170508 都市と公園 <橋本市の杉村公園を散策しながらふと思う>
昨夜はいつの間にかうつらうつらして寝入ってしまい、途中で気づいて寝床に入りました。案の定、目覚めは深夜3時。これでは調子がよくならないと心配したものの、血圧計は139でなんとかセーフ。頭の重さもさほどでなく、目のほうもさほどでもない感じです。そのせいか、鳥の声もすがすがしくよく聞こえてきます。今朝は朝早くはシジュウカラがせわしく鳴いていました。シジュウカラは都会でも生活できるらしく首都圏でもよく見かけましたが、こんな山の中でも分譲地に接しているので結構いいのかもしれません。ヤマガラはむろんいます。しばらくしてウグイスの朗らかな声が聞こえてきました。どうもウグイスは早起きではなさそうです。
今日はなにかと久しぶりに仕事をして、いつの間にか6時半をすぎています。そろそろ帰り時ですが、これから本日の話題を考えてとなると、今日は新聞もなく、ニュースも見ていないので、ネタを見つけるのが大変。それで昨夕、近くの杉村公園を散策しながら、なにかと思いついたというか、気になったことに触れてみたいと思います。
その前に、私は首都圏で仕事をしている頃、日比谷公園が割合好きで、地下鉄に乗り換えると、東京地裁のすぐそばの霞ヶ関駅まで行けるのですが、わざと避けて、新橋とか有楽町から歩いて日比谷公園を通り抜けしていました。なにがいいか、たしかにいろいろな施設がぎっしりあります。いろんなイベントもしょっちゅうです。時折、有名俳優などがロケしているそばを通ることもあります。人気のスポットです。しかし、私にはあまり関心のないことです。
なにがいいか、公園の木々が生き生きしているのです。野鳥もいろいろいます。そして管理をしている人たちが落ち葉を大切にしてきちんと木のそばに集めて、来年の成長に役立つようにしています。日比谷公園の歴史を感じさせてくれるのです。
そう日比谷公園は、谷の名前がつくように、元々は入り江で建物を建てるには不適当ということで、埋め立てるとともに、人工的に作られた公園です。でも現在立っている木々は見事なほどの太さで、葉っぱも生き生きとしています。長い時間をかけて管理の人たちが大事に育ててきたことを、その姿で示してくれています。
弁護士会館の図書館とか、日弁連応接室?から眺めると、その紅葉に見事さは息をのむほどというと言い過ぎですが、仕事の疲れを癒やしてくれるには十分です。むろん都会的な木々の種類ですし、歩道ですし、またテニスコート、松本楼など多くの施設は、まさに都市公園としかいいようがない体裁となっています。そこは同じ人工の森でも、明治神宮の森とは雲泥の差です。できれば後者を都市の公園にもしてもらいたい気分です。
なぜそういうかというと、日比谷公園も、明治神宮の森も、西欧の公園を学んだ技術者が設計し、実施したからです。で、当時はどうか知りませんが、10年ほど前、ミュンヘンを訪れたとき、市庁舎のすぐ近くにあり、都市のど真ん中に近いところに広大な面積を持つイギリス公園(名称は不確か)に入って休みました。なんとも見事なほど自然がそこにあるのです。川幅5m以上はある大きな川が流れていて、森も豊かで、多くの市民がのんびりしています。そこは日比谷公園のように忙しく歩いているような姿は見られません。
ドイツでは都市林がいくつもあり、また、有名なクラインガルテン(いわゆる市民農園)もあります。後者は日本のように小規模でなく、ちょっとした小屋を整備して休むことも出来るほど大きな面積です。つまり都市には森と農園が不可欠であり、公園も施設を設けたり、スポーツグランドがあるといったことは必須のものではないのです。
わが国では都市公園は、国交省所管で、都市計画法上の位置づけで、都市域における施設の一つととらえられていて、森や農園はその構成要素から除外されています。これに対し、自然公園は環境省所管で、逆に公園内の施設条件が厳しく制約されていますし、山川草木の保全管理も厳しくなっています。しかしながら、都市の進化は、人間にとって必要な情緒性を枯渇しつつあり、人間同士の葛藤でさまざまな心因性の病気に陥っていない人が少なくない状況にあると思うのです。
縄文文化が1万年以上繁栄し持続し得たのは、新たに導入されてきた自然破壊的な農業がその人間性と容易に相容れなかったのかもしれません。ヒトにとって、自然の中で生育する木々、草、野生動物などとの触れあいが欠かせないのではないかと思うのです。
