「残業は当たり前」「親の死に目に会えると思うな」 いまだ職場で幅を利かす“20世紀型”サラリーマンの仕事観
より引用
===
――あなたの会社も“マッチョな”職場?
若手新二くんがいる職場は別名「昭和課」と呼ばれている。昭和入社の中高年層が多いからだ。昭和課の名物はズバリ、残業。定時で帰る社員はひとりもいない。一度、若手クンが帰ろうとしたところ、
「みんな頑張っているのがわからないのか。自分の仕事が終わっても『何かお手伝いしましょうか』とか、積極的に声をかけて手足を動かしなさい。若いうちはそうやって勉強するものだ!」
と上司に叱られてしまった。
どうやら、上司たちは奥さんや子どもたちにうとまれているらしく、よく「家にはオレの居場所なんてないんだよ」とボヤいている。彼らの残業の理由がそのへんにあるとすれば、つきあいで居残りさせられるこちらはたまったものではない。
学生時代の友人に打ち明けたところ、「何それ? うちの会社は残業規制で、なるべく定時に帰れってうるさいけどな」とのこと。時代の最先端企業に入社したはずだったのに、じつはそうではなかったことに今さら愕然とする若手クンだった――。
●「麻酔系ホルモン」が男たちを働かせた時代
日本の職場はかなりマッチョな仕事倫理観に支えられている。そもそも男性脳は「バリバリ働く脳」。その脳を駆使して、日本人は競争に勝ち抜いてきたからだ。
「成功したい」「競争に勝ち抜きたい」という気持ちは、男性ホルモンのテストステロンや、バソプレシンが引き起こすもの。その欲望を達成するためなら、多少の痛みにも耐えることができる。実際、皮膚電気反応テストをしてみると、男性の皮膚は女性の10分の1しか痛みを感じないそうだ。つまり、これらのホルモンはいわば麻酔薬の役目を果たしているのだろう。
だからこそかつてのサラリーマンたちは、疲れも不調もなんのその、過重労働に耐えたのである。ほんとうは心身ともに悲鳴をあげていたのかもしれないのだが、それだけ「麻酔系ホルモン」の力は強烈だったにちがいない。
思い出すのがバブル期、「24時間戦えますか」のキャッチコピーで、一躍ヒット商品となったのが旧・三共の「リゲイン」。さっそうとスーツに身を固め、世界中を飛び回る自分たちの姿に、あの頃は誰もが酔いしれていた。努力すればその分大きな成功を手にできる、と信じていたのだ。
●残業時間はバブル期直後より増加!?
しかし「麻酔効果」はいつまでも続かない。頑張ったところで、成功の確率は低い現実がやがて明らかになってきたからだ。
ベアや定期昇給が2000年前後くらいから姿を消し始めたのは周知の通り。厚生労働省の毎月勤労統計調査を見てみると、事業所規模30人以上・フルタイム働者の賃金は1997年までは毎年約2%ずつ伸びていたが、その後、下落傾向に。2007年には前年を0.1%下回っている。さらに裁量労働制やホワイトカラーエクゼンプションで、残業手当がカットされるケースも増えた。
それにもかかわらず、残業時間はバブル期直後よりずっと増えている。1993年の所定外労働時間(事業所規模30人以上・フルタイム労働者)は年平均84.3時間だった。ところが2007年は104.9時間と24%も伸びているのだ。
勤務時間の短縮化を進めようとする企業は多いが、実際には少ない人員で仕事を回さねばならない。これでは、いくらテストステロンやバソプレシンを分泌しまくったところで、気持が萎えてくるのも無理はない。
●「残業100時間」父親の死に目に会えない現実
激務のツケは家庭生活にまで及ぶ。多忙な業務に追われ、父親の臨終に立ち会うことのできなかった40代の管理職は、次のように明かしてくれた。
「父親は心臓病を患い、6年前から、入院、大手術、退院を繰り返してきました。じつは昨年秋も大きなプロジェクトの山場で『集中治療室で意識不明の重体になっている』と母親から携帯に連絡があった。
もちろん、飛んでいけるわけがありません。なにしろ仕事は忙しく、月の残業は100時間を超えます。平日は部下の仕事のチェック、深夜に及ぶ会議などで22時までには家に帰れません。土日は月1回は完全につぶれる。日曜の夜に部下にメールで仕事の指示を出したりすることも多々あります。
そういえばその前にも、父が倒れたというので飛んでいったところ劇的に回復したことがあった。『本当に死にそうになったら電話してくれ』。忙しい最中だったので、ついそう言ってしまいました。
現在、母親は一人暮らし。健常者ですがヒザが痛い、目が見えない、夜は眠れない、と訴えてくる。土日は暇があればできるだけ実家に帰り、話し相手を務めていますが、死に目にあえなくても仕方がないと思っています。
収入ですか? 管理職はいくら働いても手当は6万円程度。組合員だった13年前のほうが年収はよかった。残業代が青天井の部下たちが羨ましいですよ」
●ワーキングマザーがぶつかる「マッチョな職場」の壁
当然、女性もマッチョな職場から疎外されやすい。出産を経験したとたん、キャリアの土俵の外に押し出されるケースが多いからだ。広告業界で働くデザイナーの女性は、次のように話す。
「夜のやりとりが多い業界なのに、毎日17時で退社する日々です。子どもが熱を出せば欠勤しなければなりませんし。おかげで、仕事の担当範囲は確実に小さくなりましたね。自宅で仕事したら、と勧められることもあるんですけど、目の離せない小さな子どもの世話をしつつ長時間机に向うのは難しいですよ。それに自宅勤務では保育園の入園もほぼ不可能です。
将来についてですか……。正直、もうこれ以上のキャリアアップは望めない、という諦め感が強いですね。スキルを磨く時間もとれませんし。もちろん、職場には感謝していますよ。周りの気遣いにあぐらをかかず、仕事を疎かにしないようにしようと、自分に言い聞かせてもいます。とはいえ、この不況期にデザイナーとして生き残れるのか――不安でなりません」
スキルも経験も情熱もあるのに、子どもにもしものことがあれば、仕事を休まざるを得ないワーキングマザーたち。保育所の数そのものも十分ではなく、多くの女性が活躍の機会を失っている。企業にとっても大きな損失だ。
アグネス・チャン氏が子連れでテレビ局に出勤したことで一大論争が巻き起こったのは1987年のこと。「プロの職業人がやることではない」「プライベートを神聖な職場に持ち込むなど言語道断」と非難ごうごうだった。20年余りが経った今も、子どもを持つ女性たちは「神聖な職場」を冒涜することを恐れ、身を縮めるようにして働いている。
麻酔系ホルモンさかんだった20世紀の仕事倫理観に、男も女も翻弄されているのが21世紀の現実なのだ。
これからは、テストステロンやパソプレシンだけでなく、仲間との信頼関係を深めるホルモン、オキシトシンが有利になるような働き方もあっていい。たとえばワークシェアリングがそのひとつ。現在、大企業を中心に広がっているダイバーシティ、ワークライフバランスの制度も、こうした働き方を促進しそうだ。
ただし、これらの制度を実際にどう導入していけばよいのか、二の足を踏む企業は多いと聞く。ひょっとすると障害になっているのは、麻酔系ホルモンで頑張り続けた昔のサラリーマンの“幻影”なのではないだろうか。
「ミーイズム」「仕事離れ」が広がってきているとはいえ、まだまだ“男らしく”マジメな私たち。男らしさゆえに失うもののことを、少し考えてみてもよいのかもしれない。
■参考文献:
・「だからすれ違う、女心と男脳」(講談社)
===
(bambooコメント)
少ない人数で前よりも増えた量の仕事を回さねばならず、教育にかけられる費用も時間もない現状では、「自助努力で立ち上がって、仕事を自主的にこなしていってくれる人材」は管理者側としては歓迎だろう。
しかし、「このような時期なのだから皆耐え忍んで協力してくれ」とするだけでは、何かが足りない。
仕事自体の見直しを行い仕事量の削減を行うこと(ひとつひとつの仕事の目的の明確化)、
個々の経験と判断に依存する部分をできるだけへらすこと(組織としての判断ガイドライン的な情報を共有すること)、
自分で自助努力できるだけの環境をつくること(スタートゲートの設置)、
困ったときに駆け込む相談所の設置、
そして今後の企業、組織の方向性の共有、
これを個人、グループ内、部署内、会社内でそれぞれのレベルで。
少なくとも、こういったことが整備されていないと、ゲリラ戦のようなすすめかたにしかできない。さらなる人員削減なんかできるわけがない。
苦境に陥っている組織なら再生は疑わしい。
自分がどこまでやるか、というと「やるしかないから(目をつぶってやるし)、人にも強いる」立場から「それは会社の問題だから、それが解決するまで個人としては協力できない」立場までいろいろあるかとおもうが、どこに立つかはとても悩ましい。
個人としても、管理者としても。
ただ、いざというときは、会社は個人を守ってくれないのは確かのような気がする。どんなに貢献していようが、どんなに愛をもっていようが、切られるときは切られる、というのを見てきた。「おれだけは違う」ということはありえない。
かといって、すべて上司や他人の役割と考えて割り切るのも、(個人と個人とのつながりの点で)あんまりな気がして悩む。
より引用
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――あなたの会社も“マッチョな”職場?
若手新二くんがいる職場は別名「昭和課」と呼ばれている。昭和入社の中高年層が多いからだ。昭和課の名物はズバリ、残業。定時で帰る社員はひとりもいない。一度、若手クンが帰ろうとしたところ、
「みんな頑張っているのがわからないのか。自分の仕事が終わっても『何かお手伝いしましょうか』とか、積極的に声をかけて手足を動かしなさい。若いうちはそうやって勉強するものだ!」
と上司に叱られてしまった。
どうやら、上司たちは奥さんや子どもたちにうとまれているらしく、よく「家にはオレの居場所なんてないんだよ」とボヤいている。彼らの残業の理由がそのへんにあるとすれば、つきあいで居残りさせられるこちらはたまったものではない。
学生時代の友人に打ち明けたところ、「何それ? うちの会社は残業規制で、なるべく定時に帰れってうるさいけどな」とのこと。時代の最先端企業に入社したはずだったのに、じつはそうではなかったことに今さら愕然とする若手クンだった――。
●「麻酔系ホルモン」が男たちを働かせた時代
日本の職場はかなりマッチョな仕事倫理観に支えられている。そもそも男性脳は「バリバリ働く脳」。その脳を駆使して、日本人は競争に勝ち抜いてきたからだ。
「成功したい」「競争に勝ち抜きたい」という気持ちは、男性ホルモンのテストステロンや、バソプレシンが引き起こすもの。その欲望を達成するためなら、多少の痛みにも耐えることができる。実際、皮膚電気反応テストをしてみると、男性の皮膚は女性の10分の1しか痛みを感じないそうだ。つまり、これらのホルモンはいわば麻酔薬の役目を果たしているのだろう。
だからこそかつてのサラリーマンたちは、疲れも不調もなんのその、過重労働に耐えたのである。ほんとうは心身ともに悲鳴をあげていたのかもしれないのだが、それだけ「麻酔系ホルモン」の力は強烈だったにちがいない。
思い出すのがバブル期、「24時間戦えますか」のキャッチコピーで、一躍ヒット商品となったのが旧・三共の「リゲイン」。さっそうとスーツに身を固め、世界中を飛び回る自分たちの姿に、あの頃は誰もが酔いしれていた。努力すればその分大きな成功を手にできる、と信じていたのだ。
●残業時間はバブル期直後より増加!?
しかし「麻酔効果」はいつまでも続かない。頑張ったところで、成功の確率は低い現実がやがて明らかになってきたからだ。
ベアや定期昇給が2000年前後くらいから姿を消し始めたのは周知の通り。厚生労働省の毎月勤労統計調査を見てみると、事業所規模30人以上・フルタイム働者の賃金は1997年までは毎年約2%ずつ伸びていたが、その後、下落傾向に。2007年には前年を0.1%下回っている。さらに裁量労働制やホワイトカラーエクゼンプションで、残業手当がカットされるケースも増えた。
それにもかかわらず、残業時間はバブル期直後よりずっと増えている。1993年の所定外労働時間(事業所規模30人以上・フルタイム労働者)は年平均84.3時間だった。ところが2007年は104.9時間と24%も伸びているのだ。
勤務時間の短縮化を進めようとする企業は多いが、実際には少ない人員で仕事を回さねばならない。これでは、いくらテストステロンやバソプレシンを分泌しまくったところで、気持が萎えてくるのも無理はない。
●「残業100時間」父親の死に目に会えない現実
激務のツケは家庭生活にまで及ぶ。多忙な業務に追われ、父親の臨終に立ち会うことのできなかった40代の管理職は、次のように明かしてくれた。
「父親は心臓病を患い、6年前から、入院、大手術、退院を繰り返してきました。じつは昨年秋も大きなプロジェクトの山場で『集中治療室で意識不明の重体になっている』と母親から携帯に連絡があった。
もちろん、飛んでいけるわけがありません。なにしろ仕事は忙しく、月の残業は100時間を超えます。平日は部下の仕事のチェック、深夜に及ぶ会議などで22時までには家に帰れません。土日は月1回は完全につぶれる。日曜の夜に部下にメールで仕事の指示を出したりすることも多々あります。
そういえばその前にも、父が倒れたというので飛んでいったところ劇的に回復したことがあった。『本当に死にそうになったら電話してくれ』。忙しい最中だったので、ついそう言ってしまいました。
現在、母親は一人暮らし。健常者ですがヒザが痛い、目が見えない、夜は眠れない、と訴えてくる。土日は暇があればできるだけ実家に帰り、話し相手を務めていますが、死に目にあえなくても仕方がないと思っています。
収入ですか? 管理職はいくら働いても手当は6万円程度。組合員だった13年前のほうが年収はよかった。残業代が青天井の部下たちが羨ましいですよ」
