bakoayanの日常

fujicaとGRⅢ手に日常を一コマ写真で綴る

生きるということ

2006-07-16 | Weblog
7月10日 午後11時48分に祖母五十川美代が亡くなりました。その日は月がとてもキレイでお風呂の窓から眺めていたところ、母より連絡が…。虫の知らせとはこういう事でしょうか。82歳でした。私が高校入学から親元を離れて祖父母が親代わり。よく喧嘩しました。家出もしたし。一番扱いづらい時に祖父母と一緒にいれた事は今思えば良かったかもしれない。祖父が亡くなってからはだんだん体が不自由になってきました。でもまだ介護の状況はマチマチでリハビリもままならない。土日に母親が岐阜からやってくる。平日は姉と私で食事と洗濯の家事分担。まだ元気やったし。やはり元からの食の細さも災いして何度九死に一生をえてる。とうとう病院を入退院を繰り返すと寿命が終焉を迎えると言っていました。この2年程は寝たきりで自宅介護をしてきた母。きっとしんどくなってきたでしょう。体力にも限界だった。祖父が亡くなった時はポックリと私、姉、祖母で朝見つけました。いつもの椅子に座ったまま亡くなっていました。朝の身支度も終えた形で。たぶん母は祖父を看取る事が出来なかった事を悔んでいました。ですが、祖母を最後まで看取れた事がお互いにとって一番いい形での最後の終焉だったのではないでしょうか。人間は必ず老いていきます。祖父母の生き方は見本となるかどうかは分からない。簡素に生きる風に任せて生きる。それなりに楽しみながら生きる。自由に生かしてくれてる事に感謝します。これからも見守っていてください。時々空を見ます。よろしく。


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