「期待を裏切られたから」と、子ども(小6女児)の頭を丸刈りにした父親が逮捕されたというニュースを聞いた。「しつけの範囲だった」とも言っているとか。
「期待」とは、自分の思うようになればいい、という父親自身の思いです。
娘さんには関係がない。
子どもだろうと誰だろうと、自分の思い通りになれ、言うことを聞け、
というのはハラスメント、暴力です。
「思い」も強いと暴力になる。思うことが暴力になる。
「裏切られた」? 契約してたの?
約束をして(お互いに納得してた?対等な契約?)、
守らなかったら罰を与えるというのは一神教の”神”のすること。
この父親は自分を、天地創造した万能の「神」だと思っていたのか。
「期待」ではなく「愛=大事にする」ことです。やることが逆です。
期待なんかかけちゃいけない。かけられたら苦しいのです。
期待は重荷、重石になります。潰されます。
温かい目で、見守りましょう。
子どもを一人の人として尊重しよう。
よく見たら、期待という言葉は「時期」を「待つ」だ。
見守ろう。あわてないで。
「しつけ」は思い通りになるように軽く押さえておくこと。
これも暴力性を持つ。
必要なのは対話。遊び。ゆとり。
「おしつけ」なんてしちゃいけない。
押さえつけてはいけない。
すくすく伸びるように愛(栄養)を与え、支えてあげるのです。
結局、「言うことを聞け」「自分の思い通りになれ」というのは
エゴであり、
本当の愛=慈悲(自他共に大事にすること)ではないのだと思います。
一時避難的に父親が(とりあえず)逮捕されるのはありだけど、
この父親がなぜこのような暴力をふるうようになったのか、
その背景を明らかにし、自覚し、よりよく変わらなければ問題は解決しません。
父親自身が自分の中にある「インナーチャイルド」の存在を見つめ、
その声を聴いて、救ってあげることも必要だろうと思います。
(父親自身が、言うことを聞けと抑圧されて育ったのかもしれません)
自身のストレスが引き金になったのなら、
ストレスの原因をできるだけ解消できるように、
周りの人とも助け合いながらやっていく必要があるだろうと思います。
みんなで暮らしやすい社会をつくることです。
いずれにしても、「子ども」には何の罪もありません。
いつでも最大の被害者です。
私たち大人も、大なり小なり自分の心の中に傷ついた子どもを抱えています。
「子ども」が安心できる社会にしなければいけません。
大人は子どもを守らなければいけません。
子どもを傷つけてはいけない。
大人は大人にならなくてはいけません。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます