たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

判決を求める勇気 <知的障害児・・・遺族「命の価値」問う>などを読んで

2019-03-21 | 差別<人種、障がい、性差、格差など

190321 判決を求める勇気 <知的障害児・・・遺族「命の価値」問う>などを読んで

 

法曹実務に長年従事していると、その制度に疑問を抱かない、抱いたとしても実際に裁判による解決までのリスクや壁を感じて二の足を踏む思いを、たいていの人がしてきたのではないでしょうか。

 

昨夕の毎日記事<知的障害児「逸失利益」認定は 22日判決 遺族「命の価値」問う>と今朝の毎日記事<旧優生保護法を問う強制不妊、1年で初結審 審理継続の国退け 仙台地裁、5月判決>は、私のような凡庸な人間には勇気のある行為と感じるのです。いずれも大きな見えない壁が立ちはだかる中で、正義を求めてあえて判決を求めた決断と思うのです。

 

まず、前段の事件については、<知的障害のある少年が入所施設から行方不明になって死亡したのは施設側に責任があるとして、両親が約11400万円の賠償を求めた訴訟の判決が22日、東京地裁(田中秀幸裁判長)で言い渡される。争点は、将来得られたはずの収入を算出する「逸失利益」が認められるか否か。「ゼロ」とする施設側に対し、両親は「働ける能力があった」と主張している。>とされています。

 

死亡した場合の損害賠償請求の算定上、その人が将来得られた利益、逸失利益をどう捉えるかが大きな争点となっています。この逸失利益については、交通事故の裁判例が多いですが、労働能力に応じた実収入を基本としつつ、次第に被害者の立場にたった柔軟な事例が続いているかと思います。家事従事者や無職者、生活保護受給者などは、賃金センサスの平均賃金程度は一般的ではないかと思います。しかも賃金センサス年収額表は70歳までの表示ですが、それで打ち止めというわけではなく、80代の高齢者も一定の収入を認めてきました。

 

ただ、これらの裁判例は、あくまで死亡前は一定の労働能力が潜在的に認められることが前提であったようにも思えます。そのためそれぞれの裁判例はその能力の可能性がある事実の探求を腐心していたようにも見えます。他方で、知的障害のある人で、将来的に労働して収入を得ることが困難な場合、はたして同様に逸失利益を認めることができるかとなると、これまでの制度運用からすると、容易でないことがわかります。

 

死亡された方は最重度の障害判定を受けていたようです。私が以前、成年後見を担当した方は、症状的には下記よりも重い方でしたので、一応は概略ながら少しわかります。

<和真さんは言葉がうまく話せなかったが、服を丁寧に畳むなどきちょうめんな性格だったという。両親側は「漢字が書けた」「手先が器用」などとする学校の記録を挙げ、「年齢に応じて成長しており、さらに能力を伸ばすことはできた」と主張。都の基準で「最重度」とされた障害程度の判定に疑問を抱く医師の証言も得た。>

 

就労継続支援A型や同B型事業で就労されている方の場合、収入は微々たるものですね。こういう事業所で就労できる人の場合でも、同様の問題が起こりえます。

 

裁判所は実態把握のため労働現場を訪れたのですね。

<訴訟では、障害者を雇用する会社に裁判官が自ら出向き、仕事内容や職場での配慮などを聞き取るという異例の対応をとった。これを踏まえ、両親側は「障害者の特性に合わせた職場環境の整備が広がっており、(和真さんも)就労する可能性が高かった」と訴えた。>

 

命の価値は同じという、ご両親のことばは重いです。裁判所がどう答えるか、期待したいと思います。

 

なお、一年前の322日付け毎日記事<障害児平均賃金で逸失利益 大阪地裁、算定1940万円>では、同日に、大阪地裁では事情を十分斟酌した和解解決をしています。

<山田裁判長は、家族から愛情を注がれた逞大ちゃんには療育環境が整っており、意思疎通の面などで順調な発達状況がうかがえた点を考慮。「将来的には一般的な就労ができた確率が高い」との判断を示し、平均賃金を逸失利益の算定根拠に取り入れた。>平均賃金の8割ですから、なかなかの判断だと思います。

 

西の大阪地裁の和解に対して、東京地裁が同日の日となったのは、たまたまの天の配剤なのか、意識して選んだのか、判決文でわかるかもしれません。

 

次の強制不妊の根拠となった旧優生保護法違憲訴訟について、記事では< 旧優生保護法(1948~96年)下で不妊手術を強制され、憲法13条が保障する「性と生殖に関する自己決定権(リプロダクティブライツ)」を侵害された>と違憲か否かという重大な問題とともに、損害賠償額の多寡が大きな争点となっているようです。

 

というか、国会対応と司法判断という三権分立の意義が問われているのかもしれません。

< 被害者救済をめぐっては、昨年3月以降、国会の超党派議員連盟や政府与党が救済法案の策定を進めてきた。法案は4月にも可決・成立が予想されており、国が裁判で責任を否定する中、司法判断より救済法の施行が先になる前例のない展開となりそうだ。【遠藤大志】>

 

なお、国が主張する除斥期間は、本件で採用することは考えにくいと思うのです。それはこれだけの不正義に対して司法の役割を果たしていないことになると思うのです。

<原告が2人とも強制手術から40年以上経過していることから、国は原告に請求権はないとしたが、原告側は「当時の社会状況下では個別に被害を訴え出ることは困難だった」と反論。歴代厚相の責任も追及した原告に対し、国は除斥期間を理由に厚相らの責任を否定した。>

 

国が、また医学界、医療機関が、そして社会が、これだけ非人間的差別を行ったことについて、時間の経過で忘却されることでも免責されることでもないと思うのです。私たちは、国がある学会という権威が、社会が正しいと、法律までつくって進めようとしても、そのことにより少数者の権利が不当に侵害されるおそれがあるとき、合憲性を丁寧に検証する必要があることをこの事件は警鐘していると思うのです。

 

だいたい多くの国賠訴訟では国や自治体側は審理を急ぎ充実した主張を展開しないまま早期結審を求める傾向にあるように思うのですが、本件では逆に審理継続を強く主張していたのを、裁判所が打ち切り結審したのですから、原告側には期待できる内容の判決になりそうですね。原告敗訴という判断は除斥期間といった形式理由でしか考えにくいので、そのような判断をするとは到底思えないと司法に期待する私としては考えたいのです。

 

さて争点の判断としては違憲性ですが、十分期待できるものの、違憲判断が必然かどうかは事件の中身をまだ理解していないので、場合によっては違憲判断を回避するかもしれないと思っています。ただ、違憲かどうかの判断はしてもらいたいと思うのです。

 

次は損害金ですが、国会が採用した一時金320万円はちょっと低すぎると思うのです。ただ、適正な額となると難しいですね。どのような判断が示されるか期待したいです。

 

毎日の今朝の記事<クローズアップ2019 旧優生保護法「一時金」 「早期救済」心癒えず 320万円根拠に批判>は、国会対応に批判的です。ただ、訴訟は特定の人の救済にとどまり、控訴もあるので、問題解決の長期化のリスクがありますね。

 

この記事で指摘されている一時金制度の問題を、判決後に新たに見直すことが求められるでしょう。

 

今日はこの辺でおしまい。また明日。

 

 


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