190205 介護施設への期待 <岐阜・高山の介護施設5人死傷 被害女性、体に圧迫痕>を読みながら
ツグミは今日も賑やかな様子。わが家と隣の隙間を通って行き交うのはいいのですが、私の駐車車両に毎日のように糞をお土産に落としてくれます。自然の営みですからありがたく頂戴しています。と強がりを言っていますが、ほんとはカーポートを設置しようとしたら、車の大きさとの関係で業者が無理というお墨付きを下したため、あきらめただけです。
こんなとき玄侑宗久著『無功徳』にちりばめられたことばの宝庫が役に立ちそうと思うのです。玄侑宗久氏は一度、私が関わっていた団体でシンポを開催したときパネリストの一人としてお呼びして、挨拶を交わしたことがありますが、当時は芥川賞作家で僧侶という肩書き以上にまったく知りませんでした。その後当地にやってきて暇をもてあまして読書三昧を始めたころ、たまたま一冊を読み出し、それが私の感性に結構あったのか、次々と読むようになり、内容が分かっているわけではありませんが、隠れファンの一人になっています。
上記の著作も好きな一つです。いつか勉強するために、ここで連載して紹介したいと思っていますが、いつになることやら。ともかく今日はその一句を引用します。「求めない、だからこそ嬉しい」ということばがあります。それが「無功徳」の神髄かもしれませんが、惹かれる一句です。私のような仕事をしていると、とりわけ権利義務の世界で物事を認識・判断する性格がしみこんでしまっているかもしれないので、とくに肝に銘じておきたいものです。世の中、その傾向がどんどん強まってますます生きづらい状況になっているのかもしれません。
見出しの事件を取り上げる私のブログも、「求めない、だからこそ嬉しい」を没却したままであれば、空疎でしょうね。用心です。
そんな思いをもちながらも、いつもの調子で、毎日記事(中部夕刊)<岐阜・高山の介護施設5人死傷「それいゆ」被害女性、体に圧迫痕 容疑者、押さえつけたか>を取り上げます。
記事では<岐阜県高山市の介護老人保健施設「それいゆ」で入所者5人が死傷し、うち91歳だった女性に対する傷害容疑で元介護職員、小鳥剛(おどりたけし)容疑者(33)=名古屋市南区戸部下1=が逮捕された事件で、女性の体には手で押さえつけられたことによる圧迫痕などがあった>とこの逮捕容疑事実についてリーク情報を報じているようです。
< 逮捕容疑は2017年8月15日午後2時12分ごろ、施設2階の部屋で入所していた横山秀子さんに暴行を加え、両肋骨(ろっこつ)骨折と両側外傷性血気胸など約2カ月の重傷を負わせた>というのですから、<両肋骨(ろっこつ)骨折と両側外傷性血気胸など>の傷害について確たる証拠を入手しているということでしょうね。
実際、<横山さんは同日午後3時10分ごろ、具合が悪くなっているのを他の職員に発見され入院した。複数の肋骨が折れ、折れた骨が肺に刺さって血がたまっていた。>というのですから、事件直後に、入院して医師の診察、治療を受けたわけですね。
で、この施設の<折茂理事長は報道陣に「当初から事件か事故か不明だと思っている。・・・」と語った。【川瀬慎一朗】>というのですが、そのままことば通りに理解してよいか疑念をもったことから、取り上げようと思ったのです。
中部朝刊記事<岐阜・高山の介護施設5人死傷元職員逮捕 状況証拠重ね容疑固め 発覚から1年半>では、他の事情に言及しています。
<両肋骨(ろっこつ)骨折などで入院した横山さんのケースで、特捜本部は負傷状況について専門家の鑑定や意見を求めながら分析を進めた。その中で介助などに伴う事故でなく、故意による事件との見方を強めた。>と逮捕までに1年半かかった事情の一端を吐露しています。しかしなぜそのように長期間必要だったかの疑念を解消できるものではありません。
