bambooが言っているとだれも聞いちゃいないが、楽天の三木谷さんが同じことを言っていると言うと、ありがたがる人がいるから不思議だ。
口の悪い人なら、不思議でもなんでもなくて、そういうもんだといわれそうだが。
以下、三木谷浩史さん「成功へのコンセプト」からの引用
====
仮説を立て、その仮説を実行し、結果を検証する。
そう書くと難しいことのように思えるかもしれない。ただこれは砂場で遊んでいた子供の頃から、誰もがやってきたことだ。
砂で山を作る。誰かが水飲み場から水をすくって砂山にかけた。川ができた。面白いからみんなでそれをやる。そのうち飽きる。じゃあ今度は水をバケツでくんでかけたらどうなるだろう。砂山が崩れた。よし、もっと大きな砂山を作ろう・・・。
小さな子供の遊びを眺めていると、ほとんどがそういうことの繰り返しであることに気づく。仮説・実行・検証は、人間の本性でないかとすら思えてくる。
我々の遠い祖先にしても、ずっとそういうことを繰り返しながら、文化や文明を築き上げてきたわけだ。
仮説・実行・検証は、道の問題に直面した時の人間の基本的な行動パターンなのだ。
もっとも人間にはもうひとつ、問題解決のための武器がある。模倣、あるいは学習という方法だ。未知の問題というのは、あくまでもその人にとって未知であるだけで、たいていは他の誰かがかつて直面した問題であることがほとんどだ。
すでに解決法が発見されているのなら、それを真似したほうが労力を節約できる。
文明が複雑になればなるほど、そして社会に所属する人が増えるほど、問題解決を模倣や学習に頼る割合は増えていく。
子供の場合も、成長するに従って同じことが起きる。自分で工夫するより、お兄ちゃんの遊びを真似したほうが面白かったりするのだから仕方がない。砂場遊びを卒業した子供は、次第にサッカーに夢中になっていくわけだ。
もちろんこれには、どちらの問題解決が優れているかどうか、という話ではない。
仮説・実行・検証という方法と、模倣・学習という方法の両方があったからこそ、人間の文明はここまで発達することができたわけだ。それに実際上、この2つは密接に絡み合っていて、どちだがどちらか区別ができないことがある。
問題があるとすれば、模倣・学習に偏りすぎると、仮説・実行・検証という方法論を忘れてしまいがちになることだ。
ビジネスの現場では、特にそういうことが起きやすい。
右も左も分からない新入社員時代には、学ぶべきことがたくさんありすぎて、仮説を立てるなんてことまでには気が回らない。そもそも仕事の内容が分からなければ、仮説の立てようがないわけだ。
一所懸命に仕事の勉強をしているうちに、自分の頭で考えて問題を解決する方法があることを忘れてしまう。
これは笑い話ではなくて、真面目な人ほどそうなりやすい。
極端なことを言えば、21世紀の人類んは膨大な知の蓄積がある。しかもインターネットというツールのおかげで、その無尽蔵のデータベースにアクセスすることが容易にできるようになった。学習には限りがないのだ。
会社の上司や先輩にしても、初めての仕事をさせるとき、新入社員に自分の頭で考えろなんてアドバイスする人はあまりいない。仕事はあくまでも覚えるものであって、考えるものとは思っていないビジネスマンは決して少なくないのだ。
けれど、単なる学習だけだで、本当にいい仕事をすることはできない。
禅宗にはこういう言葉があるそうだ。
「師に会っては師を殺し、仏に会っては仏を殺す」
殺すというのは乗り越えるという意味だろう。師匠の言いつけを守り、経典を読んでいるだけでは、絶対に進歩できないと言っているのだ。
常に進歩することを考えて行動する。これは、もちろんビジネスにおいて重要なことだ。
江戸時代から300年続いた京都の老舗であったとしても、今も元気に商売をしているところは、毎年のように新しいチャレンジをしている。
伝統を守るためにも、新しいことをしなければならないのだ。
ましてインターネットの世界でビジネスをする僕達は、24時間いつでもこの気持ちをもっていなければならない。
仮説・実行・検証という行動様式は、そのための強力な武器なのだ。
