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「困難な成熟」 内田樹

2020年05月29日 | 読書

最近は、YouTube「一月万冊」やTwitterなどを参考に、けっこう本を買っては読んでるのですが、なかなか記録ができていません。内田樹さんの本は昔「寝ながら学べる構造主義」という本を読んでいいなと思って、それから何冊か読みました。

まえがきに、ここだけはぜひ読んで、それから買うか買わないか決めてくださいと書いてあります(買いましたが)。なのでとりあえず、第1章の最初「責任を取ることなど誰にもできない」について、記録しておきます。

第1章 社会の中で生きるということ
  責任を取ることなど誰にもできない (「責任を取る」とは?)

責任問題、色々ありますねえ~。

内田さんは、
「ごめん」で済む話はこの世にない、元に戻すことなど不可能、「なかったこと」にすることはできない。だから、
「もう起きてしまったこと」について「責任を取る」ことはできないと言います。

>どのようなことであれ、一度起きてしまったことを原状に復することはできない。人間は自分がひとたび犯してしまった罪について、これを十分に償うということが決してできない。

できるのは、
どうすれば「責任を取る」ことを求められるような立場に立たないかということ、それだけ。
(責任逃れではなく、過ちを犯さないよう気をつけるってこと)

そのためには、それぞれが、
「オレが責任を持つよ」という言葉を言うこと

>責任というのは、人に押しつけられるものではありません。
 自分で引き受けるもの

「責任を取るよ」という人間が多ければ多いほど、社会は暮らしやすくなる。
「責任を取れ」「責任者出てこい」という他罰的な人の多い社会は暮らしにくい。

こんな暮らしにくい社会なのは、国民の一人一人に責任を引き受けようという思いが足りないから、ということですね。(国民主権の自覚。個人が社会を作る)
他人任せ、他人のせいにして、自分事として色々な責任を引き受けてこなかったから、と言えるでしょう。大人は大いに反省しなければ、、、。

正義が成り立つ条件
・・・では、被害者は泣き寝入りするしかないのか?

「罪の償いを求める」のは、それが傷ついたものの心身を「癒す」ために必要だから。
「癒す」とは心身の傷に名を与え、それが求めるケアをなし、特別な慰めや励ましを贈って「片づける」こと。
「罪の償い」は、加害者に自分は何をしてしまったのか、そのことの意味を「学ぶ」ことを求めます。


ワタシは、ある事柄において「責任を取るつもりがない人は、初めからそれをするべきではないし、人に迷惑をかけ現状を回復できないなら、その立場から退いて「責任を取る意志のある」人に代わってもらって、いくらかでも現状を回復してもらうことが「責任を取る」ことになると思います。

さらに、起こしてしまったことについて具体的にできることは、自分が犯した過ちをきちんと見つめて学び、事実を認めて受け入れ、反省し態度を改める。被害者の傷を癒すために、できる限りの慰めや励まし謝罪の気持ちを言葉や態度で伝えるとか、賠償金を払うとかしょうね。


話は、赦しや折り合い、フェアネス、フェアでない日本社会が変わるには、、、などと続きます。けっこう深いお話です。大きな影響力を持つ国のリーダーにも読んでもらいたいなあ。

ああ、成熟するって難しい。
難しいけれど、次世代に対して、大人は責任を持たないとね。

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