181014 偉人の活用法 <伊能忠敬に学ぶ 地元の偉人、伝える喜び>などを読みながら
今朝は事務所の枯れそうな花たちをわが家のささやかな庭に移してあげました。すぐ枯れることもあれば、去年枯れたのが再び開花するのもあり、それが結構楽しみです。生ゴミコンポストで蓄えた有機肥料が唯一の栄養分ですが、なんとか花たちも頑張ってくれています。いつかほんとの野山で咲き誇らせることができればと思いつつ、死ぬまでにできるかしらとも思うのです。
一汗かいた後は読書を楽しみますが、今読んでいる本のいくつかはいつか書いてみたいと思いますが、日曜日は毎日新聞の<今週の本棚>で書評が楽しみです。とりわけ加藤陽子氏のそれはいつも期待に反しません。といってもなかなか書評の本を読めないでいますが。
今日は<『誰のために法は生まれた』=木庭顕・著>で、<未来を切り拓く最強のヒント>と呼び込みがとくに強調されています。木庭氏は東大法学部教授を退官されたということで、お堅い書物ばかりと思いきや、題名のように<桐蔭学園の中高生にわかりやすく伝授した書である。>そう聞くと、昔、渡辺洋三氏が『法というものの考え方』を岩波新書で発表され、多くの法学生に読み継がれ、私も一読者となって読んだことを思い出します。
でもどうやらこの木庭氏の本はかなり違う印象です。
<人の生きる社会構造をしかと分析させるため、映画「近松物語」「自転車泥棒」を見せ、ソフォクレスのギリシャ悲劇をも読ませる。本物の古典というものは、時々の社会が抱えていた問題群を、遠心分離機にかけたごとくに凝縮し、増幅して見せてくれるものだからだ。>と、加藤書評がズバリと上等な比喩を交えて次のように本質を突くのです。
<木庭は言う。人の苦痛に共感する想像力があって初めて、何が問題かが掴(つか)める。よってまず直感せよと。実はここに、本書の企図の核心が潜む。著者は、ローマの人々が何を問題としていたのかに立ち返って考えるという大胆な企てを、中高生と共に始めてしまった。>法そのものを舞台に上げる前に、直感を問うのですね。それもギリシャ・ローマ人の感覚で。
それは<「どうしたら社会の中で力の要素がなくなるだろうか」と考える、その地点に生徒を連れて行く。ここに、最も弱い個人に肩入れするものとして「法」が生まれ、権力と利益を巡って蠢(うごめ)き、個人を犠牲にする徒党の解体を体系的に行う仕組みとしての「政治」が誕生する。>と。
なぜ本書が未来のためお最強のヒントかについて、加藤氏は<現代は危機的状況にある。国際金融システムは混迷し、内戦に伴うジェノサイドは、終熄(しゅうそく)する気配もない。そのような時代にあって困難な未来を切り拓(ひら)くための最強のヒントをこの本は与えてくれる。>と言及するのです。
そしてクライマックスは憲法9条解釈です。
<日本の未来を左右する憲法9条について、ローマ法の核にある占有の論理を引っ提げての著者の分析は、呆(あき)れてしまう程見事なのでご一読を。戦争の惨禍から生まれた日本国憲法が、実力行使を正当化する全経路を絶つべく、いかに厳密な論理で書かれているか、初めて得心できた。>そう言われると、これは読まざるを得ません。
と前置きがずいぶん長くなりました。木庭氏もすでに高齢者の仲間入りをされているようですが、今日のテーマはセカンドステージを有意義に生きぬき、郷土はもちろん日本の将来の礎を作った人たちについて、現代においてどう私たちが活かせるかを少し考えてみたいと思います。
私自身、セカンドステージの時代に入っていますが、まだ現役を続けています。セカンドステージがきちんと見えないこともあるのかもしれません。そのためこの10年ほどはセカンドステージを見事に生き抜いたと思える人たちを見つめながら過ごしてきました。
私が取り組んできた大畑才蔵もそうです。今日の毎日<セカンドステージ伊能忠敬に学ぶ 地元の偉人、伝える喜び>で取り上げられた伊能忠敬はとりわけ著名な偉人ですね。今日の記事を参考にしながら考えてみようかと思います。
