181102 お寺がもつ多元的機能 <お寺が地域の「伴走者」に 僧侶らの電力販売会社>を読みながら
さきほど事務所の建物が揺れました。といってもすこし音を立てて短く揺れた程度でした。すぐにニュースを見ましたら、震度4ないし3でした。和歌山県が4で、奈良県が3ですので、そんな見方が適当かもしれません。それにしてスマホに緊急地震通報が届くほどのものかと思いつつ、建物構造や地盤によっては揺れが違うでしょうから、これも仕方ないですね。
東京圏だと同じ震度3でも揺れが違ったような記憶です。台地の場合は別ですが、低湿地帯を埋め立てた地域ではやはり揺れが結構強かった思い出があります。
時代を遡れば、わが国の建物は庶民の場合平屋建てで板葺きが普通だったのではないでしょうか。地震がくれば容易に倒壊したでしょうけど、すぐ建て直すこともできたと思います。家自体を長期に保有する資産とは考えていなかったかもしれません。家財道具もいつでも持ち出せる程度のものしか置かず、簡素なものだったのでしょう。このような質素な生活様式は幕末期に来日した西欧人が記録していますね。
それでも一時的には被災した人たちは困りますね。そんなとき救貧対策を講じたのは幕藩側だったかもしれませんが、長く活躍したのは寺社の僧侶・神人であったのではないでしょうか。無縁社会としての中世の寺社についてこのブログで何回か最近書いたと思いますが、途中で腰折れしたような記憶です。
それはともかく無縁社会としての寺社、そこに集まる多様な人材は、僧侶などをバック、あるいは中心にすえて、多元的な機能を営んでいたのではないかと思います。近世江戸時代、檀家制度の下、葬式仏教の担い手に押し込まれるまでは、エネルギーあふれ、想像力あふれる自由で多様な人材が集まってきていたのではないかと思うのです。
そこにはギリシア・ローマのような民主制や自由平等とは異なる、別の原理が働いていたのかもしれませんが、結構、自由を謳歌していたのかもしれません。縁で固く結ばれた社会からはじき出された人たちの駆込場所だったかもしれません。閉塞した社会を変革しようとした野望に燃えた人も集まっていたのかもしれません。
そんな空想的な発想をついしてしまったのは、昨日の毎日新聞夕刊記事<特集ワイドお寺が地域の「伴走者」に 僧侶らの電力販売会社、来春始動 利益で自死対策支援や寺の修復>を、仕事を一段落させた後読んだせいかもしれません。
記事のタイトルを見ると、地域の伴走者って何と思ってしまいます。それに僧侶らが電力販売会社を始動って、何をしたいのと思ってしまいます。
その疑問については記事が丁寧に紹介してくれています。
<電気事業を通し、地域活性化と命の問題に光を当てたい。そう願う僧侶らが、今年6月に電力小売会社「TERA Energy(テラ エナジー)」(京都市)を設立し、来年4月から事業を開始する。少子高齢化で檀家(だんか)などとのつながりが弱まる中、寺は地域と人々の「伴走者」になれるのか。【玉木達也】>
たしかにいま既存のお寺は風前の灯火かもしれません。檀家は減る一方、葬式は家族葬やゼロ葬など世相も様変わりです。墓地に変わって事業家が営む立体型納骨堂(しかも宗派を問わない)、散骨など、さらに法要も永代供養からそれすら不要という風潮です。それでは住職になってみたものの・・・という話になりそうです。
でも僧侶というのは行基以来(いやもっと前から)、ずっとあらゆる社会活動、貢献をすることにより仏教思想を普及してきたのではないでしょうか。キリスト教をはじめその他の宗教も似たり寄ったりで、葬式仏教こそ(それも大事であることは否定しませんが)、本来の活動の一部でしかないのではと思うのです。
電力販売事業をすることくらいは当然のことでしょう。有力寺社は中世の時代、金融業はもちろんのこと、荘園経営を含む多様な商売だけでなく、傭兵派遣から兵器産業までやっていたといわれるのですから。寺の場合江戸時代以来の檀家制度、その後の廃仏毀釈で骨抜きにされてきたのかもしれません。
僧侶の行う電力事業もちゃんとした根本思想、気候変動問題に対処するという考えに基づいていますね。
<社長は浄土真宗本願寺派(本山・西本願寺)僧侶、竹本了悟さん(40)。取締役6人中4人が僧侶だ。竹本さんとNPO法人「気候ネットワーク」との交流がきっかけで、地域エネルギー支援会社「みやまパワーHD」(福岡県みやま市)との協力が実現。電力は同社を通じ再生可能エネルギーを中心に調達することになった。>
そして僧侶は計算高い?といわれることもありますが、他方で武家の商法みたいに揶揄されることもありますが、ちゃんと先を読んでいるようです。
<テラ社は初年度の売り上げを約7億円と想定。売り上げの一部を「お寺サポート費」として1000万円以上を見込み、寺の修復や地域の活動に充てる方針だ。>
江戸時代、檀家制度の中で僧侶が左団扇で過ごしていたかというと、地域の文化・芸術そして生活の中止的存在として活動していたのはやはり、そういう住職と檀家の関係が成立していたのではないかと思うのです。単なる葬式仏教ではなかったように思うのです。小林一茶の物語にでてくるような和尚をはじめ、地域の信頼を集めるだけの生き方をしていたのではないかと思うのです。その一つは寺子屋でしょうか。日本人多くが明治維新に対応できるだけの算術や識字力はここで養われたのではと思うのです。貧富の差もなく。
<国立精神・神経医療研究センター(東京都小平市)の精神保健研究所薬物依存研究部長を務める松本俊彦さん(51)>いわく
<「寺は昔、いろんな悩み事の相談場所として地域に溶け込んでいました。ただ、最近は法要が中心になっています。それが今回『電力』を通じて、より身近な存在になる可能性があります」と指摘する。さらにこう続ける。「寺や檀家らに電力を売った利益の一部を使い、地元で福祉的な活動を行えば、檀家らもその活動に参加する図式になります。檀家らにとっては、支援をされるし、支援もすることになって寺との交流がより深くなるはずです」と分析する。>
檀家をも巻き込んで、地域力をあげて、衰退する地域の立て直しをするということでしょうか。
地球の悲鳴に答えるための再生エネルギー利用事業と、その利益を活用して、人の悲鳴に答える伴走者としての事業とを、両立しようとしているようです。
<センターの代表として「『死にたい』『生きているのがつらい』『消えてしまいたい』。そんな気持ちを一人で抱えている人のそばにいて、寄り添いたい」と思う竹本さん。>
さらに孤立している人へのおっせかいです。
<「一人暮らしは孤独かもしれないが、何かの時に誰かと連絡が取れる関係があれば大丈夫。むしろ、家族と一緒に暮らしていても意思の疎通ができる人がいない孤立が問題です」と懸念する。さらに「孤立している人に軽い『おせっかい』をすることがとても大切。ただ、その際、押しつけがましくない、何か口実が必要になります」とも語る。>
<テラ社は今後、「お寺は地域とみんなの共有財産」として地域課題を考える場所や地域食材を使った精進レストラン、盆踊りの会場、子ども食堂などに使ってほしいと地元に呼び掛けていくつもりだ。テラ社の活動が寺の在り方を見直し、地域コミュニティーを変える一歩になるかもしれない。>
同じような取り組みは、すでに全国のどこかで少しずつ始まっているように思います。私もそのような活動の一端に参加できればと思っています。
今日はこれにておしまい。ほぼ一時間で終えました。また明日。