190402 梅か桜か <岡目八目ならぬ和歌の素人読み>
今日もブログが残っていますので、続けることにします。でもメールでは今日も契約終了の通知がきています。不思議な居心地です。
それはともかく、昨日決まった新元号、ちょっと遊び心である事件の期日請書に「令和」と使ってみました。5月施行ですので、勇み足ですが、まあ5月の期日でしたので、ご愛敬ということで特段、訂正もでませんでした。私は普段西暦表示をしていますので、今回もそちらはちゃんと書いています。
やはりというか「令和」の「令」についてはいろいろ異論もあるようです。どんな元号も賛否があって当然でしょう。ただ、典拠が万葉集と言うことで、この点は割合支持されているようです。典拠が中国書か和書かなんてことで議論するのもどうかと思いますね。ところで、典拠となった和歌では、梅の宴で読まれたとのことでしたか。奈良時代、ちょうど梅が遣唐使によってもたらされ、唐風文化とともに梅を愛でる和歌が流行ったとか。
それまではやはり桜だったのでしょうか。日本書紀の履中天皇3年冬11月、天皇が磐余の市磯池(いちしのいけ)で船を浮かべて酒宴を催したとき、桜の花びらが杯に散ったそうですね。それで天皇が「咲くべきでないときに散ってきた」といってその花を探させて、吉祥を喜び、宮の名、「磐余若桜宮」と名付けたそうですが、その後「稚桜宮」になったようです。
まあ、長々と書紀を取り上げましたが、「履中天皇陵」と宮内庁から治定されている日本で3番目に大きい陵墓がありますね。その履中天皇の業績というとわずか6年くらいの在位期間で上記の宴を開いて宮の名付けをしたなど、ほとんどないに等しいのですね。書紀の記述を信頼する人でも、この実態のなさと陵墓の大規模さとの釣り合いのなさをどう感じているのでしょうか。
また余分なことを書いてしまいました。今日は梅と桜の話をするつもりで書き出したのです。ともかく桜は日本固有種でしょうね。エドヒガンといった在来種があったようですね。それにあのNHKジオジャパンでビジュアル解説されたフィリピン海プレート端に並んだ火山島嶼群が次々と日本列島にぶつかり、伊豆半島がくっついた?ことで列島が形作られ、その結果、大島桜も固有種に参加したわけでしょうか。その後両者は混じり合ったのでしょうね。
で律令期に梅が到来するまでは、わが世の春を謳歌していたのかもしれません。8世紀は一時梅の時代と万葉開花で梅の歌がたくさん題材になったのでしょうか。その後平安期以降は桜に首座を奪われてしまったのでしょうかね。でも平安期以降に歌われ、業平や、定家、西行などが歌った桜は、私たちが見て親しんでいるソメイヨシノとは違うようですね。後者は江戸末期から明治初期に、江戸の染井村で育成された人工種のようです。
西行が奈良の吉野で歌った桜は別の品種の桜だそうです。
では梅はどうなんでしょうね。「令和」の典拠となった和歌では、大伴旅人が酒宴を催したとき参加していた歌人が詠んだのでしたか。旅人は、藤原家の興隆を受けて、武門の名誉も過去の話となり、杜甫などのように、酒と和歌詠みに明け暮れていたともいわれていますね。
異母妹の坂上郎女がいろんな恋愛遍歴を経て、家刀自(主婦と訳されるようですが、戸主に近いのではと思うのです)となって、旅人の子、家持の養育を買って出て、額田王と競い合う程(万葉集最多の歌を残す)の和歌の技量を伝授したのかもしれません。
その郎女、元号の典拠とした和歌と同時代に(少し後になるようです)、疫病等で禁酒令がでていたとき、梅の下で酒宴を催し、次の歌を残しています。昔、坂上郎女と旅人・家持親子の歌を解説した本を読んだ記憶があります。恋愛の情をときにユーモラスに歌いあげていたような記憶ですが、この歌は年齢を重ねた潔さも感じます。
酒坏(さかづき)に 梅の花浮け思ふどち 飲みての後は 散りぬともよし
これは律令時代ですが、平安時代もむろん梅の花が歌われています。なんといっても菅原道真のものが有名ですね。
こちふかば にほひよこせよ 梅の花 あるじなしとて 春を忘るな
道真という人は不思議な人だと思うのです(まあ、別にいくつか彼に関する書籍を読んだ程度ですが)。宇多天皇の寵愛を受けて、藤原時代に右大臣まで上り詰めるすごい政治力もあったのでしょうか。それにしても自分の屋敷にたしか紅梅と白梅を植えていましたが、なぜ梅だったか不思議なのです。そして紅梅殿といった名前の塾で優秀な塾生を育てていたようです。
不比等以来の天下採りを狙う藤原に刃向かうと、当然左遷の憂き目に遭ったわけですね。旅人も家持も同じような運命ですね。梅となにかひっかかるのは余計な勘ぐりでしょうか。
でも旅人も家持も神にはなれませんでした。なぜ道真は天神様と祭られ、各地で天満宮が建てられたのでしょう。藤原一族や関係者が災難にあい、飢饉・災害が多発したからでしょうか。それならそれまでも結構有りましたし、左遷や冤罪に問われて惨死した貴人は大勢いました。そういった人の罪を赦したり、死後官位を与えたりでだいたい片が付いているようです。
でも道真は天神様になっただけでではなく、今は学問の神様になっていますね。驚くべき推移でしょうか。
今読んでいる澤田瞳子著『腐れ梅』は、ちょうどその当たりの不思議に迫る内容です。偶然、「令和」で典拠となった梅の話がでて、なにかこじつけのようでもありますが、道真の天神様への御成の不思議がわかったような、新たな不思議の世界に迷い込むかもしれない話となっています。
さて写真は「寒梅」を以前、撮影していたのをトリミングしてアップしました。元々手ぶれがあって、さらに拡大したので、ピンぼけもいいところです。まあ下手の横好きとお笑いください。
今日はこれまで。明日はこのブログが残っていればまた続きます。
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