鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

はるばる来たぜ函館

2017-01-26 | 鉄道の旅


2 0 1 6 年 9 月 1 6 日 ( 金 )

午 後 1 2 時 1 1 分

北 海 道 松 前 郡 松 前 町

道 の 駅 北 前 船 松 前





引き続き道の駅・北前船松前にて。

今後の行程をどうするか。
松前城の登城が思ったよりも早く終わってしまったことで、時間を持て余していました。

この日は函館で一泊の予定。
函館に行くのなら、やっぱり夜景は見てみたい。
当初の計画では、


松城停留所 14時30分発
函館バス 松前・木古内線 木古内駅前行き
16時00分着

道南いさりび鉄道 木古内駅 16時32分発
道南いさりび鉄道線 普通 函館行き
JR北海道 (H75)函館駅 17時31分着

*所要時間 3時間01分 (バス乗車時間 1時間30分  列車乗車時間 59分  待ち時間 32分)
*移動距離 97.1km(バス移動 55.9km  列車移動 41.2km)   *運賃 2,360円(バス運賃 1,250円  列車運賃 1,110円)


函館に到着するのが夕方、そのまま函館山に向かって夜景を見る予定でした。しかし・・・

「せっかく函館に行くのなら、函館の街も歩いてみたい」という考えが沸き起こり・・・
「早く函館に行きたい」と思うようになり・・・
「松前の散策は打ち切ろう」という結論に達しました。

そしてスマホさんで列車の時刻を検索したところ・・・


唐津停留所 12時40分発
函館バス 松前・木古内線 木古内駅前行き
14時10分着

JR北海道 木古内駅 14時24分発
北海道新幹線 はやぶさ13号 新函館北斗行き
(H70)新函館北斗駅 14時37分着

(H70)新函館北斗駅 14時47分発
[H]函館本線 快速 はこだてライナー 函館行き
(H75)函館駅 15時02分着

*所要時間 2時間22分 (バス乗車時間 1時間30分  列車乗車時間 28分  待ち時間 24分)
*移動距離 109.3km(バス移動 55.9km  列車移動 53.4km)   *運賃 2,560円(バス運賃 1,250円  列車運賃は北海道&東日本パス使用(不使用時 1,070円)  新幹線特急券 1,310円)


木古内駅での乗り換えがギリギリになってしまいますが、新幹線を使うとかなり早く到着することがわかりました。
そして今回は「北海道&東日本パス」を使っているので、新幹線には特急料金を支払うだけで乗車できます。



料金的にも大差がないこともあって、松前を早急に発つ決意が固まりました。

 

道の駅を出て、最寄りのバス停・唐津停留所へ。
ここで12時40分発 函館バス 木古内駅行きを待つこととしました。




午 後 1 2 時 4 0 分

木 古 内 駅 行 き の バ ス に 乗 車


木古内駅へ戻るバスに乗車。
今回も津軽海峡の景色を愉しむべく、進行方向右側の座席に着座しました。



相変わらずの佳景です。
道の駅での待ち時間で調べたところ、あの崖の先っちょに白神岬という北海道最南端の地点があるそうです。



松前の浜辺。多くのかもめが羽を休めていました。



白神岬が近づいてきました。



振り返ると、渡島大島(と思われる離島)はその姿が小さくなっていきます。





砂浜は少なくなり、荒々しい巌が目立つ海岸へ。
車内からの撮影のため、ときおり水平線が斜めになっています(^_^;)



白神岬展望広場を通過。
ここが北海道最南端・・・ということはなく、白神岬はもう少し先にあります。
ここはあくまで白神岬を展望する広場なのでしょうか。


実際の白神岬の撮影はうまくいかず、バスは隣町・福島町へ。





津軽海峡の佳景は程なく終わり・・・





バスは内陸の山中へ。




再び津軽海峡が見えてきたら、1時間半のバス旅もそろそろ終点。


時刻を見てみると・・・やはり木古内駅での乗り継ぎはギリギリになりそう。
引っかかる赤信号にやきもきしながらも、函館バスさんは定刻どおりに木古内駅前に到着しました。



【今回のバス乗車記録】

唐津停留所 12時40分発
函館バス 松前・木古内線 木古内駅前行き
6番のりば 14時10分着

*所要時間 1時間30分
*移動距離 55.9km   *運賃 1,250円




午 後 2 時 1 0 分

北 海 道 上 磯 郡 木 古 内 町

J R 木 古 内 駅 に 到 着




1時間半のバス乗車を経て、約5時間ぶりに木古内駅に到着しました。
ここでゆっくりしたいところですが、乗継時間がわずか14分。
この間に木古内・新函館北斗間の特定特急券を購入しなければなりません。
さらにこのバスプールは道南いさりび鉄道線寄りにあって、新幹線ホームまでは割と離れています



木古内駅で急遽購入した特定特急券
こいつと「北海道&東日本パス」を提示して、新幹線ホームへ。



今回乗車する電車は、北海道新幹線 はやぶさ13号 新函館北斗行きです。

 

またまた撮り鉄に失敗・・・方向幕でごまかしています(^_^;)
座席は、グリーン車(9号車)のすぐ後ろの8号車。ガラガラなので難なく席に座ることができました。




午 後 2 時 3 7 分

北 海 道 北 斗 市

J R 新 函 館 北 斗 駅 に 到 着




わずか1区間13分の新幹線旅は終わり、新函館北斗駅に到着しました。
ここで少しはゆっくりしたいところですが、そうは問屋が卸さない。



次の電車・函館本線 快速はこだてライナー 函館行きがすでにスタンバイしています。



駅名標を急いで撮影。



北海道名物?サッポロビール提供の駅名標も急いで撮影。
この駅名標は真新しいもののようで、私の知るものとは違いますなぁ~。いささか味がない。

 

私を函館へといざなうはこだてライナーのお姿をカメラに収め、慌ただしく出発しました。


・・・快速の次の普通列車(14時56分発)に乗ってもよかったんですけどね。


快速はこだてライナーの停車駅は、五稜郭駅と終点・函館駅。



五稜郭駅の駅名標・By サッポロビール。
サッポロビールの駅名標といえばやはりこの書体です(#^.^#)

なおこの五稜郭駅、あの五稜郭【国指定特別史跡】の近くにあるわけではなく、かなり離れています。
五稜郭に行くには、函館駅から市電で向かったほうがラクです。



そして15時02分。

 

旅行3日目、ついに函館駅に到着しました。
まったくありきたりな表現ながら、まさに「はるばる来たぜ~」と言いたくなります。


函館に到着したので、少しひと休み・・・せずに、まず向かったのは観光案内所
ここで函館市電の一日乗車券を購入しておきます。

係の女性はなぜかたどたどしい日本語です。
おそらくは中国系の方なのでしょう。
それはともかく、市電の一日乗車券はこの日ではなく翌日に使用するので、このまま手持ちのクリアファイルに収納しました。


函館駅の外へ。



観光客が多く、活気のある駅前。
2000年代に完成した駅舎はすっきりとしたフォルムで、観光都市・函館の玄関口にふさわしいと思います。



駅前の○| ̄|_orz
いちおう「OYAKO(親子)」という名前があるのだとか。
親子そろって土下座しているようにも見えてしまう私は、いささか心が病んでいるのでしょうか?



ひとまず予約した宿に向かうべく、駅前にある市電の停留場へと歩き出しました。



【今回の鉄道乗車記録】

JR北海道 木古内駅 12番線 14時24分発
北海道新幹線 はやぶさ13号 新函館北斗行き 10両
(H70)新函館北斗駅 12番線 14時37分着

(H70)新函館北斗駅 1番線 14時47分発
[H]函館本線 快速 はこだてライナー 函館行き 6両
(H75)函館駅 3番線 15時02分着

*所要時間 38分(乗車時間 28分  乗継時間 10分)
*移動距離 53.4km  *運賃 1,310円(乗車券は北海道&東日本パス使用(不使用時 1,070円)  新幹線特急券 1,310円)





道の駅・北前船松前

2017-01-26 | グルメ


2 0 1 6 年 9 月 1 6 日 ( 金 )

午 前 1 1 時 3 0 分

北 海 道 松 前 郡 松 前 町

松 前 城 を 出 る



1時間ほど歩き回り、松前城を出ました。



時刻は正午前、少々早いですが食事処を探すこととしました。


松前で食事をすべく、松前城下通りを歩き回りますが、食事処が見つかりません。



小さな川沿いの小路を歩いて、海沿いの国道228号に出てしまいました。
おやおや、何らかの撮影でもやっているのでしょうか?
向こうに見えるのは横綱の里・福島町方面。
あの崖っぷちの道をバスでやって来たんだなぁ~(ToT)



本州方向。
それにしても松前の津軽海峡は本当に素晴らしい。


海を眺めつつ国道228号を歩いていくと、道の駅・北前船松前に到着しました。



よくよく見ると、道の駅から近いところにバス停が立っています。

 

道の駅から最寄りの唐津停留所
木古内駅へ戻るバスの時刻は12時40分、次が14時28分。
木古内駅到着時刻は、最速で14時10分ごろ、次のバスなら16時00分ごろになりそうです。

戻りの心配はともかく、道の駅へ。


中では松前産の海産物が販売されていますが、これらをスルーして「北前食堂」へ。
今回オーダーしたのは・・・



かにちらし重・大盛り(1,600円)です!!
いざ、実食!!



かにちらし重、うま~い!!



のれんに「人情と眺望が御馳走」とあったように、津軽海峡を眺めながら食事をすることができます。
海の家のラーメンがうまいように、海を眺めながらのかにちらし重も極めて美味なり。
いや、海の家のラーメンと並べて表現するのはちと違いますか(^_^;)

松前の佳景を味わい、松前の美味を味わい、かにちらし重をお新香を除いて完食しました。



この後は、松前の街を散策するわけでもなく、このまま道の駅で休憩。



道の駅にある北前船の模型
松前は北前船の寄港地であるとともに、アイヌ交易の拠点でもあり、江戸時代はこれらの利潤でおおいに栄えたそうです。
松前藩は米がとれないため、江戸時代中期の幕府は1万石格とみなしていましたが、実際の財力は10万石を超えるほどだったそうです。


みやげ物店を見て回りますが、お荷物になってしまうので購入はしませんでした。


もう少し小腹を満たしたかった私は、駐車場に面した出店でイカ焼きを買ってみました。
最初は真イカのイカ焼きを頼んだのですが、どうも真イカが不漁で出すことができないというのです。
そこで・・・



子持ちヤリイカ!・・・小さいけどうまい!



道の駅の眼下はそのまま津軽海峡。
潮風が吹きすさぶ中、美しい海を見ながら180円のイカを頬張るのでした。





松前城・後章~あっさりとした登城

2017-01-26 | 城郭【日本100名城】


2 0 1 6 年 9 月 1 6 日 ( 金 )

午 前 1 0 時 3 4 分

北 海 道 松 前 郡 松 前 町

国 道 2 2 8 号 ・ 松 城 バ ス 停



北海道最初の100名城は、松前城【国指定史跡】です。

松前城の最寄りとなるJR木古内駅から約1時間半。



松城停留所より、松前城の登城が始まります。



バス停のある国道229号から小道に入ります。
近くの案内看板と遠くの天守閣が道しるべとなって、松前城に導かれます。



おそらくは国道の旧道であろう松前城下通りから、松前城へと入ります。

 

城の入口。「史跡 福山城跡」の石標が植栽の陰にひっそりとたたずんでいます。
ここから正面の石畳を歩くのではなく、案内看板にしたがって右折すると・・・



あれ? ここは天守のすぐそばでは・・・?
あっさりと着いてしまいました。
垂れ幕の家紋は松前家の家紋ですが、似た家紋を見たことがあります。
山梨県のほうとか、あと八戸でもついこのあいだ目にしたような・・・。


松前城が築城されたのは幕末の嘉永2年(1849年)です。
それまでは福山館という陣屋が置かれていました。

松前城は、蝦夷地にロシアの艦隊が来航して以来、北方警備を目的として築城されました。
築城前は、函館山に新たな城を造ることも検討されましたが、交易の城下町・松前の衰退が危惧されたこと、そして築城の資金がまかなえなかったことから、福山館を改修して城郭にすることとなったのです。



いつもなら三の丸、二の丸と順を追って記述する登城記ですが、今回は道を進んでいっただけで本丸の手前まで着いてしまいました。
なんともあっさりとした登城記となっています。

そういえばこの日は受付の建物前でどこぞの学生がアンケートをしていました。
内容を見てみると、松前の観光振興のためのアンケートのようで、松前を観光してみた感想などを答えるもの。
たった今松前に着いたばかりの私が、このようなアンケートに答えるのは筋違いというもの。
アンケートに答えるなら松前城を出てからにすべきであろう・・・学生にはそのように伝え、アンケートは保留とさせていただきました。


ともかく受付へ。入城料は大人360円。
ほかに松前藩屋敷という江戸時代の松前城下を再現したテーマパークとの共通券が630円でしたが、今回は松前城のみの入場券を購入。

そして100名城スタンプも受付に置かれていました。



3番、松前城!
北海道最初の100名城スタンプ、絵柄は復興天守でした。


さて受付を通過すれば、城門があって、本丸に入って、天守があって、中に入っていく。
普通の城ならこのような順序ですが、松前城は違いました。
順路案内にしたがって進んでいくと、なにやら資料館のようなところへ。



アイヌが着用した「熊の爪つき冠」
この熊の爪がかなりの大きさ。
こんなのに襲われたらひとたまりもなさそうだなぁ~、そういえばこの旅で熊に遭うなんてことはないよなぁ~。



アイヌが着用した着物のようです。
「アツシ」という人物が着用していたのだとか。

松前の歴史、すなわち北海道の歴史は、先住民アイヌとの交流が主です。
そのためここの資料館はアイヌに関する史料が豊富に展示されています。



江戸時代中期の松前の様子を描いた松前屏風【松前町指定文化財】です。
このころは松前城はなく、福山館という陣屋がありました。
この屏風でもわかるように、また海のそばにあるバス停から歩いてきても実感しますが、ここは本当に海に近いです。
海から艦隊が攻め込んできたことを想定すると、並大抵の防御機構では防ぐことはできないことがわかります。



銅雀台の瓦硯(がげん)【松前町指定文化財】。
瓦硯とは、屋根の瓦を書道の(すずり)に転用したもの。
そして銅雀台は、三国志の英雄で魏の大王・曹操が建てた屋敷です。
こんなものがなんで松前にあるんだろうとは思いましたが、たぶん銅雀台というのはただの売り文句みたいなものなのでしょう。
この瓦硯はサハリン方面から伝来したものが、松前家の家宝となったものなのだそうです。


そういえばこの資料館は3階建てのようですな・・・まさか!?



最上階からはすぐ眼下に松前の海、はるか彼方には本州。



資料館の外に出ると・・・やっぱりここは天守【復興】でした。
ということは今いるところは本丸です。
本丸はなかなか広そうなのですが、工事のためか発掘調査のためか木塀で立入が制限されていました。





本丸側から城門をくぐります。すなわち退城。



福山城(松前城)本丸御門【国指定重要文化財】。
松前城で現存する数少ない遺構です。
文化財を所管する文化庁では、松前城ではなく福山城という名称で登録されています。
しかし広島県にも福山城があるので、お城業界では松前城という名称をよく用いています。



さきほどの資料館、福山城(松前城)復興天守は右隣に建ちます。



城門と天守の屋根は、銅葺きです。
通常の土製の屋根瓦だと、冬の寒さによる温度差に耐えられず割れてしまうため、銅を用いています。
この点は青森県の弘前城も同様です。

また石垣は、幕末当時最先端の切込接ぎという積み方です。
石をノミで丹念に成型し、隙間なく積み上げたものです。
松前は寒冷地なので、冬季には土が凍りついてしまいます。
温かくなって凍りついた土が解け、水とともに石垣の隙間から流れ出ることを防ぐねらいがありました。

石垣の石は、付近で採掘された緑色凝灰岩でできています。
凝灰岩は火山灰の堆積岩なので、柔らかく加工がしやすいという特徴があります。

そしてこの石垣ですが、じつは砲撃の痕がところどころにあるそうです。
私はスルーしてしまいましたが(^_^;)




受付前に戻ってきました。
アンケートをとっていた学生たちはいなくなっていました。まぁいいか~。



松前家の歴代当主が記載されている案内看板。
松前家のルーツは武田氏にあるそうです。


松前氏は、もとは蠣崎(かきざき)氏と名乗っていました。
蠣崎氏は下北半島の豪族でしたが、北海道に移住して居館を建て、アイヌとの交易を行っていました。
当時はそのような居館が12ほどあり、「道南十二館」と称されていました。

長禄元年(1457年)交易上のトラブルからコシャマインの戦いが勃発。
道南十二館のうちの10館が攻め落とされましたが、蠣崎氏のもとにいた武田信広の活躍で鎮圧されました。
この武田信広は若狭武田氏出身の人物で、この後蠣崎氏に婿養子として迎えられます。

戦国時代末期、蠣崎慶広(よしひろ)は上洛して天下人・豊臣秀吉に拝謁。
秀吉死後は徳川家康に接近し、命脈を保ちました。
慶長4年、姓を「蠣崎」からアイヌ語の「マトゥマエ」に由来する「松前」に改めました。



だから松前家の家紋は割菱なんですね。
甲斐武田氏は晴信(信玄)の代で最盛期を迎えますが、子の勝頼の代で織田信長に滅ぼされました。
若狭武田氏は織田信長に降伏していましたが、武田元明が本能寺の変で明智光秀についたため滅亡へ。
安芸武田氏も毛利元就によって滅ぼされましたが、傍流の松前家や南部家が現在も命脈を保っているのです。


戻りは別ルートで退城。



城の東側、搦め手を守護していた搦手二の門【復元】。
残っていた古写真をもとに復元されました。
高さ6.4メートルほどの高麗門だったそうです。



搦手二の門の前にはなかなか見事な三本松。
その前を水濠が通っていて、木橋で渡れるようになっていました。
そして木橋の脇に、通行人をチェックする番所が設けられていたそうです。



かつて番所があった所には、松前城の俯瞰図が配置されています。
外国艦隊の来航に対する警備のための城郭なので、海側に対しての備えは万全のように見えます。
実際に城内には、海に向けての砲台が多く備えられていました。
しかし・・・


松前城は幕末から明治維新までという短期間のみ機能した城郭なのですが、激しい戦闘を経験しています。
戊辰戦争で明治新政府軍は東北地方を平定し、榎本武揚らが率いる旧幕府軍の艦隊は蝦夷地まで落ち延びました。
榎本らは函館の五稜郭を占拠、さらに新政府に与する松前藩を攻撃しました。
榎本率いる艦隊が海から、そして新選組の生き残り・土方歳三率いる数百の兵が陸から攻めかかります。
松前城は海からの備えは万全でしたが、山側に対する備えは手薄だったので、わずか数時間で陥落してしまったのです。





帰りは天神坂門【復元】から出ました。



松前城にあった砲台のひとつ・五番台場



砲台が向いていたであろう海。
本州がよく見えます。



あっさりですが、これにて松前城の登城はおしまい。