読みたい本が次々と出てくる。「ホモデウス」も読むぞ・・・(デッサンも俳句もちょっとお休み)
【古くからの呪術や習慣が根づく大地で、黙々と畑を耕し、獰猛に戦い、一代で名声と財産を築いた男オコンクウォ。しかし彼の誇りと、村の人々の生活を蝕み始めたのは、凶作でも戦争でもなく、新しい宗教の形で忍び寄る欧州の植民地支配だった。全世界で1000万部のベストセラー、「アフリカ文学の父」アチェベの記念碑的傑作待望の新訳!】
著者アチェベは、植民地で生まれ育った知識人で、キリスト教の価値観をもち西洋的な教養を身につけた人です。その彼は、植民地主義の制度に反対し支配のロジックとその甚大な影響を問題視しました。
今の日本も程度の差はあれ、同じような状況にあるのかも知れません。(明治維新後の西洋化、敗戦後のアメリカ化。「植民地」とまでは言い切れないけど、「実質」は???)
何事でも、急な変革、大きな変革は危険です。無理が生じます。でも、じわじわと気づかないようにヤられることもあります。変化は自分の中(内側)から生まれるものです。よりよく変わりたいなら、自分自身をよ~く観ながら、理性と向上心をもって、用心しつつ、でないとね。
第一部では、
植民地化される前のアフリカのある部族の生活や文化や慣習が、オコンクォを中心に描かれています。決して「未開」などではない。その土地で育み継承されてきた文化や智恵がある。そこには、人間社会のどこにでもあるように、不条理も含まれる。「人権」が無視されるような「神の信託」も。不満をもつ弱者もいる。人間の心理は複雑で、苦とそれからの束の間の解放とを繰り返しながら、部族の絆(助け合いであり、縛りでもある)を深めている。
第二部からは物語が大きく動いていく。弱くて愚かな父親のコンプレックスから、”男らしい強さ”(しかも心の強さではなく、表面的な男性的支配的野性的な強さ。ただの粗暴。結局弱いってこと)を追求しすぎるオコンクォは、してはいけないことをして、一家は部族から逃れる(7年間の流刑)。
第三部。7年後一家が村に帰ると、白人(キリスト教)が侵入し、村は変わりつつあった。村の価値観や秩序を守るためにオコンクォは抵抗するが、、、。
部族の慣習に不満をもつ人や弱者、村から虐げられている人たちは”癒し、やさしさ”を求めて、進んで白人支配を受け入れる(どっちの”神”がいい?どっちを信じる?という問いに、弱者は自分を守ってくれるだろう”神”を選ぶ)。宗教はそれが善意からであれ、政治に利用されやすい(人間がつくった宗教、しかも牧師も信者もただの人間で、立派な人ばかりではない)。
信じる者同士はいいけど、歯向かう者には”神”を笠に、力ずくで言うことを聞かせようとする侵略者。力でもってしても人の心や信念が簡単に変わるわけがなく、結局、平和にはならない。(ナイジェリアはこの後イギリスの植民地になり、1960年に独立するが、内戦があちこちで起こっている)
日本人は多様性を受け入れる寛容さをもっていると言われる(この部族のように多神教に近いから?一応、仏教国だから?ただの昔話?…)。一面ではそうかも知れない、でも本当だろうか。本当に強い国は、”智恵と優しさ”をもって多様性を受け入れることができる。日本はどうだろう???
日本は、本当に自分からよりよく変わろうと思っているのだろうか。
ただ、甘いお菓子をいっぱい食べたいだけ、ただ気持ちよくなりたいだけなら、または、ただ無関心なだけなら、明るい未来は望めないかもね。
どの時代も、どの国や地域でも、人間は同じようなことをしています。
初めてのアフリカ文学。粟飯原さんの解説もよかった。
星5つ
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