190128 性差と生き方 <人生相談 夫とセックスレス><性別変更訴訟 「手術条件」合憲><人間ってナンだ?超AI入門>などを見聞して
毎日の1月25日付け朝刊<性別変更訴訟「手術条件」合憲 最高裁決定 「残念だが区切り」申立人><性別変更訴訟「手術条件」合憲 最高裁決定 2判事「違憲の疑い」><性別に関係なく制服選択可能に 東京・中野区立中 小6アンケきっかけで>を読みながら、なにかもやもやしたものが残っていました。
LGBTに対する理解は私の頭の中で理解しようとしても必ずしもすっきりしているとはいえないというのが偽らざる事実です。とはいえ一人ひとりの個人の人格を尊重したい気持ちは揺るぎない思いですので、自分の中でなんらかの違和感があってもLGBTの人たちの考えは尊重したいですし、守られるべきとの思いも揺るぎないのです。
ですので、現行法に則り性別変更の手続をすることは当然ながら認められるべきですし、そこに何らかの制約的な圧力がかかるようなことがあってはならないとも思うのです。といっても私自身、この手続のことはこの訴訟で初めて知ったくらいですから、まだ実体を知らないままで書いています。
性同一性障害特例法は、同法3条で、性同一性障害者が以下の要件すべてを満たす場合、家庭裁判所に性別の取扱いの変更の審判をもとめることができるとしています。
それが次の5要件です。
一 二十歳以上であること。
二 現に婚姻をしていないこと。
三 現に未成年の子がいないこと。
四 生殖腺せんがないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。
五 その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること。
今回の性別変更訴訟では、4号要件に関連して、最高裁決定要旨によれば、<審判を望む場合、一般的には生殖腺除去手術を受けていなければならない。性同一性障害者によっては手術まで望まないのに審判のためやむなく手術を受けることもあり得、身体への侵襲を受けない自由を制約する面もある>と当該規定が自由を制約する面を認めています。
それは申立人には酷な要求ではないかとも思いつつ、LGBTの方で心と体の一致する手術をされている方も以前から相当いたかと思います。でも取り除くとか付け加えるとか、いずれも大変でしょう。
ところで性同一性障害特例法は、2条において、「性同一性障害者」の定義規定を置いていますので、LGBTの方がすべてこの主体要件に該当するわけではないでしょう。
その定義は「生物学的には性別が明らかであるにもかかわらず、心理的にはそれとは別の性別(以下「他の性別」という。)であるとの持続的な確信を持ち、かつ、自己を身体的及び社会的に他の性別に適合させようとする意思を有する者」といういわばその人の革新的な意思を必要としています。まあこれはそれほど難しくないかもしれません。
他に専門医?2名以上の診断を必要としています。法文は「そのことについてその診断を的確に行うために必要な知識及び経験を有する二人以上の医師の一般に認められている医学的知見に基づき行う診断が一致しているものをいう。」としています。
最高裁決定では、主体要件は問題になっていないようで、上述の法文が身体侵襲という要件を課していることに一定の合理性があるとして合憲としていますが、急速な時代風潮の変化からいえば、このような決定も暫定的なものにとどまるかもしれません。
4号の規定がないと、性別変更後に変更前の性別の生殖機能により子が生まれた場合とか、生物学的な性別に基づく男女を区別してきた社会に急激な変化をもたらすなどとして、<規定の憲法適合性については不断の検討を要する>と留保付きながらも、最高裁決定は合憲と判断しました。
他方で、少数意見は合憲性に疑義を指摘し、<性同一性障害者の性別に関する苦痛は、性自認の多様性を包容すべき社会の問題でもある。一人一人の人格と個性の尊重という観点から各所で適切な対応がされることを望む。>としています。
同法は平成15年成立し、昨年改正されたようで(関心が薄いのでしょうね恥ずかしい限りです)、今回の最高裁決定を受け、そう遠くない時期に見直しが検討されるように思われます。ただ、自民党政権が安泰だと?どうでしょうね。
と今日の話題がどうも最高裁決定みたいになってしまいましたが、これはさわりでして、これからが本題です。
実は今朝毎日記事<人生相談夫とセックスレス=回答者・高橋源一郎>を読みながら、夫婦ってナンだというより、男女とは何か、人間とは何かをふと考えてしまい、つい先日の最高裁決定を思い出したのです。
セックスレスの夫婦、妻からの悩み相談です。それに対し、源一郎さんは<夫婦の問題を、とりわけ、夫婦のセックスの問題を大きなテーマとしたアップダイクには、「若い無知な女の子を誘惑するのは難しくないのに、妻を誘惑することはひどく難しい」という一節もあったと思います。お互いを求め合うことから始まる関係も、いつしか変化を強いられます。しかも、別々に。>と書いています。
夫婦はセックスするものとの、原始以来の?考え方は必ずしも妥当しないこと、それは夫婦間でも、男女間でも、さまざまな交流のあり方の一つのようでもあるかもしれません。それは男性も女性も個々の自由が確立していく中で、それぞれの求めるものが微妙に変化し、それに応じて順応していかないといけないのかもしれません。
とはいえアップダイク氏の短編小説では<「夫妻はセックスが苦痛だったので、やめることにした」という一行で始ま>り、<一見、平和で落ちついた日々が続きます。けれども、そこには、なんともいえない「悲哀」のような感情が流れていました。それをのみ込んで、ふたりは静かに生きてゆくのです。>ということで、納得ずくながら単純ではないようです。
最後に源一郎さんは、<どのような関係も更新しなければ続けることはできないのですから。>と素直に話し合うことをアドバイスしています。緩やかな更新には意思疎通が不可欠ですね。
それだけ男女の仲、夫婦の関係は、昨今単純でなくなっているのかもしれません。それが結婚したくない人たちが増えている、孤独というのか一人生活を望むひとが増えているのかもしれません。
あるいは男女の性差を前提に、男女が一緒になるといったことが当然の前提とする考え方、土台が揺らいでいるのかもしれません。子どもを産むことが人口減少社会で望まれるとしても、それは個々の選択を制限するものであってはならないでしょう。
男女の仲、夫婦の関係も、セックスが必須でなくなってきたのかもしれません。精神の進化はいまそこまでたどり着いた?のかもしれません。
ここで先日も紹介したNHK<人間ってナンだ?超AI入門 シーズン2 第3回「発想する」>で登場したAIのことを少し取り上げたいと思います。AIはマンガの外観から男女差がわかるような彩色などさまざまな要素で当然のように区別した結果を示します。でもAIエンジニア?の話では、AIは性差を理解していないとのことです。人がその画像を見てさまざまな区別をしていることがビッグデータとして入力されているため、その結果として男女の違いが現れるようです。
まだ人間の細やかな心理状態には到達できていないようです。さて私たちは生物学的な性差をどこまで受け入れ、その機能をどう取り扱っていくのか、ますます混沌としそうですが、それぞれの自由な考え、生き方を大事にする世の中になってほしいと考える一人です。
今日はこの辺でおしまい。また明日。
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