161211 記録するとは (公)文書管理だいじょうぶ?
今朝は久しぶりにのんびりと目覚めといいたいところですが、朝早くからなぜか意識が冴えて、録音した映画の音声だけを聴きながら寝床にいたというのが実際です。昨夜はNHKの「渡し船」というのを見ながら?聞きながら寝入ってしまいました。元気がいいと本を読みながらが普通なのですが、最近は本を読んでいるとすぐ眠くなるのが実態で、読書量も格段に落ちてきました。
そして今朝も新報道2001で取り上げていた朴大統領の弾劾を受けて今後の韓国政治のy食え的な事柄を見た後、生ゴミコンポストの処理をして、いつものたまった竹木の野焼きをして午前中はおしまいです。そしてNHKの囲碁対局で若手の寺山怜氏の華麗な逆転?勝利を見てのんびりした後、いまなにを書こうかと考えつつ、タイピングしています。昨日見た「渡し船」から日本の川と船について触れてみたいと思いつつ、やはり今朝の朴大統領の話と、毎日記事とがひっかり、こちらにすることにしました。
今朝の毎日は、クローズアップ2016欄で、「公文書管理 ずさんな点検 「知る権利」ぜい弱 保管審査、21人で260万件」と、ながーい見出しで、問題点を取り上げていました。この記事では海自がインド洋で米空母への給油量について、政府が給油量が少なかったと釈明していたのが、米国の情報公開制度で入手した資料だとはるかに多かったことが判明した上、補給艦の航泊日誌の一部が保管期限内に破棄されていたという、お粗末な管理実態を指摘しています。さらに東日本大震災に関係する国の15の会議のうち、原子力災害対策本部と緊急災害対策本部など10会議で議事録を作っていなかったことが判明していることが取り上げられています。
このように公文書管理がずさんな状況にもかかわらず、そもそも省庁内で自己点検にとどまり、対象の文書やその記載方法、担当など、基本的な事柄が確立していないように思います。そのチェック体制が人的物的に不足していて、とても問題自体を把握できる状態にないというのが見出しの数字です。
なぜ朴大統領と関係するかというと、おそらく韓国においても公文書管理が確立していないのではないかと思うのです。大統領が演説原稿や関係資料を友人に見せたり、アドバイスを受けていたりといったことが、大統領自身が問題意識を抱かずにやっていたように思えるのです。では、日本は大丈夫かというと、首相を筆頭に末端の行政職員が公文書管理法を理解してその趣旨にそった文書管理をしているのかは、私にはベールに包まれているように思うのです。
公文書管理法は、管理対象の公文書のうち、行政文書について次のような定義規定を置いています。「行政機関の職員が職務上作成し、又は取得した文書(括弧書き省略))であって、当該行政機関の職員が組織的に用いるものとして、当該行政機関が保有しているものをいう。」(2条4項)。
しかも法の目的において、まず、公文書の意義について、「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用し得るものであること」としています。そして公文書の適正な管理について法規制することにより、「行政が適正かつ効率的に運営されるようにするとともに、国及び独立行政法人等の有するその諸活動を現在及び将来の国民に説明する責務が全うされるようにすること」を目的とするとされています。
たしかに職員が職務上作成ないし取得した文書である必要がありますが、民主主義の根幹となるものであり、国民の知る権利に答えるべき事項、とりわけアカウンタビリティーのあるような場合については、当然に職員が職務上作成義務を負っているというべきです。そうだとすると、行政府のトップである安倍首相の意思決定に関わる議事はとくに例外に当たるような場合を除きすべて公文書として残すべきとなると思います。それが首相をはじめ閣僚や次官以下のレベルで、きちんと文書化されているのか疑念を抱いております。アメリカ大統領が出てくるような映画を見ていると、すべてなんらかの記録媒体あるいは電磁的記録などで残されているようですね。
裁判の中で、国を相手にする場合その記録の開示を求めることもありますが、私の場合もっぱら地方自治体を相手にしたとき、その記録自体に疑問を抱くことがありました。むろん存在しないとか、個人情報とかで過剰に黒塗りにされるといった一般的な問題もあります。いま思いつくケースとしては2,3を挙げてみたいと思います。
