190207 野焼きと焼畑 <静岡の野焼き死亡事故、無罪確定>などを読みながら
子規の俳句に
「野辺焼くも見えて淋しや城の跡」
とありますように、野焼きは歴史があり、私たちに日本の情緒といったものを感じさせるような気がします。といってほんどの人はTVで見たことがあるくらいで、実際現場で実体験をした人はあまりいないでしょう。若草山の山焼きや春日大社のどんど焼きを実際、見た人は結構いるでしょうけど。
戦後初期くらいまで萱はいろいろ活用されていたようで、野焼きも広範囲に行われていたと聞いたことがあります。同様に焼畑耕作も。日本の原風景と行ってもよいかもしれません。
私自身、野焼き自体、直接現場で見たことはありませんが、その危険性は私の経験から身近に切々と感じています。一つはボルネオの熱帯林調査でちょうど30年前、焼畑の作業を、その燃え上がる炎と煙の中で経験しました。熱帯林減少が問題にされていた80年代後半、その原因がわが国などへの輸出のために大量伐採する国策企業のためか、いや広範囲に焼畑耕作が行っている先住民族のためか、それを調査するためでした。
この調査の話をすると、本題に入れそうにないので省略して、焼畑で実際に経験した私の恐怖感と焼畑後の様子を述べたいと思います。先住民が数10名で60数haの一定の手入れをした後の森(それは密林ではなくわずかな木々が残っているといった山と谷)で遠くから煙が上がりだんだんと広がっていくのです。大きさのイメージが掴みにくいでしょうから、たとえば日比谷公園は16haで、520m×300mくらいの大きさですから、その4倍くらいでしょうか。それも凹凸があり、ちょっと先はまったく見えません。
私はテレ朝のクルーと一緒にその中に入って別々にビデオカメラを取っていました(私のビデオは提供したのでもしかしたら一部採用されたかも?、テレビ放映は見ていませんので分かりませんが)。煙がまだ向こうの方で大丈夫と思って中におそるおそる入っていったところ、いつの間にか背後とか脇とか、急に炎に包まれたのです。煙も蔓延して自分の置かれた位置がわかず思わず万事休すと一瞬感じたと記憶です。でも先住民の導きで煙と炎の中から無事脱することができました。対して風も吹いていなかったと思うのですが、炎の温度や地形の関係で火はとんでもないところに飛んでいくようです。
でも焼畑の後はしっかりと準備され計画されているため、焼畑対象地以外の森林に延焼することもありません。また、大きな木はないように事前に手当していますので、燃えてもさほど異常な高温にならないようにしています。
もう一つの経験は当地で、毎日のように草刈りなどをした後野焼きというか草木を集めて燃やしていましたが、最初のころ何度か失敗しました。その一例は火の粉が少し離れたところに立っていたシュロの木に飛んでいき、根本付近に火がついたと思ったら、高さ5mくらいの頂上まで燃え上がっていきました。これは驚きました。でも幹本体まで燃えるほどではなかったので、大事に至りませんでした。火の粉は空中を浮遊して相当先にも飛んでいき、用心しないといけないことを痛感しました。
そんな拙い経験ながら、今朝の共同通信記事<静岡の野焼き死亡事故、無罪確定>を見て、先月の東京高判の逆転無罪の判決を思い出しました。静岡新聞の記事<御殿場野焼き3人死亡、逆転無罪 東京高裁>は簡潔ながら判決骨子も取り上げていますので、さらに簡単に紹介します。
経験豊富な作業員が危険な方法で着火することは予見できない
風向きなどを考えて安全かどうかを作業員が判断するのが合理的
入会組合の代表が実施計画で安全遵守を徹底する義務はない
一審判決は安全確保上重要な「防火帯」の概念が不明確
これだけだと少し抽象的ですが、私自身は基本的に同感です。まあ、裁判長が同期であることを差し引いても合理的と思いましたが、念のため今日は一審判決を読みました。
それで具体的な事実関係を見て余計、得心を得ました。ところで、一審は平成23年起訴された事案について、6年後の平成29年2月に有罪判決を言い渡し、控訴審は弁護側請求の証拠調も行わず、一回結審で、逆転無罪としたのです<危険性予見で対立、弁護側無罪主張 御殿場・野焼き控訴審初公判>。
一審判決によれば、焼畑作業の総面積は3000haで、4つの入会組合が実施主体となり、自治体、陸上自衛隊の協力を得て、約400名の作業員が分担して実施するもので、毎年一回行われてきたものです。
野焼き中、3名の方が焼死したことについて、刑事責任を問われたのは、その実施計画を立案した組合の組合長とその事実上作成を担当した事務局長というのです。前者は事件の3年前になったばかり、後者は長年の経験がありますが、あくまで計画立案者です。
これだけを見ても、とても彼ら2名に業務上過失罪における作為義務を認めることが困難ですね。3人も死んだのだから、誰かが責任をとらないといけないといった空気があったのだと思いますが、6年間も審理して防火帯など技巧的な注意義務を設定して大変な努力の跡が見えてくるものの、どうも結論ありきで無理に構成した印象を拭えません。
一審判決はかなり丁寧に注意義務違反を組み立てていますが、やはり技巧的すぎ、大規模野焼きの実態をしっかり反映したものとは言えず、また自然の脅威について計画立案の位置づけも無理筋ではないかと思うのです。具体的な論評は避けますが、高裁判決の方がだれもが納得できる内容ではないかと思います。
ところで、静岡新聞記事は昨年3月記事で<陸上自衛隊東富士演習場で野焼き>を報じていますが、このような不幸な事故の経験を今後に生かして、野焼きを継続していることと思います。
今日はこのへんでおしまい。また明日。
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