仮説にも良い仮説と、悪い仮説がある。
どうすればよい仮説が立てられるか。
僕はまず「そもそも論」を考えるべきだと思う。
どんな仕事のときでも、”そもそもこの仕事はなんのためにするのか”を考えるということだ。
昔、長嶋茂雄さんは空振り三振した時のために、ヘルメットが派手に飛ぶように練習していたという話がある。そんな練習は勝敗には何の関係もない。
けれど、長嶋さんは、そうしたほうがお客さんが喜ぶと考えたのであろう。ピッチャーとの息詰まる戦い。長嶋さんはヒットやホームランを狙うが、あえなく三振に終わることもある。そのときヘルメットが宙高く飛べば、バッターが全力で戦っていることが観客にも伝わる。そうすれば三振を奪ったピッチャーの投球も引き立つ。
地味な空振りもひとつのエンターテインメントになるわけだ。
長嶋さんは、”そもそも何のために野球をするのか”を考えたのだと思う。
野球としては、もちろん勝負に勝つことが目的だ。だけど、ではなぜ勝った方がいいのか。それは、観客が喜んでくれるからだ。
スタジアムに足を運んでくれた観客やテレビで観戦しているファンが、野球は面白いと感じてくれなければどんなに勝負に勝っても意味はない。そもそも野球はエンターテインメントなのだという意識が、長嶋さんのプロ意識の中心にあったのだと思う。
だからあれほどの国民的人気を集めることができたのだろう。
そもそもこの仕事はなんのためにあるのか。
いつもそう考える癖をつけておけば、それが仕事のアイデアにつながっていく。
改善のための仮説も自然に沸いてくるはずだ。
(以下略)
====
つまらない仕事を少しは面白くするためのヒントになると思う。
1回でも成功体験を経験できれば、先にもっと面白いものがあることがわかるとおもう。
10のうち1つでも面白くできれば、人生が変わると思う。(bamboo実績では30のうち3つくらい面白かったような気がする)
自分が主人公の、たったひとつの自分の人生なんだから、面白くしないと損だ。
22:06追記
ペットのだらさんの歌
「その砂場 聞いちゃいないが ありがとう」
あのねえ。
口の悪い人なら、不思議でもなんでもなくて、そういうもんだといわれそうだが。
以下、三木谷浩史さん「成功へのコンセプト」からの引用
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仮説を立て、その仮説を実行し、結果を検証する。
そう書くと難しいことのように思えるかもしれない。ただこれは砂場で遊んでいた子供の頃から、誰もがやってきたことだ。
砂で山を作る。誰かが水飲み場から水をすくって砂山にかけた。川ができた。面白いからみんなでそれをやる。そのうち飽きる。じゃあ今度は水をバケツでくんでかけたらどうなるだろう。砂山が崩れた。よし、もっと大きな砂山を作ろう・・・。
小さな子供の遊びを眺めていると、ほとんどがそういうことの繰り返しであることに気づく。仮説・実行・検証は、人間の本性でないかとすら思えてくる。
我々の遠い祖先にしても、ずっとそういうことを繰り返しながら、文化や文明を築き上げてきたわけだ。
仮説・実行・検証は、道の問題に直面した時の人間の基本的な行動パターンなのだ。
もっとも人間にはもうひとつ、問題解決のための武器がある。模倣、あるいは学習という方法だ。未知の問題というのは、あくまでもその人にとって未知であるだけで、たいていは他の誰かがかつて直面した問題であることがほとんどだ。
すでに解決法が発見されているのなら、それを真似したほうが労力を節約できる。
文明が複雑になればなるほど、そして社会に所属する人が増えるほど、問題解決を模倣や学習に頼る割合は増えていく。
子供の場合も、成長するに従って同じことが起きる。自分で工夫するより、お兄ちゃんの遊びを真似したほうが面白かったりするのだから仕方がない。砂場遊びを卒業した子供は、次第にサッカーに夢中になっていくわけだ。
もちろんこれには、どちらの問題解決が優れているかどうか、という話ではない。
仮説・実行・検証という方法と、模倣・学習という方法の両方があったからこそ、人間の文明はここまで発達することができたわけだ。それに実際上、この2つは密接に絡み合っていて、どちだがどちらか区別ができないことがある。