都市計画法の開発許可や建築基準法の建築確認の申請では、普通は直ちに申請書を提出するといったことは簡易なケースは別にして、ないと思われます。通常は、窓口で担当者とカウンター越しに当該自治体の手続きや要件を確認するなどして、申請するわけです。それも複雑な案件になると何回も繰り返すわけです。自治体内でも部課長会議などで調整してどう対応するか協議して事前に審査することが行われています。その内部資料はもちろんのこと、窓口での対応について、文書がどのような場合に作成されるか、あまり明確な基準を定めているところがないように思えるのです。
で、ある自治体での開発案件ですが、以前の大規模分譲地開発で残されていた斜面地で、木々に覆われている場所でしたが、突然、約2000㎡の木々が切り倒され、さらに重機が入って造成が始まり、近隣が驚いて市役所に連絡し、市が対応したのですが、別の隣接土地所有者から依頼を受けて事件処理をしたことがあります。本来500㎡以上の開発行為だと許可を受ける必要があり、当然、市に相談しているはずですが、その記録は一切ありませんでした。あったのはクレームがあった後、市が現地で指導して一定の現場復旧措置を講じた記録だけでした。その記録も、わずかな写真と概要記録のみで、事件の本質や開発業者の対応、それに対する行政が行った行為がいかなる根拠に基づき何を行ったかが判然としないものでした。
結局、この案件は、その後市議会に要請文を出し、市議会を通じて、行政に監督処分を行わせて、一定の解決を得ましたが、行政における文書管理自体も問われる問題でした。
また、情報公開に熱心な別の市であったケースですが、市長が知人の事業に便宜を図ったかどうかが問題となり、それについて、他の市の市議が職員と交渉しているのですが、その交渉記録から、不当な圧力をかけたのではないかといったことで、百条委員会が開かれ、私もその代理人として、出席しました。その交渉記録が職員が一方的に作成したもので、会話内容が交渉相手に一方的に不利な内容となっていました。それを記録を根拠に委員が質問するのですが、前提事実をきちんと確認しないままに、行うため、一方的意見を述べることになり、本来、地方自治法が予定してる適切な調査内容になっていなかったと思います。
いずれも10何年も前のケースで、私も記憶で書いていますので、隔靴掻痒の感じを受けるとは思います。要は、公文書管理と言っても、対象の基準を明確にし、記載内容の合理性を担保するには相当工夫なり、配慮が必要ということを感じています。
翻って、ま、いえばここからが本論に近いのですが、わが国の国民性なのか、どうも会話なり、議論なりを記録に残すことが得意ではないのかなと思ったりしています。いや前提たる議論をすること自体も得意でないかもしれませんが。
それは行政文書といった公的な場面に限らず、企業においてもそうです。いや、クレーム対応なんかはしっかりマニュアルがあって、きちんと日時・内容と対応が記録されていますと言われるかもしれません。たしかにこの分野は、IT産業から介護福祉など、消費者問題その他いろんな分野で、かなり企業側はシステムができていると思います。しかし、ここで問題にするのは、重要な意思決定に関わる議論とその記録です。たとえば、理事会とか株式会社の議事録のマニュアルとかがウェブ上にも散見しますが、概要だけ、結果だけを書いているのが普通で、どのような議論が行われ、その決定に至ったかは、あまり書かれていないのではないかと思います。責任の所在、根拠があいまいなままです。大企業では、そのような例は少ないと思いますが、あの大王製紙事件も含め、多くの会計不正事件が引き続き起こっていることから、そう甘く見てはいけないと思っています。
他方で、組織体だけでなく、重要な案件を取り扱う人は誰もその重要性を自覚する必要があると思います。
それは法律に規定がないから必要ないということではないと思います。たとえば医師法は、「医師は、診療をしたときは、遅滞なく診療に関する事項を診療録に記載しなければならない。」と診療録の作成義務があることを定めるだけです。そのため以前は診療録の内容がいろいろで、丁寧なもの、内容がないもの、判別できないものなど、いろいろでした。最近は電磁的記録になったこともあり、きちんと記録される傾向にあると思います。それには作成マニュアルも、あるいは研修時代からの指導で、しっかりとしたものになってきたのかもしれません。
このようなことは、医師にとどまらず、弁護士、公認会計士、税理士など専門家と言われる職業のひとはすべて適切な文書管理が求められていると思います。
なにが今日の本題かはっきりしなくなりましたが、文書管理を適切に行うこと、それがいま重要な案件を扱う誰もが求められていることだと思うのです。とはいえ、公文書管理は、民主主義の根幹ですので、国、自治体の職員は、公僕として必須の本質的な義務と思うのです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます