たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

他人の宿 <民泊 営業停止求め提訴 マンション組合・・>を読みながら

2017-06-17 | 都市のあり方

170617 他人の宿 <民泊 営業停止求め提訴 マンション組合・・>を読みながら

 

今朝も早暁前に目覚め、明るくなってからも昨日の疲れか床の中で何をするでもなく、やっと起き上がったときはもう6時近くになっていました。

 

やはり一昨日の深夜に及ぶ談論奮発とまた一杯が体全体に休みを促しているのかもしれません。私は他人の家でゆったりと飲みながら談話するのが好きでした。日本ではあまりそういう機会がなく、ついつい居酒屋、レストランなど外が多いですね。ましてや宿泊となるとホテル・旅館でしょうか。

 

外国生活の中で、他人の家で飲食談話することが普通だったり、泊まったりする経験があったのですが、私の場合自然に溶け込んでしまいました。日本ではなかなかそういう機会はなく、私の依頼人で友人的つきあいをするような人の中で、別荘に誘ってもらったり、その自宅でいろいろなタイプの客人と一緒に食事を楽しんだりというのは例外的でした。その方は長くアメリカ生活をされていたことから、大先輩でしたが家族づきあいをしていただきました。

 

先日わが家に泊まった依頼人も、少し若いですが、独自の考え方をもち、既存の価値観にとらわれない点で私も共感するところがあります。私も先方まで遠出すると泊まらせていただき、もちろん仕事の話もしますが、話題はなんでもありとどこまでも広がります。

 

で、こういう他人を家に泊まらせるというのは、現在では珍しいように思うのですが、昔からそうだったのかなと思っています。

 

先住民の集落を訪れたことが何度かありますが、むろんホテルなんてありません。たとえばロングハウスという、長屋的な長い木造の集団が暮らしている家で、各家族の空間は独立の仕切りがあり、そのリーダー的な人の部屋の一画に泊めさせてもらいました。といっても、下は板張りの床一枚、さすがに慣れるまで寝付けませんでした。布団なんてありませんが、仕切りのない一角で一緒に行った男女のメンバーが雑魚寝です。ま、山小屋よりはましですが。なんせゆったりしているのですから。

 

そのような宿泊施設の中身は別にして、彼ら先住民は、よそ者であっても危害を加えるのでなければ、安心して家に招いて泊まらせてくれるように思うのです。それは縄文時代もそうだったのではとふと思ってしまいます。いや江戸期のお伊勢参りや出雲参りなどでも、お金のある人は宿に泊まったでしょうけど、そうでない人、道に迷った人は、ついつい普通の農家の家に助けを求めたのではないでしょうか。

いま思い出せませんが、明治10年頃、東北・北海道を一人で旅したイザベラ・バードもまた、そういう経験をしたような記憶があります。

 

宮本常一著「イザベラ・バード」(講談社学術文庫)194pでは次のような一説があります。

 

「北海道は歩いてみるととても平和で、駒ヶ岳のふもとの小沼までイザベラ・パードは一人

で行っているのです。

 

『〔この夕方の少なからぬ魅力は、〕私が函館から一八マイルの旅を、伊藤も他の誰もお供させずに、馬に乗ってやって来て、まったく私一人でいることである。私は馬の荷物を下し、日本語の名調をなんとかうまく用いて丁寧に頼んだので、良い部屋と夕食を確保することができた。・・・』

 

つまり女一人が来て日本人だけの村へ泊まることができたということ、また、立派な馬に乗っているということで信用されるわけです。」

 

ここでは宿泊施設が整備されていること、女性一人の旅でも安全が保証されていたことが指摘されていますが、それは伊勢や、出雲などの名所旧跡までのるーとだけではなく、日本中至る所だったのです。会津戦争やその影響で飢餓状態であった東北の奥地ではとても不潔で食べるものもないような状況でしたが、たいていは古い時代からの駅逓制度が長く存続していたのだと思います。

 

そのような環境は、あるいは縄文や弥生の生活文化の影響からか、人里離れたムラで、宿泊先もないとき、普通の百姓も旅人が困っていると泊まらせていたのではないかと思うのです。イザベラが農家に頼んで馬小屋の隣かどこかに泊まらせてもらったことがあったように記憶しています。アイヌのでもそれに近いことがあったのではと思うのです。

 

イザベラは、見知らぬ文化・生活などに貪欲なほど関心を抱き、注意深く洞察し、また質問をしています。宿泊を通じてアイヌにいろいろ尋ねるのは当然ですが、そういった百姓にも文化の交流をしていたように思うのです。

 

余談が長くなりましたが、見出しの記事を読みながら、旅と宿、文化や生活の交流と、その場所としての条件を少し考えてみたいと思います。

 

毎日朝刊は、<民泊営業停止求め提訴 マンション組合が所有者に 東京・目黒>の見出しで、いまはやりの民泊をマンション区分所有者が自宅で経営していたことが問題となり、管理組合が当該所有者に対して損害賠償請求の訴訟を提起したというのです。

 

さてマンションを購入する人で、どれくらいの人が管理規約を熟読する人がいるでしょうか。というか、マンションの集団的共同所有という所有形態について、マンションが一般化して半世紀以上経過していると思いますが、さほど意識が高まっているとは思えないのです。

 