横山さんのご家族の話を取り上げています。<大けがをした横山さんに病院で会うと、首にあざがあり、爪でひっかいたような痕もあったという。「苦しくてひっかいたのではないか」。施設からは「ベッドの柵でぶつけたのだろう」と説明された>とありますが、これが私として奇妙に思えたのです。
介護サービスは、施設ではほぼ密室というか、閉鎖的な空間でのできごとで、介護担当者と入所者だけの時間・空間が相当あり、目撃者がいないとか、監視カメラが故障していたとか、はどこの施設でもありうることですし、捜査の進捗に大きな障害になるとは思えません。
まず不思議なのは、横山さんの首にあざがあること、爪でひっかいたような痕があったことについて、後者の説明はあるものの、施設の説明が不適切です。前者についてはないようですが、それが不可解です。第一、このような変化について、発見したらすぐ処置することはもちろん原因を検討する必要があるでしょうし、家族にも連絡しておくのが本来でしょう。
当時91歳の横山さんの認知症の有無程度がわかりませんが、ご家族の話からは少なくとも会話能力が十分であったとは思えないので、上記のように施設側はとりわけご家族への報告を丁寧にしておくのが本来でしょう。
そして事件日に入院したとき、<複数の肋骨が折れ、折れた骨が肺に刺さって血がたまっていた>としたら、今度は医師が適切な対応をしたかどうか、疑念を覚えるのです。このような事態は、91歳の女性が自ら起こすことは考えにくいというか、ありえないことと考えるのが自然でしょう。第三者の加害行為とみるか、少なくとも疑うのが医師としての基本ではないかと思うのです。
しかも<圧迫痕>があったというのに、医師はどう対処したのでしょう。圧迫痕は多くの場合、素人の私でも認知できることが多いと思います。肋骨骨折が起こるような圧迫痕であれば、一目瞭然ではないかと思うのです。
医師が横山さんの症状を見て治療を施す以外に、上記のような疑念にどのように対処したのか、それが適切になされたのか、まだ事件の概要しか分かりませんので、とやかくいえませんが、疑念が残ります。捜査がどのような経緯ではじまったのか、医師の市役所への連絡などにより動き出したのであれば、逆になぜこのように時間がかかったか、気になるところです。
そして施設管理の問題です。介護職員はたいていの場合とても忙しく自分の役割分担をこなすだけで精一杯でしょう。ですので、他の介護職員も適切に介護サービスをパンクチュアルに、そして適切にやっていると信頼しています。性善説でお互いの役割をみるように仕組まれているというと言い過ぎですが、たいていそのような信頼感を抱いているのではないでしょうか。なにか事故なりがあっても介護職員が加害者になるなんてことは予想していないのが普通でしょう。
しかし、そこに間隙がないかと思うのです。たとえば介護老人保健施設であれば看護師が常駐していますが、看護師が体の全体を観察し、不自然な変化があれば気づくはずです。それをスタッフと協議する時間と余裕があれば、問題発覚を未然に防ぐことが増えると思うのです。しかし、たいていの施設の看護師は、大勢を一人ないし少人数で見ているため、一人ひとりの体の変化を慎重に見る余裕がないのが実態ではないでしょうか。
それを適切に管理するのが、施設長であり、最後は理事長でしょう。理事長の発言は、積極的に対処してきたのかについて、少なからず疑念を抱かせます。
現在の介護施設での介護状態は、予算不足のせいか、経験不足のせいか、さまざまな事情があるでしょうけど、望ましい状態とはいえないと思うのです。どうすればよいか、少なくともみんなで実態を見て、検討し、見直しを考えてよい時期にあると思うのです。
玄侑宗久氏のいう「求めない、だからこそ嬉しい」とはかけ離れた問題提起かもしれませんが、どこかで通じるところがあれば幸いと思うのです。それはやはりなさそうですが。
今日はこの辺でおしまい。また明日。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます