ふと思う。母も長年、父の闘病に付きあい苦労した。入退院を続けた父。母は、毎週末、仕事が終わると、バスに乗って、山口日赤病院の結核病棟に通っていた。母は何年通ったのだろう。父を見舞った帰りに、母と寄った食堂を忘れない。母と比べると、旦那の入院年数も、苦労も比べものにはならないけれど、母が、ぼっそと言った、母娘して、同じ思いをするねって。今の状況を1番心配しているのは母だと思う。母には苦労をかける。旦那に万が一のことがあっても伝えるつもりはない。逆に母に何があっても、植物人間の旦那には伝えようがない。すべて私一人で受け止める。覚悟は出来ている。