180115 公文書の存在理由 <公文書クライシス 公用メール、裁量で廃棄 6省庁の課長ら8人証言>を読んで
最近、滅多に憲法を読むことがなくなったのは恥ずかしいことなのでしょうね。今朝の毎日記事を見てつい、憲法の条文を久しぶりに確認してみたくなりました。
15条2項 「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。」
その前の13条の個人の尊厳や14条の国民の平等権などはよく引用されますが、次に公務員の規定がきていることに意味があるのでしょうね。
この「全体の奉仕者」という言葉はどちらかというと形骸化している、いや実体がともなっていない意味合いで使われるように思えますが、この趣旨を体現してる公務員も少なくないことは忘れてはならないでしょうね。
しかし、毎日記事<公文書クライス>の見出しで、詳細に報じている内容は、とても憲法の規定にそぐわないように思うのです。
また平成21年成立の「公文書等の管理に関する法律」の目的にも適合しないのではないでしょうか。
その第一条を引用します。
「この法律は、国及び独立行政法人等の諸活動や歴史的事実の記録である公文書等が、健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用し得るものであることにかんがみ、国民主権の理念にのっとり、公文書等の管理に関する基本的事項を定めること等により、行政文書等の適正な管理、歴史公文書等の適切な保存及び利用等を図り、もって行政が適正かつ効率的に運営されるようにするとともに、国及び独立行政法人等の有するその諸活動を現在及び将来の国民に説明する責務が全うされるようにすることを目的とする。」
同法では公文書等を3種規定し、そのうち影響の多い「行政文書」について、2条4項で次のように定義しています。
「行政機関の職員が職務上作成し、又は取得した文書(図画及び電磁的記録(・・・省略・・・を含む。)であって、当該行政機関の職員が組織的に用いるものとして、当該行政機関が保有しているものをいう。」
つまり、行政機関の職員が職務上作成し、又は取得した文書は、例外規定に当てはまらない限り、すべて対象となるわけです。そして例外として定められている3類型は明白に識別できます。
メールは電磁的記録ですね。公務員が作成する以上、職務上によらないものは「全体の奉仕者」としてあってはならないことですね。私事を含む公務以外の事項は個人のメールアドレスを使って行うべきです。
それは一人に対して送信すれば除外されるといった話しは論外です。関係省庁との打合せのための準備作業などのメールも行政文書から除外されるべきではないでしょう。むろん国会議員を含むさまざまな関係者との間での交渉経過を記録した文書、それを庁内で共有するためのメールも、重要な行政文書から漏れるとは思えません。
改めて公文書管理法の目的規定を確認する必要があると思うのです。これらすべてを公開するかどうか、また公開時期をいつにするかは、内容によって異なる取り扱いは慎重に判断されてよいと思います。しかし、作成者個人の裁量で、廃棄したり、私的メールで扱ったりするといったことは許されるべきでないことは当然ではないでしょうか。
さて、折角ですので、少し毎日記事を引用して、取材内容を紹介しておきたいと思います。
記事はウェブ上では4つあります。多少重複していますが、とりあえずすべてクリックすればアドレスに届くようにしておきます。引用する場合は番号を付しておきます。
1 <公用メール、裁量で廃棄 6省庁の課長ら8人証言 議員対応、個人で保管も>
1の記事では<各省庁で利用が急増している公用電子メールの大半が公文書として扱われていない実態を、複数省庁の担当者が毎日新聞の取材に証言した。メールは官僚の裁量で廃棄できるといい、国会議員と対応した記録などは情報公開の対象とならないよう個人で保管するケースもあるという。情報のやり取りが増えているにもかかわらず、公の記録が残らない現状が明らかになった。>と問題の所在を明らかにしています。
現代ではメールは不可欠の意思伝達手段ですし、その利用頻度は想像を絶する勢いだと思います。わたしがメールを始めたのはカナダでもう20数年前でしたが、電話回線でしたので、遅いし、添付ファイルができたか、できたとしてもわずか、容量がとてもわずかでしたね。
ところが現在では、私は使っていませんがクラウドなどさまざまな保管方法があるようで、その容量に際限がないほどでしょう。
私のような弁護士の場合仕事で使う容量は写真・図面・文書といってもせいぜい100メガバイトくらいでしょうか。たぶん普段は1メガバイトも使っていないでしょうね。
でも公文書ではかなりの容量が飛び交っていると思われます。20年暗い前の政府や地方自治体のウェブ情報はないに等しい(北米・西欧に比べて)状態でしたが、いまではこれらの国に匹敵する程度の情報が少なくとも政府から発せられていると思います。
余分の話しに脱線しました。元に戻ります
今回の取材は、<文書管理の実務に携わる6省庁の課長、課長補佐級の職員8人>の証言を基にしていると言うことですから、信憑性が高いと思われます。かれらこそ実務の責任者だと思います。
<政府は各機関の職員に個人用の公用メールアカウント(アドレス)を付与している。・・・回覧した幹部らが確認印を押す紙の報告書が激減し、報告内容をメールで上司や同僚に一斉送信することが増えている。こうした紙の報告書は「供覧文書」と呼ばれ、公文書として職場で保存されることが多かったが、メールの場合は個人で管理され、裁量で廃棄できる状態にあるという。>
メールは個人管理でその裁量で廃棄するとなると、加計学園・森友学園問題の実体と重なりますね。
ところで、次の記事も驚きです。
<官僚が職務で送受信するメールには、他にも通常の業務報告、国会議員からの特定の政策や国会質問に関する照会、それに対応した記録など、さまざまな内容が含まれる。>
ところが<8人はメールの内容が公文書の定義に合致する可能性があっても「公文書として扱うことはほとんどない」と証言した。理由については「電話と同じようなもので文書という感覚がない」「メールに特化したルールがなく、どんなものが公文書に当たるのか判断できない」と説明した。「国会議員との対応の記録は公文書とせず個人的に残すようにしている」と証言した官僚もいた。>
これは公文書管理法の目的規定に適合しない勝手な解釈ではないでしょうか。だいたい電話と同じようといった理解は的外れでしょう。そもそも電話内容もできるだけ記録するのが本来です。面談会話も同じですね。この感覚こそ問題ではないでしょうか。
メールは公文書管理法の規定で明らかなとおり、まさに文書です。むろん具体の取り扱いマニュアルはあってもよいでしょうけど、基本は文書と同じ扱いです。しかも「国会議員との対応の記録は公文書とせず個人的に残すようにしている」という理解はどこから生まれてくるのでしょう。これは国会議員に限らず、地方の首長、議員、あるいは企業代表なども同じような取り扱いなのでしょう。この理解こそ問題ではないでしょうか。
もう一つの問題はその数量・容量の多さにどう対応するかでしょう。<この分野に詳しい政府関係者は「1府省庁あたり年間数千万~数億通」と証言しており、実際には膨大な量の公用メールが行き交っているとみられる。>
多すぎるからメールを対象にすると、大変というのは浅はかではないでしょうか。なんのためのAI開発でしょうか。学習機能を有効に働かすよう開発すれば、有益なビッグデータとなり、より効率化が図れるでしょうし、少なくとも記録することになんの障害にもならないと思います。すぐに対応できない状態であれば、早急にプロジェクトチームを編成して検討すべきでしょう。
最先端のAI技術を持ってすれば、メールの分析・整理はあっという間に仕上げて、わかりやすく整理整頓して、必要なメールデータを即座に用意してくれるようになるでしょう。むろんウィルス攻撃に対する防御は不可欠ですが。
2の記事では米国のメール管理方法が採り上げられています。
<公用電子メールであっても個人のアドレスを介してやり取りされるため、個人管理になりやすい。本数が多く内容も雑多で分類も難しいため、貴重な公文書が埋もれがちだ。米国では2016年にメールの特性を踏まえた管理基準が完成し、各省庁がメールを印字しなくても電子的に保存できるシステムや、職員のランク、記録内容に応じた保存期間を定めるルール作りを進めている。高官のメールを全て自動保存している官庁も既にある。>
メール利用は相当早い段階から行われてきたアメリカですから、管理方法も参考になるのではと思うのです。
ところで、ルールを厳格に適用するようになると、全体の奉仕者性が意識から抜け落ちている官僚の場合、容易に逃げ口を探してしまう恐れがあることはよく言われることです。
3の記事ではその辺りを指摘しています。
たとえば共有フォルダーで保管するものを公文書扱いにする賭した場合<ある官僚は「この内容なら、共有フォルダーに入れないものは公文書ではないと解釈できる。表に出すと都合の悪いメールは今まで以上に共有フォルダーに入れないようになるだけ」と話した。>とか。
公用メールはすべて公文書扱いすると、<複数の官僚によると、政治家が絡んでいて表に出しにくいような案件では、私用のメールアカウントを使ってスマートフォンなどで報告し合うケースが増えているという。その1人は「公用メールの保存や公開をルール化したら、私用メールを使う頻度が上がるだけ。抜け道をふさぐ手段を講じないと意味がない」と語った。>とか。
1対1のメールは非公開の取り扱いについては、<市は橋下氏が職員と1対1で交わしたメールは公開の対象外としていたが、大阪高裁は昨年9月の判決で、1対1のメールも公文書と認めて市の非公開決定を取り消した1審を支持し、市の控訴を棄却した。原告の服部崇博弁護士は「市の主張が通ったら、市民に知られたくない情報はわざと1対1メールで伝えれば隠蔽(いんぺい)できることになる。1対1メールは公文書ではないと考えている自治体もあるので、意義のある判決だと思う」と話す。>
当たり前の判決が評価されるほど、行政べったりの裁判所かと一瞬疑ってしまいますが、この1対1のメールは公的内容とならないという変なルール自体がまかり通ることがおかしいのです。むろん、公開に歯止めがあってしかるべきとは思いますが、それには地方自治体においても公文書管理法の趣旨にそって、いやそれ以上に、公文書管理を徹底し、公開に備えることが、民主主義の第一歩ではないでしょうか。
今日も少し時間オーバーとなりました。このへんでおしまい。また明日。
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