問題があるとすれば、模倣・学習に偏りすぎると、仮説・実行・検証という方法論を忘れてしまいがちになることだ。
ビジネスの現場では、特にそういうことが起きやすい。
右も左も分からない新入社員時代には、学ぶべきことがたくさんありすぎて、仮説を立てるなんてことまでには気が回らない。そもそも仕事の内容が分からなければ、仮説の立てようがないわけだ。
一所懸命に仕事の勉強をしているうちに、自分の頭で考えて問題を解決する方法があることを忘れてしまう。
これは笑い話ではなくて、真面目な人ほどそうなりやすい。
極端なことを言えば、21世紀の人類んは膨大な知の蓄積がある。しかもインターネットというツールのおかげで、その無尽蔵のデータベースにアクセスすることが容易にできるようになった。学習には限りがないのだ。
会社の上司や先輩にしても、初めての仕事をさせるとき、新入社員に自分の頭で考えろなんてアドバイスする人はあまりいない。仕事はあくまでも覚えるものであって、考えるものとは思っていないビジネスマンは決して少なくないのだ。
けれど、単なる学習だけだで、本当にいい仕事をすることはできない。
禅宗にはこういう言葉があるそうだ。
「師に会っては師を殺し、仏に会っては仏を殺す」
殺すというのは乗り越えるという意味だろう。師匠の言いつけを守り、経典を読んでいるだけでは、絶対に進歩できないと言っているのだ。
常に進歩することを考えて行動する。これは、もちろんビジネスにおいて重要なことだ。
江戸時代から300年続いた京都の老舗であったとしても、今も元気に商売をしているところは、毎年のように新しいチャレンジをしている。
伝統を守るためにも、新しいことをしなければならないのだ。
ましてインターネットの世界でビジネスをする僕達は、24時間いつでもこの気持ちをもっていなければならない。
仮説・実行・検証という行動様式は、そのための強力な武器なのだ。
仮説にも良い仮説と、悪い仮説がある。
どうすればよい仮説が立てられるか。
僕はまず「そもそも論」を考えるべきだと思う。
どんな仕事のときでも、”そもそもこの仕事はなんのためにするのか”を考えるということだ。
昔、長嶋茂雄さんは空振り三振した時のために、ヘルメットが派手に飛ぶように練習していたという話がある。そんな練習は勝敗には何の関係もない。
けれど、長嶋さんは、そうしたほうがお客さんが喜ぶと考えたのであろう。ピッチャーとの息詰まる戦い。長嶋さんはヒットやホームランを狙うが、あえなく三振に終わることもある。そのときヘルメットが宙高く飛べば、バッターが全力で戦っていることが観客にも伝わる。そうすれば三振を奪ったピッチャーの投球も引き立つ。
地味な空振りもひとつのエンターテインメントになるわけだ。
長嶋さんは、”そもそも何のために野球をするのか”を考えたのだと思う。
野球としては、もちろん勝負に勝つことが目的だ。だけど、ではなぜ勝った方がいいのか。それは、観客が喜んでくれるからだ。
スタジアムに足を運んでくれた観客やテレビで観戦しているファンが、野球は面白いと感じてくれなければどんなに勝負に勝っても意味はない。そもそも野球はエンターテインメントなのだという意識が、長嶋さんのプロ意識の中心にあったのだと思う。
だからあれほどの国民的人気を集めることができたのだろう。
そもそもこの仕事はなんのためにあるのか。
いつもそう考える癖をつけておけば、それが仕事のアイデアにつながっていく。
改善のための仮説も自然に沸いてくるはずだ。
(以下略)
====
つまらない仕事を少しは面白くするためのヒントになると思う。
1回でも成功体験を経験できれば、先にもっと面白いものがあることがわかるとおもう。
10のうち1つでも面白くできれば、人生が変わると思う。(bamboo実績では30のうち3つくらい面白かったような気がする)
自分が主人公の、たったひとつの自分の人生なんだから、面白くしないと損だ。
22:06追記
ペットのだらさんの歌
「その砂場 聞いちゃいないが ありがとう」
あのねえ。