170831 葬送と社会性 <葬送の多様性とはだれのため何のため>
先日のNHK放送「クローズアップ現代」だったと思いますが、納骨する代わりに、業者に骨壺を郵送して、機械などで骨灰にして海や山に撒いてもらうサービスが次第に普及しているという情報をもとに少し議論がありました。
依頼者は、現在ある墓から骨壺を取り出して、墓への埋蔵を辞める人、墓を購入する資金に困って火葬後に納骨しないまま、上記業者に送る人などでした。前者は墓参りは大変な重荷、自分たちの世代だけにしたい、次の世代に負担を継承させたくないという思いでしょうか。後者は経済的に厳しいことも要因でしょうか。取材された業者は、業界ルール的に径2㎜以内の灰状にしていました。
私は以前脱穀機を使っていましたが、最近の機械は遺骨を骨粉にすることくらいは簡単にできると思います。それくらい簡易にかつ見事粉状にしてくれるのです。業者の中には手動のコーヒーミルのような機械で、気持ちを込めてやっていました。
私から言えば、ある遺骨を、関係者が車座になって深夜故人のことを話しながら、それぞれ手で小さく砕いてく、それを次々と回していく、そういう儀式的な、仲間の集いはとても印象に残っています。
基本、葬送は自分たちで、できるだけ行うのが本来かなと勝手に思っています。
とはいえ、上記のような業者が現れるのも現代の宗教事情でしょうか。いや、葬送そのものが宗教中立的な存在になりつつあるのかもしれません。
比叡山・源信が地獄をおどろおどろしい絵図で描いて、極楽を求める衆生、いや貴族の関心を引いたように、その後の鎌倉新仏教もこの浄土思想を背景に発達したように思うのです。
しかし、現代において、そのような地獄や極楽は多くの人の心に訴えるものではないでしょう。
だからいって、骨粉にして他人に撒いてもらうのもどうでしょう。中国ですら(そういう表現は不適切ですね)、北京や上海で大量の散骨を河口などで行っていますが、実施するのは遺族自身です。ただ、本来、強烈な感情を露わにする中国人ですが、数百人が次々と大きな穴の開いた筒から投入するわけで、情緒もなかなか感じ難いですね。中国人の宗教観に合致するのでしょうかね。
アメリカではもう四半世紀以上前から海での散骨を行い、一定のルールを決めていました。業者が当時から大きく宣伝していました。中には国立公園で散骨できるとうたっていました。いや実際、いくつかの国立公園は許容していましたね。現代はどうでしょう。
骨の形状が残っていなければ、含有物が有害なものがないのですから、どこで撒いても、不快感もないかもしれない。とまではいえないですが、次第に世の中意識が変わってきたなと、これに取り組んだ四半世紀以上前との違いを感じます。
元に戻りますが、遺骨を郵便や宅急便で送るという行為自体は、ここまでくると、まさに物でしょうか。以前、何人かの宗教学者と議論したことがありますが、こういうことをも懸念していたのでしょうね。私自身は当時は想定していませんでしたが。
でもイギリスでの散骨事情、火葬場での遺骨(遺灰ashと表現)の引き取りを遺族の自由な判断にゆだねている火葬規則があり、火葬場管理者としては物扱いは当然の成り行きかもしれません。散骨する芝生という場所はそれなりに美しいですが、それ以上に物的な処理をするのを見せていただきました。
実際、最近の火葬場・納骨堂を経営する自治体としては、物として扱えないけど、徐々に、産業廃棄物業者の手にゆだねなければいけない状態に近づいているのかもしれません。
このブログで何度か取り上げていますが、骨に意味があるのは、その人、遺族であり、他人がとやかくいう問題ではない、社会が、ましてや国家がああせい、こうせいということは、個人の信条、生き方に不当に介入することになりかねないと私個人としては思っています。
この点は宗教学者と、まったく相いれませんでしたが、それがすぐに一般化するとも思っていませんでしたので、個人的な意見としては許容されると思ってきました。
とはいえ、NHKが武田さんでしたか、キャスター、そして識者としての小谷さんが、葬送は社会的に行うもの、共同体で行うものといった意識で、違和感を訴えていましたが、私自身は異なる考えなので、公の立場で、意見を述べる場合、個人の立場を意識した発言をしてもらいたいと思うのです。そもそも葬送の社会性は、江戸時代、戦前は国家強制もあり、その実態があったと思いますが、はたしてそれ以前はどうでしょう。
鎌倉以前、親鸞が生きた時代にはなかったのでは。縄文期にすでにあったとも思われますが、それはより自由な意思によるものであったのではと勝手な推測をしています。
もうそろそろ到着駅が近づいてきました。今日はこの辺でおしまい。電車の中で揺れながら、ラップトップのいい加減な反応で、ミスタイプの連続。読み返すのもしんどいので、ますますいい加減になりました。失礼しました。