180522 フェイスブック考 <記者の目 転機に立つフェイスブック>を読んで
ここのところなぜか忙しくしています。今日もある事件の訴状を提出したり、別件の打ち合わせ、さらにある交通事故で医師からの電話や、ある建築事業に参加する学生参加に対する安全配慮に関する書類作成とか、裁判事件の和解条項を裁判所や相手方弁護士と交渉とか、次々とこなしていかないといけません。さらに新件が2件ほど入ってきて、対応しないといけず、これも明日以降になりそうです。
のんびり読書を楽しんだり、ブログ書きや庭いじり?をしているのがちょうどいいのですが、まだ高齢者としてはひよっこなので、働けという神のお告げかもしれません。とはいえ最近は読書量が減ってしまいました。弁護士を辞めた先輩が奈良を訪ねたとのメールを受け取りましたが、私もそういう身分にはやくなりたいと思いつつ、踏ん切りがつきません。
ところで、今日のお題はフェイスブック、これに参加したのは東日本大震災、そして人類が経験した最悪の福島第一原発事故がきっかけでした。当時、情報が錯綜していて、TVで流されるのは政府報道ばかり。そんな中、メールではいろいろな情報が拡散していました。
私は田舎にやってきて、日々草刈り三昧をしていた頃でしたので、なかなか情報が得られない。そんなとき友人のHさんからお誘いがあり、FBなるものを知り、参加したのです。やり方がわからず、最初に誤解して、まったく知らない人を数十に一挙に友人にしてしまいました。個人情報もできるだけ開示するものだと誤解して、生年月日も含め記入してしまいました。
ただ、FB友達は、大学教員や弁護士、議員、専門職などが中心で、いたってまともな議論が交換されていましたし、さらに私が魅了された日本一周をカヤックでなしとげたカヌーイストや、ある森林組合組合長をして頑張っている人、庭園アーティストのような人(不正確です)、などなど、なかなか得がたい情報交換の場となりました。
ただ、私自身は、自分の議論とか考えに、賛同を求めたり、友人を増やしていくことには関心がなかったので、それを誘うような仕組みにはあまり関心しませんでした。
それに誕生日とかを祝うというのは、あまり知らない人との間ではどうも落ち着きません。この種の遊びも私には興ざめを感じさせるところがありました。
それでもいろいろな知らない人の交流は、それなりに面白い機会でした。ただ、国会議員などは、これは仕事上やむをえないのかもしれませんが(わたしはそうは思いませんが)、どこそこにいって講演したとか、誰かと会ったとか、そこで名物を食べたとか、その行動録をアップするのには参りました。いや、見なければいいとか、なにか友人登録から削除すればいいとかある?のでしょうけど、そこまではと思うのです。
でもなぜFBから離れてしまったかは、私もよくわかりません。最初はタイピングができなくなり、半年くらい続いては、半年ないし1年休み、また半年くらい続いて指が動かなくなり休みしているうちに、なんとなくなくてもいい感じになったのでしょうかね。
その頃に、一度初めて2日坊主で長期間やめていたブログをおそるおそる再開したら、意外と指が動き、痛みもないので、数ヶ月続き、辞めようかと思いつつ、ふと千日回峰行と松岡正剛氏の千夜千冊にあやかり、千日続けてみようかと思ったのです。ま、田中陽希のグレートトラバースほど計画的でも苦行でもないので、今のところ続いています。さて何日でしょう。
元気になったので、FBに戻ってもいいはずなのですが、このブログの方が自分に合っている印象です。言いたい放題、誰からもチャチャがはいらず、一人で満足しているからでしょうか。先人と時には対話した気分になりますが、FBのように現在生きている人の生の声は聞けません。でもこれが気分転換にいいのかもしれません。FBやSNSなどがどんどん普及している中、私の場合はこういった独白がちょうどいいのかもしれません。
とはいえ、子供が時々読んでいるようですが、感想はありません。ま、駄文を繰り返しているので、時間つぶしになればとは思うのです。内心は父親の生き方の一端を示しているのかもしれないとは思っていますが、思いつきで過去のこと、現在のことを書いていますから、生き方といえるほどのものではないでしょうね。
さて、前置きがいつも以上に長広舌になってしまいました。
毎日朝刊記事<記者の目転機に立つフェイスブック 「無料」継続に知恵を=清水憲司(北米総局・ワシントン)>に入ります。
<交流サイト大手の米フェイスブック(FB)が、個人情報の不正流出問題に揺れている。>こと、とくにマーク・ザッカーバーグ最高経営責任者(CEO)の議会証言を問題にしています。
彼が<再発防止を約束し、規制強化を支持する考えを表明した>ことについて、記者は<利用者の情報以上に「会社」を守ろうとする姿勢だ。ネットで情報を共有し合うソーシャルメディアが、電気や水道のような公共性を持った今、問題を見過ごしにできないと感じている。>というのです。
ザッカーバーグ氏が、謝罪しつつ、<質問が規制の具体論に及ぶと「今後議論したい」と回答を避け続けた。>また<流出発覚後の対策によって「利用者は自分の情報を公開するかどうか制御できる」と言い張った>りして、FBの公共性への配慮を欠いたり、利用者の権利擁護を欠いたりした過去の取り扱いへの反省が見られない点です。
この点、<FBは個人情報の取り扱いを変える際、利用者に十分告知してこなかった過去がある。加えて、他にも流出がなかったかどうか、まだ調査中だ。新たな流出が判明しても、既に人手に渡った情報をFBが削除できるとは限らない。こんな状況で「利用者が情報を制御できる」と言い切るのは、あまりにも実態とかけ離れている。>と厳しい。
私自身、いまSNSやFB自体にさほど魅力を感じていないのですが、利用している人にとってはトップがこのような姿勢だと、どう感じるでしょう。それでもFBから離れることができない人が多いようです。
記者はFBの分割案を提示していますが、有効な対策なのでしょうか。根本的な対策とはいえないように思うのです。むろん、独占的地位を利用して自由に個人情報を活用できたのを、分割して競争を促進すればお互いに競い合い、個人情報保護を促進する可能性もありますが、分割によって担保される条件とは言いがたいと思うのです。
改めて利用者が自分がどのような情報を発信し、それが不当に利用されていないか、注意を払う、自己責任をもう少し意識することも大切ではないかとおもうのです。
さて一時間が過ぎてしまいました。今日はこれでおしまい。また明日。
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