Bamboo(てのりぐま)日記

子どもの成長とお出かけの記録。気が向いたら好きなものの勝手レビューをします。毒も吐きます。月の最後は読書記録で締めます。

5月度月報

2010-05-31 20:00:00 | 読書
今月は0冊。

===

今月は、こどもといろいろあそんだり、ちょろっとお出かけしたり、オープンスクールに行ったりでした。
来月もそんな感じで考えています。
天気も暑すぎなくてちょうどいいし。
おそとに出ると気持ちいいです。

別にお金かけなくても、近くの公園で、自転車で1周とかままごととかをしているだけでも十分に楽しいみたいだし。街の中を散歩して、マクドのハッピーセット食べるだけでも楽しいみたいだし。
まだまだお父さんと遊んでくれそうなのでうれしいですね。
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五月山。

2010-05-30 22:50:00 | おでかけ
池田の五月山公園に家族でハイキングに出かけました。
今回はちび2号もいるのでなるべく疲れないルートをとりました。

(※1から※8についてbambooコメントあり。進行ルートは赤色で記入)


はじめは五月山緑地都市緑化植物園(海抜100m)からスタート。
小さい植物園ですが小奇麗です。
池の鯉を散々観察した後、植物園の裏側の階段をのぼって右側へ。
2~3分ぐらいいったところに写真のような看板があります。

その先すぐに分岐点になりますが、右側にいってしまうと杉ヶ谷コースという沢のぼり?コースになるので左側のひょうたん島コースへ。
30分くらい上ると、展望台があります。
※1の場所です。
こんな感じ。眺望良好。



大阪平野が一望できます。
写真の真ん中が梅田~京橋のビル群、右端にUFOのように大阪ドームが写っています。
3月とか4月のほうが葉っぱにじゃまされないかもしれませんね。

つぎは、ちび2号リクエストの、つり橋のオブジェ(※2)へ。
先ほどと比べて平坦で楽です。途中でまた大阪平野が見えます。
うぐいすが絶好調に鳴いていたり、自然度満点です。
30分ほどでつり橋につきます。
ほんの20mくらいのオブジェですが、ちび2号、かなりまじ顔でへっぴり腰でわたっていました。
ちび1号がつり橋をゆらすと本気モードで怒っていました。きっと怖かったのでしょう。

来た道を戻り、ひょうたん島まで行かずに五月山へ。
自然とのふれあいコースとなっていますが、いきなりへび(たぶん青大将)と遭遇(※3)。
直径3~4センチ、長さ7~80センチくらいの立派なへび。きっと食べ物がよいのでしょう。にょろにょろと山の上のほうへ逃げていきました。
途中、ちょっとちび2号が通れないくらい険しいところがあったのでだっこして通過。

五月山展望台(※4 海抜190m)からは、川西や宝塚のほうが見えます。電車や車が豆粒みたいです。
ここでお弁当を食べて、弁当を食べて1号と2号を遊ばせてガス抜きしたあと下界へ。
あとは基本下りですが、下りのほうが危ないので注意です。

途中、頭のすぐ上でうぐいすが鳴き、びっくり。
しばらく上のほうを見ていましたが、鳴いたのがそれっきりで見つけられず、残念でした。
かわりにやもりを見つけて、ちび2号が棒でつんつんしていました。(※5)

途中、秀望台(※6)からもなかなかいい眺めでした。なんかこの辺、一枚岩っぽい感じがした。

あとはどんどん下って五月山の動物園(※7)へ。
アルパカもウオンバットも、おしりがとっても丸くてキュートでした。
横浜で見たウオンバットより池田のウオンバットのほうがかわいく感じました。
たぶんこちらのウオンバットのほうがコアラに近いサイズだから(小さいから)でしょう。
エミューは、見ているうちに急に爆走しだして、そのままずっと走り続けていました。
えらい迫力ありました。でもなんで急に走り出したんだろう、何かにびっくりしたのかな。
まるまると太ったワラビーが、毛の抜けたワラビーを両手足で上から押さえ込んでいました。なんか遊びじゃなくていじめにみえました。
あの毛の抜けたワラビー、大丈夫かな。 

