171209 神社と女性宮司 <富岡八幡宮殺傷宮司職巡りトラブル 復帰できず姉恨む?>などを読みながら
12月7日夜発生した富岡八幡宮での宮司殺人事件、とんでもない背景・実態が明らかになりつつありますね。
とりあえず今朝の上記毎日記事によると、事件そのものについて、<茂永容疑者と真里子容疑者は7日午後8時25分ごろ、帰宅する富岡さんを待ち伏せ、日本刀で襲いかかった。富岡さんは首などを刺され、富岡さんの運転手の男性(33)も重傷を負った。茂永容疑者は直後に短刀で真里子容疑者の腹などを刺して殺害。自身の胸や腹も刺した。>と警察発表を報じています。
その動機なり背景については、<自殺した弟で元宮司の茂永容疑者(56)=住所職業不詳=が、八幡宮が神社本庁から離脱することに反対していたことが関係者への取材で分かった。9月に離脱して富岡さんが宮司に就いたため、茂永容疑者は宮司に復帰できなくなったと感じて恨みを募らせ、襲撃を計画した可能性がある。>と関係者取材結果を報じています。
さらに宮司就任をめぐっては長い間、弟と父、また姉と弟に加えて神社本庁の間でもめていたようです。
関係者取材では<茂永容疑者は父親に代わって宮司になったが2001年5月ごろ、金銭問題などを理由に職を追われた。父親が再び宮司に就き、10年ごろからは富岡さんが宮司の代務者として跡を継いだ。しかし全国の神社を統括する宗教法人「神社本庁」が宮司就任を承認しなかったため、八幡宮は今年9月に同庁を離脱。富岡さんは正式に宮司に就任した。>
この記事をみて、つい思い出す事件があります。以前fbで書いたように思いますが(これがどこにいったか、原稿がないかも?)、宇佐神宮宮司事件です。この事件でも、神社本庁が宇佐神宮の世襲家では女性しかいなくて、その方が氏子らでつくる責任役員会で推挙され宮司になろうとしたところ、神社本庁がこれを認めず、別の方を宮司に任命して、裁判事件(その地位不存在確認訴訟は上告審で敗訴確定)、その後当該宮司が地位を職務上の問題で地位を奪われたものの、当該女性による傷害事件まで発展していますね。怒りの感情が収まらないようですね。
ところで、このような女性の宮司を認めない神社本庁の取り扱いは、他でもあったように記憶しますが、ともかく頑なに女性宮司を認めない取り扱いは、なにか女性天皇を認めない勢力と通底する思想がありそうですね。なお、神社本庁という名前から行政庁の一機関ではないかと思われる向きもあるかもしれませんが、信仰の自由という憲法上の原則からそれはありえませんね。あくまで一宗教法人です。といってもほとんどの神社を包括しているのですから、数の上では最大の宗教法人です。約8万社ある日本の神社のうち主要なものなど7万9千社以上が加盟しているとのこと。
少し脱線しますが、宇佐神宮と言えば、八幡宮の起源とされ、全国に約44,000社の総本社とされていますね。創建は古いようですが、世に出たというか、世間の耳目を騒がせたのは、あの神託事件です。宇佐神宮が道鏡を天皇の位につければ天下は泰平になるとの神託を伝え、もう少しで民間から天皇が生まれる演出をしたのですから、日本最大の事件ともいえるでしょう。結局、その真偽を確認することを任された姉(このときは女性でOKだったんですね)に代わって弟の和気清麻呂が宮司と対面したのでしょうか、神託が虚偽であることを喝破し、上申して事なきを得たわけですね。
たしかに聖武天皇は、娘の孝謙天皇(後の称徳天皇)に、天皇就任に際して、その地位について、こだわる必要がなく、皇位継承者でない民間人がなることも許されているよなんてことをやさしく語ったとか、どこかで読んだ記憶があります。そんなことも影響したのでしょうか、神託事件が起こる背景があったのでしょう。それにしても宇佐八幡宮・宮司は思いきったことをする方だったんでしょうね。虚偽が判明した後、称徳天皇が亡くなったのを契機に、道鏡は結局左遷させられましたが、宮司の方はどうなったのでしょう、こっちはフォローしていません。応神天皇という天皇家のある種頂点にあるような方を祭神として、八幡宮の起源として祀っていることから、藤原家など政権中枢も手出しできなかったのかもしれません。このあたりはかなり適当な見方ですけど。
さて、宮司の地位をめぐる紛争、骨肉の争いとなっていたわけですが、それを統括すべき役割を担っている神社本庁は、適切に対処してきたのか、それが問題だと思うのです。むろん弟夫婦が行った今回の殺戮行為はどのような理由があっても許されるはずもなく、神社本庁にその責任が問われるものではないでしょう。
しかし、こういった宮司や住職といた寺社のトップの地位をめぐる紛争は、結構起きています。多くは世襲制が事実上行われているため、肉親間での争いとなり、今回のような殺傷沙汰までに至らなくても、一触即発になるほど危険な状況はときに見られます。私自身も仕事上体験したことがあります。
こういう場合、とりわけ当該神社や寺などを統括する包括宗教法人が指導力を発揮するのでなければ、なんのための包括宗教法人となっているのでしょう。と簡単に言ってしまいますが、名前だけに近いかもしれませんね、実態は。にも関わらず、今回の場合女性の宮司はダメというのが認めない実質的な理由ではないでしょうか。それは憲法上、合理的な差別と言えましょうか。いやいや、信仰の自由、宗教団体の活動は憲法上保障されているので、そのような取り扱いは憲法に抵触しないというのでしょうか。
そうであれば、拒否する根拠をしっかり示して、亡くなった宮司の申出にきちんと対応すべきだったと思うのです。不文の原理として女性は宮司になれないというのが神社本庁にあるのであれば、それこそ開示してその原理の憲法議論をしっかりしてもらいたいと思うのです。
なぜこんなことを言うかといえば、弟は、神社本庁が女性を宮司にすることを認めないから、必ず自分が宮司になれると思っていたのではないかと思うのです。実際は氏子総代や責任役員が支持しないと、推薦されず、弟は宮司の道は客観的には閉ざされていたと思われるのですが、そのことも含めてはっきりしておくことも神社本庁のつとめだったのではないでしょうか。
ともかく宮司や住職などの事実上の世襲制、女性排除(これは神社の場合)といった、現代の時代状況にはたして適合するかどうかといった問題を真剣に議論する時期に来ているように思うのですが、神社本庁は動こうともしませんね。
ちょうど一時間近くとなりました。この辺でおしまい。また明日。
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