<伊能忠敬(1745~1818年)の測量隊の一行は約17年かけて全国を歩き、その距離は地球一周を超える約4万3707キロにのぼった。>その忠敬は<50歳を過ぎて天文学を学んだり、全国を回って測量し>、当時としては最先端の測量技術により精密な日本全図「伊能図」を完成させたのですから、前人未踏の業績ですね。
私も何冊か忠敬の伝記物を読んだことがありますが、高齢の身で日本全国津々浦々を歩くのですから尋常ではないですね。若い頃から責任感だけでなく胆力があったように描かれていましたが、その通りかもしれません。
で、記事で紹介されているのは65歳で仕事を辞め、ちゅうけい先生を慕い、寂れた佐原のまちおこしのため、ボランティアガイドをはじめ、91歳の今も現役で、元気にガイドをつづけている<地元のNPO法人「小野川と佐原の町並みを考える会」副理事長の吉田昌司さん>です。吉田さんは<伊能忠敬が天体観測に使った象限儀のレプリカ>などを使って解説しています。
佐原のまちといえば、40年くらい前、一度、水郷のまちとして知っていたので、そのアヤメ祭りを見にいった記憶がありますが、当時は伊能忠敬に関心がなかったのか、そこの出身であることも知りませんでした。年を重ねて分かる魅力でしょうか。
忠敬のその業績は、<「佐原町並み交流館」を拠点に、忠敬の旧宅と伊能忠敬記念館>などの施設を中心に、その展示品などで理解が進み、その魅力の一端を体感できるかもしれません。
他方で、忠敬の場合、現代的なツールが活躍しているようです。<スマホ片手にたどる足跡 アプリ開発>です。
<忠敬の足跡めぐりのお供にお勧めなのがスマートフォンの無料アプリ「伊能でGo」だ。2017年11月にリリースされ、伊能測量隊が宿泊した全国約3100カ所が登録されている。ユーザーのいる地点から半径50キロ圏内にある宿泊地を画面に表示する。対象となる宿泊地から半径500メートル以内に入ると、画面をタップすれば伊能家の家紋と「到着」の文字が描かれた旗を立てられる。忠敬が滞在した時期や解説も表示される。>
たしかにこのアプリがあれば、旅行に歴史体験を重ねられ、しかも伊能測量隊と同じ現場あるいは宿泊地を追体験できるので、お手頃かもしれません。それは佐原のまちづくりとは関係がないかもしれませんが、追体験するような人は当然、拠点である佐原にやってこないはずはないでしょうね。
たしかにこういったアプリの活用は、現代では重要なツールとして考えておくべきことかもしれません。しかし、ポケモンGOのような感覚で体験する人が増えることだけではちょっと物足りない感じがします。
私にはアプリのプログラミング方法は分かりませんが、より多様な使い方がないのか考えてもらいたいように思ってしまうのは勝手な考えでしょうね。
忠敬のアプリがどうなっているのか分かりませんが、才蔵についてふと思ったのは次のようなことができないかといったことです。
たとえば、才蔵が行った小田井灌漑用水事業について、井堰、伏越、渡井などの土木技術について、当時のいくつかの技術を提示して三択にするとか、小田井開設によってビフォーアフターで田畑がどのように変わったかを推定するとか、領地支配・水利支配の歴史的推移を三択で選ぶとか、農作業の日程を空欄にして農作物ごとに穴埋めするとか、年貢料の定め方の種類と是非を問うとか、いろいろ思いつくのですが、アプリの方はちっとも思いつきません。
このような駄文は別にして、健康長寿は、歩きが一番かもしれません。才蔵も忠敬も歩き続けました。北斎も普段は家では絵を描く以外怠け者の生活をしていたといわれていますが、他方で、日本各地をいかに歩いているかはその絵の地理的分布からも分かりますね。最後に歩き続けることが目的達成のための、あるいは心豊かに生きるための、一番の秘訣かもしれません。
今日はこの辺でおしまい。また明日。
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