その後公園(※8)で数々の遊具に引っかかり、散々遊んだ後帰りました。
超ロングの滑り台があり、最終スピードがかなり出ます。
ローラー滑り台でないものでこれだけ長いのは見たことないなあ。

=== 6/2追記 ===
ようやく筋肉痛から開放。orz
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好循環。

2010-05-28 21:46:13 | こども・教育
ちび1号のモチベーション。

「力いっぱい泳ぐ」=>「タイムが出る」=>「昇級する」=>「ほめられる」=>「うれしい」=>先頭へ

「力いっぱい将○を指す」=>「勝つ」=>「昇級する」=>「たのしい」=>先頭へ


いいサイクルだ。




いっぽうbambooは・・・

「力いっぱい働く」=>「プロジェクトが火を噴いている」=>「もっと力いっぱい働く」=>「やっぱり火を噴いている」=>「疲れる」=>「やっぱり火を噴いている」=>だんだん壊れる


これではだめだ・・・。「うれしい」とか「楽しい」がない。


ちび1号がうらやましい。
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寡黙

2010-05-27 21:50:51 | 仕事・育成・転職
今日は、会社でふたことしかしゃべりませんでした・・・
別に窓際に座らされているわけでないけど・・・
変な割り込み作業もないし、魂がやすらぎます。

こういう状況だと、周りがよく観察できます。

どうか安穏とした毎日が過ごせますように・・・。神様おねがい!
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最近

2010-05-25 20:35:57 | 仕事・育成・転職
最近、墓守みたいな仕事をしている。
墓守というとちょっと差別的なので、公称は「お留守番役」と称している。ちょっと自虐的だが。
まあ、仕事の合間に、机とかいすとかコンピューターとか、三木谷さんみたくピカピカにしてみると、少しは気分転換になる。

2年ぶりくらいに、早く帰れてるのがいい。
ちびたちが毎日驚くのがおもしろい。
「なんでこんな時間に帰ってくるの(~0~)」
「また早く帰ってきた(~0~)/」
「今日も早すぎるお父さん・・・」

どうせ、そのうち火事場に出動になるんだろうけど、しばらく英気を養うつもり。
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ケータイカメラ

2010-05-23 12:06:02 | こども・教育
ちび1号とちび2号に、bambooの使用済み携帯をおもちゃとして渡してあるが、一番使っているのはカメラ機能みたいだ。
しかも、意外と上手。自然な笑顔を多数撮影している。
親の世代とは違って、とるほうもとられるほうも、意識しないでぱちゃぱちゃ撮影するから、めっちゃいい写真もある。

きっと、こどもたちの世代が大人になると、カメラはもっと敷居が低くなるに違いない。
魂入れてシャッター切らないといい写真が撮れないような思い込みがあったが、こどもがケータイでとった写真とか見ていると、そうでないように思える。

とるほうの敷居が低くなれば、楽しんだりするほうの敷居も低くなるだろう。
ちび1号は、ケータイに入っている画像の編集アプリ(僕が現役でそのケータイを使っていたときは、存在することすら知らなかった機能)を自由自在に使いこなして、顔を宇宙人見たく変形したり、凸面鏡や凹面鏡に写したように変形しては笑い転げている。
そういうのを観察していれば、次世代の新機能のヒントがありそうだ。

一方、昔だったら個人的に(せいぜい仲間うちで)楽しんで終わりだったのが、ネットとかで半永久的にのこせて後に影響が残る点については、充分に考慮することが必要だろう。
そういう点では、ネットリテラシーの教育が早期から意識されていることについては喜ばしい。
~してはいけない、のように規則みたいに教えるのではなく、人を思いやった上で人に迷惑のかからないようにしつつ楽しむという価値観を伝えていければ、人間教育の一部になるだろう。
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DSとケータイ

2010-05-22 20:52:52 | こども・教育
DS(PSP)、ケータイ、何とかこどもに持たせずに来ている。
一番の不安は、持っていないことで仲間はずれになったり、よその家で触りまくって顰蹙を買ってないか、というところだが、2つとも大丈夫みたい。

前者は、「DS(PSP)を持つと、2人(おとうさんとちび1号)とも(時間を忘れて熱中して、会社や学校に行かなくなってしまい)廃人になる」
後者は、bambooの使い終わったケータイをメモリ初期化してからおもちゃとしてあげた。
一昔前の機種だと、変なSIMロックがかかっていないのでそれなりに遊べるし。

