鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

笠間城リベンジ・後編~荒れ果てた石垣

2020-01-05 | 城郭【続日本100名城】


平 成 3 1 年 ( 2 0 1 9 年 ) 3 月 3 1 日 ( 日 )

午 後 1 2 時 3 5 分

茨 城 県 笠 間 市

笠 間 城 天 守 曲 輪



笠間城【笠間市指定史跡】の登城リベンジ。
ふもとの山麓公園にレンタサイクルを停め、山を登り始めてから約25分。

 

スタンプの絵柄にもなっている天守台に達しました。
スタンプの画角はよく捉えることができたと思いますが、石垣を覆うビニールシートがとても残念ですね・・・。

東日本大震災の影響で石垣が崩れたのだそうですが、その修復がすすんでいないことを見るにつけても、復興が道半ばなのだと感じざるを得ません。





天守台の石垣は、安土桃山時代に城主となった蒲生郷成によって普請されたものです。
近江出身の蒲生氏によって、この地に石垣を造成する技術がもたらされたのでしょう。
それに加え、笠間の地が現在も花崗岩を産出するという、採石に恵まれた地であったこともあり、笠間城は茨城県で唯一、本格的な石垣を備えています。









石垣が、荒れるに任せた状態になっている?
巨石が崩れ落ちそうで、ちょっと怖いですね。



天守跡に鎮座する佐志能神社拝殿
足元の石垣もあやうい感じがしますが、拝殿自体もなんだか荒れてしまっているように見えます・・・。





本丸に戻りました。





本丸から二の丸へと下る石段。
ここにも蒲生時代の石垣が残っています。



二の丸
草木が生い茂り、往時の広さは感じられません。



二の丸から石段を下り、舗装路に出ました。
このあたりで見られる石の造形物は、蒲生時代の石垣ではないようです。



すぐ近くのロータリーのような道。
このあたりは帯曲輪だったそうです。

 

ロータリーから見下ろすと、前回の登城の最終到達地点であった大手門跡です。
これでいちおう笠間城の登城リベンジは達成!・・・ということにしましょう。



まだまだ寒い春先。
さすがにやぶ蚊の大群はいませんでしたが、ユスリカの小さな群れはすでに発生していました。
ユスリカは蚊とは違って吸血しないのですが・・・・・・やっぱり鬱陶しいですね。



帰り道、



笠間のお稲荷さんに登城の達成を報告し、笠間の地を後にしました。






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