ましてコンクリートジャングル化して、情報化社会が進展していく中で、人間同士もうまく付き合うことが容易でなくなっていくと思うのです。そういったとき、とりわけその傾向の強い都市には自然の創造が必要となってくるのではないかと思うのです。
そして公園は、そういう機能を今後必要とされてくるのではないかと思うのです。医学的措置だけでは、現代の人々が抱える精神的な問題に対処することは困難ではないかと思っています。公園は、その代替的な・補助的な役割を十分期待されてよいように思うのです。
で、杉村公園に移ります。日曜日の夕方でしたが、30分あまりの散策で、会ったのは2組だけでした。松林があり、カエデや桜など多くの木々があり、広さも12haを超えるのですから、日比谷公園の16haと遜色がない規模です。しかも後者は施設が多すぎて、木々が立地している面積はかなり狭いと思います。それに比べ杉村公園は施設は郷土資料館と教育相談センターの建物くらいで残りは木々と、池だけです。しかも隣接しているのは三石山の山腹ですので、何千、何万haという森林です。
でも残念なのは、散策路の道路構造が歩きやすいとはいえないのです。その形状や材質は統一性がなく、いろいろですが、多くは固まった土であったり、破砕した小石を置いたものとかで、とても歩きやすさを考えたものとはいえないのです。また、一時はやったビオトープも使われてなく、そこへ降りると本来はいろいろな動植物が育ってたであろう区画は閉ざされ、中には入れないようにロープが張られていました。
大きな丸山池があり、立派な吊り橋が架かっていましたが、なにか物足りなさを感じてしまいます。やはり吊り橋までのアプローチに魅力を感じさせるものがなく、おそらくそこから眺められる先にあるのが三石山ではないかと思うのですが、そこから見られる景観についても説明がないのです。河童橋にあれほど人気があるのは、そこから見える穂高連峰の景観の素晴らしさ、梓川の清流の清らかさなどでしょう。橋だけの魅力では人を惹きつけないでしょう。
しかし、やり方次第では、紅葉や桜の季節、菊花展などのイベントのときだけにとどまらず、日常的に橋本市民、いや大阪を含め関西圏からも人を呼ぶだけの潜在的な魅力があるようにも思うのです。
高尾山は、都市公園ではないですが、さまざまな散策路、それぞれに多様な生態系の魅力を感じさせ、その道自体が歩きやすく出来ています。木々の管理もしっかり出来ています。
杉村公園では、残念ながら、落ち葉は集められ、斜面地下に落とされるかのように無残でした。木々の腐葉土として役立つような配慮はされていません。散策路の周囲の木々も手入れがされているとは思いにくいものです。
おそらく公園管理の予算が十分ではないのでしょう。
この公園は、故杉村林之助氏が自宅とともに市に寄付したそうです。松林が好きだったようで、そのそばに自宅を構えていて、現在、松林荘として、一般に貸し出しされています。この建物は昭和初期に建てられた木造2階建て(約200平方メートル)の日本建築です。杉村氏は、教育にも熱心だったようで、同氏の寄付金が橋本市教育基金として活用されているようです。
そういえば、杉村氏の顕彰碑のそばに立つのは橋本市教育相談センターです。立派な2階建の建物です。少し離れたところに立地する郷土資料館に比べると、杉村氏の意向がはいっているのかと思ったりするほどです。
で、この教育相談センター、郷土資料館、松林荘そして公園と、それぞれ独自の役割を期待されているとは思いますが、うまく有機的な連携ができないものか、今後検討されてもいいのではと思うのです。杉村氏の意思を鑑みれば、それぞれ別々の方向を向いているように見えて、分断されているようで、全体が寂しい印象をぬぐえない気がします。それでは故人の気高い意思に報うものとはいえないのではないかと思うのです。
教育相談センターは、いま話題の家庭教育支援とは異なり、子どものための、いじめや、不登校、チックなど多様な教育に係わる問題に対処する機関ですが、橋本市民のうち、どれだけの人がこの存在を知っているのでしょうか。郷土資料館も一度くらいは訪れた人もいるでしょうが、しっかりとその内容を理解するには何度も訪れる必要があるように思うのです。松林荘の存在を知っている人はさらに少ないと思います。
全体を見直してみることにより、新たな橋本市の魅力となる可能性を十分に備えていると思うのですが、いかがでしょうか。
すでに一時間が経ち、そろそろおしまいとします。
なお、今日のブログでは、橋本新聞の次の記事を参考にさせて頂きました。
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