ケータイは、そのうち本物がほしい、と言うだろうが、あんまり乗り気じゃない。
Eメールなし、ネットなしだったらいい、って言うのが本音。
メールをすぐに打ち返すってあんまりいい文化とは思えない。
相手の顔が見えないから、自分からは終わりにしづらいだろうし。

人の話を聞いているときにケータイ触っているやつ見たときには、ちょっといらっときた。それは、やっぱり失礼だ。すべて終わってから確認すべきだ。
持っていると、気になる。それはわかる。なので、あえて、皆と違って持たない、持たせない、持っていてもそういう状況が発生し得ない、っていうところも考える必要があるように思う。
ちび1号やちび2号には、人の話を聞いている最中にケータイをさわるような人にはなってほしくない。
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かおるちゃん

2010-05-20 20:52:22 | 仕事・育成・転職
昔々、久米さんのニュースステーションで、お天気コーナーやっていたお姉さんで河合薫さんっていたんだけど、今こんなことしているみたい。

河合薫の新・リーダ術 上司と部下の力学

河合さんって、すっごく面白いこと言っている。おすすめのコラムである。

以下一部引用するので、琴線に触れた人は、ぜひNBONLINEにメールアドレスを登録してみてください。他の記事も読めます。
===

■思秋期を乗り越えるキーワードは「生殖性」
 では、高原状態を脱して、新たな山の頂を目指すにはどうすればいいのか?

 キーワードは、生殖性だ。

 米国の心理学者、エリク・H・エリクソンは、「幼児期と社会」という著書の中で人生を8段階に分け、それぞれの時期になすべき課題(発達課題)を示した。エリクソンによれば、発達課題をそれぞれの段階で克服していけば、人間的に成長し、社会における自己の存在と居場所を獲得できるという。

 40代は、人生の7段階目の成人期。発達課題は、生殖性だ。

 生殖性とは聞き慣れない言葉だが、原語は「ジェネラティビティー(generativity)」というエリクソンの造語で、「次世代の価値を生み出す行為に積極的にかかわっていくこと」と定義されている。

 ジェネラティビティーの語源は、生殖とか産み出すことを意味する生命科学の分野にある。そして次世代の価値とは、次の世代へ連なって産み出される新しい価値のすべてを指し、子供だけでなく、社会的な業績や知的、芸術的な創造も含まれる。

 後輩のため、他者のため、地域のため──。何のためであれ、次の世代をより良いものにすべく、自分を超えた価値とかかわることがエリクソンの唱えるジェネラティビティーなのだ。

 エリクソンは発達課題を達成すると、その人だけが獲得できる“美徳(virtue)”があると説いた。成人期に獲得できる美徳は、“世話(care)”である。

 ジェネラティビティーという、「人間の精神的発達の過程で、初めて自己中心的な発想を超えて、自分の子供や次の世代のために積極的に役立とうとする自我の飛躍」を達成できれば、次の世代を育み、世話をすることに喜び=美徳を見いだすことができる。

 逆に、この段階で自分自身にしか関心を持てず、自己領域を超えることができないと、人格の停滞が起きる。停滞とは、若い時の過去のキャリアだけを勲章にして生きること。自己耽溺する傾向が強まり、不完全な状態で老年期を迎えることになってしまうのだ。

以前、45歳で大手商社の部長のポジションを捨てて転職したものの、職安通いを強いられた知人の話を紹介したことがあるが、彼が転職という決断に至った動機の根底にあったのは、「社会にとって、もっと意味を持つ働き方をしたい」という気持ちだった。

 商社の部長というポジションで、キャリア・プラトーに陥っていた彼は、まずは大学院に通い、それまで彼が培ってきたキャリアを体系づけたうえで、それを社会に還元するために、いや、できる場を求めて次なる山に向かった。

  ジェネラティビティーとは、自分という枠を超えて、後輩の育成や地域の発展に役立つ努力を行い、それを生かす働き方をすることである。彼の場合には、たまたま会社を変えるという選択が加わっただけ。いうなれば、会社を変えなくとも、働き方を変えることはできる。大切なのは、それまで培ってきたキャリアにすがるのではなく、それまでとは違うキャリアと向き合うことなのだ。

■自分を慕ってくれる“部下”を持て
 例えば、組織図に示される部下がいなくとも、自分を「師」と仰いでくれる部下を持つことは、最も簡単なジェネラティビティーである。自分の業績を上げるためだけに、自分のためだけにキャリアを積み重ねるのではなく、後輩たちと一緒にいい仕事をしようとか、後輩がいい仕事ができるようにしようとか、損得勘定なしで関与しようとするだけでいい。

 「自分が自分が」という意識を捨てて、縁の下の力持ちとして働けるかどうかであり、「困ったときには、〇○さんのところに行こう」と若手社員が慕うような関係性を周囲に作れるかどうか、なのだ。

 部下が慕う、清濁併せ呑む技量を持った人間になれれば、成人期の発達課題はクリアできる。そうすれば、世話という美徳の中に職務上の満足感を見いだし、少しだけイキイキと働けるようになる。満足感を得られれば、「自分もリストラされてしまうかも」といった不安も払拭されることだろう。

 自分を慕う部下を持つ人のキャリア人生は、実に豊かだ。会社を辞めた途端に、年賀状も来なくなり、つながりが途切れるような人間関係では寂しいものである。会社で出世した人ほど、リタイアした後に孤独感に襲われることがあるが、役職と関係なく自分を慕う部下たちとの縁は、たとえ会社を離れたとしても、そうそう簡単に途切れることはないはずだ。

 自分が20代だった頃、40代は明らかにオジサンに見えた。だが、実際に自分がその年齢になると、まだまだ若い気がしてしまうものである。

 深層心理の研究で有名なスイスの心理学者ユングは、40歳を人生の正午に例え、「午前の太陽の昇る勢いはすさまじいが、その勢いゆえに背後に追いやられたもの、影に隠れてしまったものがたくさんある。それらを統合していくのが40歳以降の課題だ」としている。

 どんなに自覚できなくとも、40歳は人生の折り返し地点。肉体的なピークは過ぎ、20代の頃に目指していた山をそれ以上昇ることができるのは、ごく一部の人だけである。だが、知力だけは年齢を重ねても衰えることがない。険しい山を昇る体力はなくとも、自分の知力を生かして昇れる山を目指せばいい。

 とかく険しい山ばかりを目指してきた人にとっては、「え、こんな山?」とがっかりするかもしれない、退屈に思えるかもしれない。だが、実際に登ってみると、その景色の見事さに感銘を受けることだろう。それが、“美徳”といわれるものだ、と思うのだ。

 ユングが「統合」という言葉を用いたのは、人生は光と影があって初めて1つの人生となり、午前と午後があって初めて一人の完全な人間になれると考えたからだ。キャリアも、1つの山を登りきるだけでなく、隣の山を目指して再び歩き出さない限り、完成しないのかもしれない。

 会社のお荷物になってしまう前に、自分にばかり向けていたベクトルを次世代の後輩に向けてみてはいかがだろうか。きっとジェネラティビティーの山の傾斜は緩やかで、ところどころに今まで見すごしてきた小さくてきれいな花が咲いていることだろう。お互いに干上がらないように、何とかせねばいかん、ですね。

====

いつか、岡敦さんのコラム、生きるための古典でみた、クロード・レヴィ=ストロースのプリコラージュの話を思い出した。

そんなところに、自分が自分らしく生きていくためのヒントがありそうな気がしている。
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世界征服

2010-05-19 21:59:59 | 読書
スティッチは、いいことをしたらポイントが増えて、43ポイントたまったら宇宙一の力を手に入れる予定らしい。
なんで宇宙一の力を手に入れたいんだろう。
そうだ。世界征服のためだ。
それ以外には宇宙一の力なんて必要ないはず。

じゃ、なんで世界征服したいんだろうか。
そりゃ、いばりたいからだ。
そんなこと言っていると、おかあさんが「世界征服なんて、征服した途端、クーデター起こされたり、暗殺されるのが落ちでしょ。うちの中でいばってなさい」って。
それもそうだ。リスクが高すぎる。
世界征服はやめておこう。


こんな本があるらしい。
http://www.chikumashobo.co.jp/pr_chikuma/0707/070703.jsp
以下引用
===
レッツ、世界征服
岡田斗司夫

