今日、13時まで「頸(くび).肩.頭の調整法」の講習会に行ってきました
そのことはまた別の機会に書きますが、その講習会の帰り駅の改札の近くで、まだ4,5歳くらいの女の子が駈けてきて、つまずいて転びました。しかしその子は手を突かず、野球のスライディングのように胸から滑って行きました。(床がデパートなどのように滑る素材で良かったです)
変な話ですが、凄くきれいに滑っていて、痛そうではありませんでした女の子も何事もなかったかのように、すぐ立って歩いて行ってしまいました。きっとスピードの勢いに体を自然に任せることにより、無理な力が抜け、自然な受け身をとったためではないでしょうか従って痛がることも、怪我もなく、すぐ立ち上がることができたのでしょう。
これが私たち、成長につれ大人になっていくと、ここまで自然に任せられるでしょうか?色々な知識を得てきてしまい、自然に滑るということより、滑らないよう手で支えたり力んでしまったりして、怪我や傷めたりするような気がします。
知識や経験というものが邪魔をしてしまい、自然に任せず、自然に逆らおうとしまいがちです。確かに知識や経験で得るものも多いですし、先ほどだと滑らないように走るや危険を予知したりということが考えられます。しかし、すべてを知識経験からの予測や先読みをしてしまうと、咄嗟のときや何かあるときでも、自然に任すのではなく、何かをしようと手が出たり、脚を無理やり出したりしてしまいがちです。
これは仕事や家族関係、友人関係など様々なことでも同じことが言えるのではないのでしょうか!知識や経験上で、深読みしたり考えたつもりでやった行動が裏目に出たり、無駄になったり、逆に怒られたりします。それは知識や経験を得たとしても、その時その時の状況が変わったり、相手の精神状態や環境が変わっている場合もあります。したがってそれはやった行動が自分本位、余計な御世話と相手は捉えかねないのですそのためには自然体で、その時その時の状況に合わせられる柔軟さも必要なのでしょう?無理やり知識や経験上の知識を押し付け、逆らおうとするのではなく、その場で対応できることも大切なのではないでしょうか。
今の仕事、家族・友人関係などと先ほどの女の子にしても、とっさの環境で女の子は何も考えず(推測ですが)、体を床にまかせて、床とぶつかりあわなかかったことが、怪我や傷めなかったのでしょう。仕事、家族・友人関係などでも、その時その時の環境に合わせられる人や折り合いをつける人は、良い状態をキープできるのではないでしょうか。そこで自分の知識や経験でこうだと決め付け、相手とぶつかり合うとゴタゴタしたり、うまく物事を進められなくなるのではないでしょうか(それで精神状態や人間関係、その環境がおかしくなるのでしょう、それは体だけでなく、人間関係、その環境を怪我したとか傷めたとかということに置き換えられるのではないでしょうか!?)。
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