180613 平安貴族の生死と宗教観 <「日記が明かす平安貴族の実像」>を少し聞きながら
今回は少し長い出張で、しかも毎日遅くまで会議と、その後の飲みながらの談話、そして夜中のブログ書きを続けたことで、今日から事務所に出たものの、打ち合わせや電話にはなんとか対応できるものの、あとはボッとしたり、眠気に襲われたりして、終日ぼやっとして過ごしました。
そんな中、久しぶりにNHKらじる☆らじるをかけて、たまたま映画音楽を少し流して、終わったので、別の番組はないかと探したら、ちょうどいいのがあり、聞いたのが<日記が明かす平安貴族の実像 国際日本文化研究センター教授…倉本一宏>の<藤原道長「御堂関白記」には何が書かれているか>と<藤原行成の「権記」には何が書かれているか>でした。
半分くらい眠り薬となって聞き流していたのですが、時折、目覚めたときになかなか面白い話があり、これはいいと思った次第です。というか倉本氏、初めてお聞きする名前ですが、語りがすばらしく、解説も明快で(といいながら眠り込んでいますが)、疲れた体にはとてもすばらしい良薬でした。
で、藤原道長といえば、すべて世の中を自分の思うとおりに統治していたような独裁者的なイメージを勝手に作り上げていたのですが、彼が書いた日記、「御堂関白記」だとそれとは異なる人物像が映し出されていますね。自分が書いた日記ですから、どのようにでも書けるとはいえるものの、その人柄というものが出ていますね。
たとえば、倉本氏がとりあげた一節、道長が長く使えた一条天皇が亡くなったときの日記に、「崩じられた」と書くべきところ、どうやら山冠を草冠になっているそうのです。ま、動転してしまい、間違ったと言うこともあろうかと思うのですが、倉本氏いわく、アバウトな性格がでたといった調子です。そうなんですね、道長は結構アバウトなんだ、こんな偉い地位にあった人でもアバウトで成り立つのだと感心しました。
いやいや、それくらいアバウトでないと、世の中のトップにはなれないのかもしれない一つの例かもしれません。
というのは次に取り上げられている藤原行成の場合、書道の大家である三蹟、小野道風、
藤原佐理とともに、最高位に上げられている日本歴史に残る書道家だそうで、その書はちょっと書けば大変な宝物だったそうです。
その行成は、官吏としても有能で、儀式に通暁する最も秀でた人物として高く評価され、引っ張りだこだったとのことですが、あまりに才能豊かで、部下として話されなかったため、逆に出世の機会を失い、最後56歳でなくなったときは権大納言であったというのです。倉本氏いわく、大臣にまでなれる十分な能力と身分であったのにと惜しまれています。
道長と同じ日?に亡くなったそうですが、前者はアバウトゆえ?最高位に登り、後者はきっちりしていたゆえ?公卿にもなれなかったというのです。
それはともかく、私が今日、彼らを取り上げた理由は、10世紀末から広がっていた浄土思想が庶民から下級官僚、そして関白まで広がる状況にあったこと、その死生観なり、宗教観に興味を抱いたからです。
とりわけ行成は、浄土思想を強い信念で実践していることを、日記である「権記」に記載しているそうです。
私が瞠目したのは、その一例で、亡くなった後は火葬にして、その遺灰を鴨川に流すという葬送です。かれはこの方法に極めてこだわっていて、実践するのです。とりわけすごいのは、たしか父親の遺体が埋葬されている墓を掘り返し、それを火葬にして、遺灰を鴨川に流すというくだりです。いやはや、すごいなと思うのです。
むろん遺体や遺灰、遺骨にはなんの意味もないというのでしょう。極楽浄土に向かうために信念をもって行うのです。なにが極楽浄土なのかは、話されたのかもしれませんが、半分以上眠っていましたので、聞き漏らしたかもしれません。
そういえば、親鸞は最後に、墓はいらない、自分の遺体は鴨川にでも流せば良いとか言ったとか言われていますが、平安時代から長く続いた浄土思想と、鴨川への思慕があるのでしょうか。
今日は疲れた状態でよくブログを書けたなと自分で感心しながら、この辺でおしまいとします。ちょうど一時間となりました。また明日。