たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

自動運転 <ある広告を見てちょっぴり自動運転を考えてみる>

2019-02-08 | AI IT IoT

190208 自動運転 <ある広告を見てちょっぴり自動運転を考えてみる>

 

今日も報道の話題が暗く、あまり展望が見えないものが多かったように思えます。児童虐待については毎日記事も<クローズアップ2019 児童虐待 増え続ける通告・相談>と現状の体制と問題点を取り上げています。こういった体制の効果の上がる整備が求められるところですが、現実は遅々として進んでいない印象です。高齢者虐待だけでなく、DV、さまざまなハラスメント、そして児童虐待と、行政も悲鳴を上げているのかもしれません。

 

病根はむろん問題を起こす個人にあるのは間違いないでしょう。その異常な言動に対して、児童相談所や学校・教育委員会は毅然とそして児童の立場に立って対応しないといけないことが理解されていなかったようです。

 

他方で、問題の親個人も心の悩み苦しみ、葛藤を抱えているかもしれません。社会の中に病巣のようなものがあるかもしれません。経済成長という上辺だけで修飾されたものの裏には当然潜んでいる病原体かもしれません。虐待児童問題については、法制度としても、虐待する側にも支援なり、相談対応が求められていたような記憶です。

 

さて話変わって、昨夜でしたか、あまり見ない宣伝シーンが鮮明に残っています(昨日かどうかがはっきりしないのは認知症の前駆症状?)。それはどこかの高級車を取り上げていたのですが、私は運転の快適さなどはあまり関心がなく、その車の全面横に取り付けられていたコーナーカメラに注目したのです。このカメラで、運転席から死角になる車の前方角付近が、まさにもう一つの目があるので、はっきり分かるのです。

 

車庫入れなどでは、私が鎌倉に住んでいたころ、超人技かと思うような入れ方で、狭い空間にぴったりと車を駐車しているのをよく見かけました。地下鉄はどうやって地下にいれるのかといった漫才の話題が昔はやりましたが、それ以上にこの車庫入れはいつも不思議に思っていました。

 

私はいまもって前方の死角部分はまったくあてになりません。また助手席側全体も苦手で、狭い道路や法敷の上の河川道路を走るときは下に落ちないよういつもびくびくしています。

 

ところがこのコーナーカメラがあれば、死角がなくなる(おおよそ)わけですから、ちゃんとその画面を見ていれば接触したりする危険は大幅に減りますね。ちゃんとしていればなくなるでしょうね。

 

ところで自動運転の車両の目はどこについているのでしょう。現在のドライブレコーダーと同じ配置であれば前方も後方も広角でだいたい見通せますね。でもさっきの死角は見えません。いくら自動運転と行っても認識できなければ事故回避のためにハンドル操作することはできないでしょう。

 

というのは車を買うとき、ディーラーからドライブレコーダーの装着をすすめられたのですが、結構な値段でしたので、止めました。以前の車で装着していたのですが、初めは面白くて見ていましたが、記録すれど見ない、事故にも遭わない、今回はいいかとおもったのです。

 

前方と後方があれば、たしかにあおり運転対策になるのでいいのですが、まあ、私のようにそれほど乗らない、乗っても短い区間といった場合、それに急ぐこともないので、あまりその遭遇するリスクは大きくないと高をくくっています。

 

それでもコーナーカメラがついたものであれば買ってもいいかなと思っています。というのは買ってから1年余りですが、何度も擦っています。ほとんど止まるようなスピードで、角に当たっているのです。死角部分がわかっていないのに、山勘でやるため擦ってしまうのです。あまり気持ちのよいものではないですね。

 

それでコーナーカメラがあれば、死角がほぼなくなるので大丈夫かなと、その売り出しを期待しているのですが、むろんバックカメラ用をコーナー付近に取り付ければいいかもしれませんが、やはり目立ちますし、かっこが悪いですね。

 

それがあの宣伝していた車(それ自体には関心がなかったのでどんな車かも覚えていません)についていたコーナーカメラ、車体にぴったりの感じでつけられていました。

 

そんなことを思いながら、現在の自動運転車はおそらくそういったカメラを車体のあちこちに相当数装着しているのかなと一瞬、思いつつ、いやあまり多いと混乱するおそれもあり、やはり前方と後方の2つくらいではないかと私の頭では落ち着きました。

 

ではわが国の道路のように、狭い道があちこちにあり、どこから歩行者・自転車が飛び出すかわからない状況で、対応できるのだろうかとか、その道に入れるのだろうかとか、少し悩みましたが、今のところは高僧道路用としてしか開発されていないようですから、必要ないのでしょうというところで、落着したのです。

 

将来、自動運転車をどこまで普及させるかによっては、人間の目となるカメラをどの程度装着するか問題になるかもしれません。おそらく自動車の材質もカメラの材質も今後は自由な形状を可能にするでしょうから、どこにでもつけられるのでしょうね。後はビッグデータを処理するくらいのAIですからどんなに画像が多くて複雑でも瞬時に解析・対応できるのでしょう。

 

もう一つ、視力?とは少し違う観点で、自動運転の場合当然、車間距離を自動的に守るでしょうから、あおり運転はなくなり、ほぼ等間隔で車が数珠つなぎのように並ぶかもしれません。むろん交通渋滞の程度や状況は瞬時に各自動車に情報伝達されるので、自動運転車は混雑の少ないところを勝手に選んで、最短時間のコースを選択するのでしょう。そうなると人の心も穏やかになるかもしれません。これは夢のまた夢かもしれませんが。

 

今日はこの辺でおしまい。また明日。


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