではない。心まで壊す必要はない。苦しむ必要はない。それに、体が使えなくなっても瞑想はできます。”息”さえ出来てれば。つまり、生きてさえいればね。

 

瞑想は生き方なので、気楽にやりたいと思います。なので、疲れたら横になります。横になっても呼吸瞑想も手動瞑想(サインみたいなやつ)もできるのです。

カンポンさんは、全身不随で寝たきりになり、呼吸瞑想をしようにもすぐに眠くなって寝てしまうので、わずかに動く手のひらを表にしたりひっくり返したりする方法で、”怠惰による睡眠”に陥らないように工夫しながら瞑想修行をしたそうです。

…他にも、人差し指と親指をこするとか、意識を「今ここ」に取り戻す方法は色々あります。最低呼吸さえできれば瞑想修行はできるし、難しい人は(麻痺してなければ)指先、足先をちょっと動かすだけでもいい。○○が痛い、しびれた等はそれを観察するチャンスなのですが、無理はせず、ちょっと身体を動かすなりしてやわらげればいい。飽きてきたら「飽きてきてるな」止めたくなったら「止めたいと思ってるな」と観察してると、思考も感覚も無常ですから、結構続けられます。続けることが大事なんだと思います。

カンポンさんは、貧しい”船の民”からがんばってやっと体育教師になり、人生これから!と思っていたとき全身不随になって、自分では何もできなくなってしまった。絶望感・・・。”こんな生活なんかしたくない!こんな人生なんかいらない!・・・・「いっそこのまま気が違ってしまいたい」”

しかし、仏教徒である両親の支えもあり、仏教を学び、「気づきの瞑想」を実践することで、すべてを乗り越えることができた。苦しまない生き方ができるようになったのです。
「苦しむ人から、苦しみを観る人」になったのです。

人生は何が起こるかわかりません。先のことは、わからないのです。明日はわが身かもしれません。でも、絶望することはないということがわかります。苦しむこともないのです。 

色んな仕事、勉強、趣味、楽しみがありますが、安全で心を育てお金もかからないのが、瞑想。心を育てるトレーニングです。まあ、何であっても欲が膨らんだり苦しみにならないように、やり方次第、取り組み方次第だと思います。

生まれつきでも途中からでも、五体不満足でも生きてさえいれば苦しまず明るく生きていくことができる。心次第なのです。心も無常ですから、修行(気づき)しさえすれば楽になる。

そして、お世話を”してもらう”ことが、お世話を”する”人の人生を豊かにすることにもなるということも大事です。お世話をしてもらうことは有り難いことですが、お世話させてもらえるのも有り難いことです(徳になりますからね)お互い様なんですよね。

”生きているだけで、丸儲け^^”(by明石家さんま)
何があっても大丈夫だと思えます。 

星5つ  

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