ところで、管理組合側は、<「居住目的以外の使用を禁じる」とする規約に反している>ことを理由にしているわけですね。これに対し、所有者側は、<旅館業法の許可がないことを認めつつ「近く住宅宿泊事業法(民泊新法)が施行され、届け出制になることが決まっており、旅館業法上の実質的な違法性は失われている」>と反論しているようです。

 

この住宅宿泊事業法については、後で少し取り上げたいですが、行政法違反だけで違法といえるかは一つの争点です。とはいえ、所有者側の主張する届け出制になったからといって、後で触れるように届け出制といっても一定の条件を整備する必要があり、はたして具備するかどうか疑問が残りますね。

 

それよりも根本的な問題、管理規約違反かどうかですね。まず、「居住目的以外の使用を禁じる」という条項は多くのマンション管理規約で採用されているものではないかと思います。規約といえども、公序良俗(ま、社会常識で規範性のあるものでしょうか)に反していたり、合理性を欠いているとき、そのまま適用できるわけではありませんが、この条項自体は穏当なものではないでしょうか。

 

すると居住目的以外の使用に該当するかどうかですね。通常の居住用に賃貸することは禁止されていないと思います。では民泊といった多様な旅行者に宿泊施設として利用させることはどうでしょう。居住というのは、基本的には定住を予定(むろんいろいろな理由で途中解約はあり得るでしょうけど)しており、まさに生活の場としての利用ではないかと思うのです。事務所や事業所、施設は、規約上、例外要件が定められていてその要件に適合すれば別ですが、アウトでしょう。と同様に、旅館業法違反はなんとなく筋違いのようにもおもうのですが、違法な事業であれば違法性が補充されるかもしれませんね。でも本質論ではないように思うのです。

 

実態として、このような民泊が一般の生活の場として居住している区分所有者、あるいはその借り主にとっては、外国人を含め多くの見知らぬ人が出入りするといった事態は、マンションがもつ居住空間という基本的な条件を侵すことになるかと思うのです。

 

とはいえ、これもベーシックな見方であって、これですべて解決する基準かというとどうかと思っています。このマンションが<分譲ワンルームマンション(46室)>という点にすこしひっかかります。こういったワンルームマンションの場合、居住性がどこまで厳格に求められているか、これはケースバイケースかもしれないとの見方もあり得ると思うのです。目黒のどういった地域か、地域性との関係もあるでしょう。商業地域や近隣商業地域内といった場合に、その居住性要件が規約上厳格に求められているかどうか、利用実態によっては、違法性がない、あるいは弱いこともあるかもしれません。

 

この話はこの程度にして、住宅宿泊事業法について、最後に少しだけ触れておきたいと思います。これをネットで調べると、<民泊の教科書>などと行政書士がホームページで懇切丁寧にその内容を紹介し、この届け出制という事務を業務にしようと営業展開がなかなかのものですね。民泊の事業化も競争が激しいでしょうけど、行政事務の競争もなかなかのものですね。

 

で、<住宅宿泊事業法案の概要>は、やはり国交省の報道を参考にした方がいいかと思います。<その閣議決定>の中にいろいろ掲載されています。

 

民泊が同法の成立を促した背景には、さまざまな問題を起こしたことが大きな要因の一つだと思います。その対応としては

 

     住宅宿泊事業(民泊サービス)を行おうとする者は、都道府県知事への届出が必要 (年間提供日数の上限は180日(泊)とし、地域の実情を反映する仕組み(日数制限条例)の創設)

    家主居住型の住宅宿泊事業者に対し、住宅宿泊事業の適正な遂行のための措置(衛生確保措置、 騒音防止のための説明、苦情への対応、宿泊者名簿の作成・備付け、標識の掲示等)を義務付け

    家主不在型の住宅宿泊事業者に対し、上記措置を住宅宿泊管理業者に委託することを義務付け

    都道府県知事は、住宅宿泊事業者に係る監督を実施 都道府県に代わり、保健所設置市(政令市、中核市等)、特別区(東京23区)が監督(届出の受理を 含む)・条例制定事務を処理できることとする

 

と届け出制と、住宅宿泊事業の適正な遂行のための措置(衛生確保措置、 騒音防止のための説明、苦情への対応などですが、はたしてこれで問題に対処できるか疑問を感じる人は少ないでしょうね。

 

他方で、地方で、周囲の人たちといい関係を作りながら、いわゆる民泊を独自にやってきた人たちにとっては、手続き的に煩わしいだけとしかうつらないかもしれません。

 

法律全体に、民泊の魅力を打ち出すものになっているとは思えないのです。いや法律ではそんなことは関係ない。経済性を追求するのも条件さえ満たしていれば結構ですというのでしょうね。

 

そこには先住民が長い歴史の中で培ってきた、他民族との交流と融和といったものが入る余地がなさそうです。旅人を心からもてなす、江戸時代までに培われた日本のよき風習といったものも、蘇りを期待することは考え違いなのかもしれません。

 

そんな不平を言っても仕方がありません。国家戦略特区の運用、共謀罪を取り込んだ改正法など、そこには公正な内容や手続き的な適正さについて国民の信頼を失いつつある現政権の問題があるように思うのです。この民泊法には日本のよき伝統、オリンピックで招致のうたい文句となった「おもてなし」の思想のかけらもうかがえないように思うのはうがった見方でしょうかね

 

いつの間にか1時間をとっくに超えてしまいました。この辺で終わりにします。


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