●ワーキングマザーがぶつかる「マッチョな職場」の壁
当然、女性もマッチョな職場から疎外されやすい。出産を経験したとたん、キャリアの土俵の外に押し出されるケースが多いからだ。広告業界で働くデザイナーの女性は、次のように話す。
「夜のやりとりが多い業界なのに、毎日17時で退社する日々です。子どもが熱を出せば欠勤しなければなりませんし。おかげで、仕事の担当範囲は確実に小さくなりましたね。自宅で仕事したら、と勧められることもあるんですけど、目の離せない小さな子どもの世話をしつつ長時間机に向うのは難しいですよ。それに自宅勤務では保育園の入園もほぼ不可能です。
将来についてですか……。正直、もうこれ以上のキャリアアップは望めない、という諦め感が強いですね。スキルを磨く時間もとれませんし。もちろん、職場には感謝していますよ。周りの気遣いにあぐらをかかず、仕事を疎かにしないようにしようと、自分に言い聞かせてもいます。とはいえ、この不況期にデザイナーとして生き残れるのか――不安でなりません」
スキルも経験も情熱もあるのに、子どもにもしものことがあれば、仕事を休まざるを得ないワーキングマザーたち。保育所の数そのものも十分ではなく、多くの女性が活躍の機会を失っている。企業にとっても大きな損失だ。
アグネス・チャン氏が子連れでテレビ局に出勤したことで一大論争が巻き起こったのは1987年のこと。「プロの職業人がやることではない」「プライベートを神聖な職場に持ち込むなど言語道断」と非難ごうごうだった。20年余りが経った今も、子どもを持つ女性たちは「神聖な職場」を冒涜することを恐れ、身を縮めるようにして働いている。
麻酔系ホルモンさかんだった20世紀の仕事倫理観に、男も女も翻弄されているのが21世紀の現実なのだ。
これからは、テストステロンやパソプレシンだけでなく、仲間との信頼関係を深めるホルモン、オキシトシンが有利になるような働き方もあっていい。たとえばワークシェアリングがそのひとつ。現在、大企業を中心に広がっているダイバーシティ、ワークライフバランスの制度も、こうした働き方を促進しそうだ。
ただし、これらの制度を実際にどう導入していけばよいのか、二の足を踏む企業は多いと聞く。ひょっとすると障害になっているのは、麻酔系ホルモンで頑張り続けた昔のサラリーマンの“幻影”なのではないだろうか。
「ミーイズム」「仕事離れ」が広がってきているとはいえ、まだまだ“男らしく”マジメな私たち。男らしさゆえに失うもののことを、少し考えてみてもよいのかもしれない。
■参考文献:
・「だからすれ違う、女心と男脳」(講談社)
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(bambooコメント)
少ない人数で前よりも増えた量の仕事を回さねばならず、教育にかけられる費用も時間もない現状では、「自助努力で立ち上がって、仕事を自主的にこなしていってくれる人材」は管理者側としては歓迎だろう。
しかし、「このような時期なのだから皆耐え忍んで協力してくれ」とするだけでは、何かが足りない。
仕事自体の見直しを行い仕事量の削減を行うこと(ひとつひとつの仕事の目的の明確化)、
個々の経験と判断に依存する部分をできるだけへらすこと(組織としての判断ガイドライン的な情報を共有すること)、
自分で自助努力できるだけの環境をつくること(スタートゲートの設置)、
困ったときに駆け込む相談所の設置、
そして今後の企業、組織の方向性の共有、
これを個人、グループ内、部署内、会社内でそれぞれのレベルで。
少なくとも、こういったことが整備されていないと、ゲリラ戦のようなすすめかたにしかできない。さらなる人員削減なんかできるわけがない。
苦境に陥っている組織なら再生は疑わしい。
自分がどこまでやるか、というと「やるしかないから(目をつぶってやるし)、人にも強いる」立場から「それは会社の問題だから、それが解決するまで個人としては協力できない」立場までいろいろあるかとおもうが、どこに立つかはとても悩ましい。
個人としても、管理者としても。
ただ、いざというときは、会社は個人を守ってくれないのは確かのような気がする。どんなに貢献していようが、どんなに愛をもっていようが、切られるときは切られる、というのを見てきた。「おれだけは違う」ということはありえない。
かといって、すべて上司や他人の役割と考えて割り切るのも、(個人と個人とのつながりの点で)あんまりな気がして悩む。