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「苦しまなくて、いいんだよ。」=「四聖諦」

2016年08月27日 | お釈迦様

「苦しまなくて、いいんだよ。」
これはただの個人的意見でも、励ましでも、希望でもなく、事実・真実です。

生きるとは「苦」である。この世は苦しみであふれている。あるのは苦しみばかりである。苦しみがあるから生きているとも言えるのです。(事実です。苦がないなら死んでます。苦しいから息をしてるんです^^)

けれど、
「苦しみ」があるからといって「苦しむ」必要は全くないのです。苦しみと苦しむこととは区別しなければいけません。

「苦しみ」はただ「観る」ものであって、「苦しむ」ものではありません。

・・・という真理をお釈迦様が発見されました。それが「四聖諦」です。
「苦」つまり「生きること」「命」についての4つの真理。

「苦集滅道」です。簡単にいえば、

 ①苦諦…苦しみと向き合いありのままに認知する
 ②集諦…苦しみの原因を知る
 ③滅諦…苦しみは滅することができる
 ④道諦…苦しみを滅する実践方法(八正道)

第一に(①苦諦)、自分の問題(苦)なら自分の問題(苦)を、相手の問題(苦)なら相手の問題(苦)を、ありのままに観察し、ありのままに認知し、ありのままに受け止めることから始めなければいけません。つまり、受容と傾聴ですね(自分に対しても!)。慈しみの心共感すること。ここをとばして、正論(持論)を投げかけたり、無闇に解決方法を押しつけたり(自分にも他人にも)してしまうと問題は解決しにくくなります。対立してはいけないのです。ここが大きな問題です。そういうことがよくあります。大事なのは主観的にならず(評価、判断してはいけない)、「ありのままに観て、ありのままに知る」こと。

このありのままに認知するための訓練が「気づきの瞑想」なのです。
外からのあふれるばかりの情報や刺激、誘惑または社会(家族)のしがらみやあれやこれやに、心が囚われた奴隷状態で、ありのままの自分に気づくことができにくくなっているのが現代です。しかも過去のことやこれから先(未来)のことで頭がいっぱい。意識を自分の外にばかりもっていかないで(囚われないで)、今ここにある自分を観る習慣をつけ、洞察力を高めることで問題を解決することがぐんと楽になるのです。

苦をありのままに認知できると、その原因が見えてきます(②集諦)。苦しみには原因があるのです。ならば、苦しみの原因を、楽の原因に変えてやればいい。

ちなみに、苦しみの原因は「無明」「渇愛」です。(十二因縁) これはまた・・・。

苦しみは滅することができるものなのです(③滅諦)
苦しまなくて、いいんです。

どうすればいいのか?その方法は(④道諦)、「八正道」です。 これもまた・・・。

  

「四聖諦」を理解できれば、すべての問題がなくなり、苦しむことがなくなります。

「怒り」は「理解」することでなくなります。理解することは「慈しむ」ことです。ありのままに理解すると智慧が現れます(無明でなくなる)。①苦諦は大事です。

「いかり」は逆立ちさせて「りかい」することで慈しみの心に変わる。(←プラユキさんから教わった

 

大乗仏教でいう「仏性」って何?(人はみな仏性をもっている?みんな実は悟ってる?わけないよね)とずっと思ってましたが、これは「可能性」のことなんだそうです。すべては『無常』だから、みんな変わりつつあるんだから、みんなよりよくなる可能性をもっているということ。でも、無明(智慧がないこと)だから、よりよく変わろうとしないから苦しむ。

問題を抱えている子に「”君”は本当はいい子なんだよ」「君は君のままでいいんだよ」などという言葉は一時の慰めになるかもしれないけど、誤解を生むことがある。「本当はって言うことは、今は悪い子なのか」とか、「そうか、”自分”はこのままでいいのか、苦しいのは周りのせいなのか」とか。(言葉は不完全で誤解されやすいものです)

「いい子悪い子普通の子」などという言葉は使えません。変わらぬ”いい子”も”悪い子”もないからです。あるがままの”君の問題(苦)”を慈しみの心で観て理解し、苦を楽に変えていかなければいけない。

苦はあるのです。ないことにはできません(酒を飲んで、踊って、歌って紛らわせても、問題・苦はなくなるわけではない)。目を背けてはいけないのです。そのままではいけない。”ありのままでいる”だけでは楽にはならない。ありのままには”観る”のです。

人生は楽しまなくては、と現実の「苦しみ」から目を背け”享楽”に耽っていてはいつか必ず「苦しむ」ことになります。苦しみから解放されることはないでしょう。

人も瞬間瞬間ずっと変わりつつあります。人ではなく、問題(苦)は何なのかにもっと焦点を当てなければいけません。問題(苦)を解決し、苦を楽に変えることに力を注ぐべきです。

 

苦しむ必要なんて全然ないのです。みんな可能性(仏性)をもっているのです。よりよく変わろうという向上心・意欲さえあれば、誰だって苦しみ(あらゆる精神的問題)から解放され、自由に、楽になれるのです。

33 心は、動揺し、ざわめき、護り難く、制し難い。英知ある人はこれを直くする。ー弓矢職人が弓矢を直くするように。

39 心が煩悩に汚されることなく、おもいが乱れることなく、善悪のはからいを捨てて、目ざめている人には、何も恐れることがない。
(ブッダの真理の言葉 中村元訳)

(注)善悪のはからいを捨てるとは、勝手な判断をしない、客観的になる、謙虚になる、というような意味だと思います。


・・・ということを、ティク・ナット・ハン禅師やプラユキさんの本を読んで思いました。お釈迦様の教えは深い。気づき、目覚めていること、、、実践していきたいと思います。

以上、仏教のお勉強でした^^

 

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2 コメント

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都月さん、こんにちは。 (まる)
2016-08-27 17:04:53
長年の癖になってますからね^^
苦しまなくていいんだと理解して、心がけてるだけで、
だんだんと変わっていけるのです。
あれれ?苦しくないぞ・・・てのが悟りの境地なんでしょうね。

気楽を心がけるのが難しい、、、みんな真面目すぎ?^^
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苦しまなくていい (都月満夫)
2016-08-27 16:10:44
それは、いあわれて頭でわかっていても実際にはなかなかそうはいきませんね。
そこまで、客観的に冷静に自分を見るのは至難の技だと思います。
でも、心がけることはできますね^^
したっけ。
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