 政治や経済についての報道を見ているとき、あるいは雑誌や新聞で評論家がときおり「征服」「支配」という単語をつかうと、ドキッとします。
 かつて僕は、毎日のように「世界征服」を考える仕事をしていたからです。
 はじめまして。今回、ちくまプリマー新書から『「世界征服」は可能か?』を出させていただいた岡田斗司夫といいます。
 僕は昔、アニメを作ってました。NHKで放送された「ふしぎの海のナディア」という作品です。これを制作しているさいちゅうに、後にエヴァンゲリオンで一世を風靡する庵野秀明監督が訊いてきたんですよ。
「ところで、このガーゴイルって秘密結社は、なんで世界征服なんかしたいんでしょうね? そんな面倒なことせずに、高度な科学力で自分らだけ楽しい暮らしすればいいのに……」
 ガーゴイル(企画時の名前。実際の作品ではネオ・アトランティス)というのはアニメに登場する「悪の秘密結社」で、その目的はもちろん「世界征服」でおまけに「人類支配」です。
 でも、なんで世界征服なんかしたいんだろう? 僕たちはそんな素朴な疑問を持ってしまいました。
「贅沢したいから」「心の底から邪悪な奴だから」「自分たちを人類よりも偉いと思ってるから」「単にお金が欲しいから」
 いつのまにかスタッフを巻き込んでの大論争です。
 なんで悪の帝国は「世界征服」なんかしたいんだろう?
 世界征服って、本当に可能なんだろうか?
 悪の帝国の手段や目的はなんだろう?
 世界征服って悪いことだろうか? そもそも『悪』ってなんだろうか?
 熱心に討論した僕たちは、やがて疲れ果てて仕事に戻りました。そんな中で作ったアニメの中では、ガーゴイルの首領が「地球よ、我々に降伏せよ」と呼びかけます。
 おい、ガーゴイルのおっさんよ。俺たちはお前のことが最後までわかんなかったよ。
 いや、お前だけじゃない。超大国の大統領の心情も、独裁国の首領様の本音もよくわからない。それどころか、ユリウス・カエサルの望んだことも、織田信長の理想も、この世を征服したり統一しようとした彼らのことも、よくわかんない。
 この本は、そんな十五年以上も前の疑問からはじまった「世界征服とはなにか?」をとことんマジメに考える本です。マンガやサブカルチャーの本棚にある、いわゆる謎本のタグイではありません。
「世界征服」を理解しやすくするためにマンガやアニメや特撮番組の例をいっぱい出してしまいましたが、それは本書の性格上いたしかたのないことなんです。けっして著者である僕がオタクだから、というだけではないんです。たぶん。
 世界征服は、どのようなプロセスで可能になるか?
 その問題点と解決法は?
 そして「征服が完了しちゃった後」に見えてくる世界とは?
 世界を征服するとはどういうことか?
 圧倒的な軍事力さえあればそれは可能なのか?
 現在、アメリカは世界を征服してるといえるのか?
 北朝鮮を支配している金正日は「幸せな征服者」なのか?
 そして、あなたや僕が「世界征服」を決意したとき、明日からすべきことはいったいなんなのか?
 この本は以上のような疑問に答える、歴史上初の「世界征服学」への試みです。類例のない「世界征服入門書」と言ってもいいでしょう。
 セレブ? 勝ち組? 小さい小さい。夢はもっと大きく持ちましょう。
 レッツ、世界征服!
 それでは、書店でお会いしましょう。

(おかだ・としお 評論家)
========

こんど探してみよう。

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ひるめし激戦区

2010-05-18 22:29:52 | ちいき・食・文化
会社のまわりは定食屋の激戦区である。
おいしくなかったり、段取りがまずい(接客がいいかがんだったり、注文をさばくスピードがとろい)店は半年くらいで淘汰される。

関東にいたときは、まずくて高いのに、そこしかないからという理由で生き残っている店が結構あったような気がする。
私も我慢して通っていた気がする。
でも関西は選択肢が豊富だ。
嫌いな店は、いかなきゃいい。
そしたら半年くらいで淘汰されて、新しい店とかわる。
新しい店は、開店から少したってブームが収束してから1回偵察してみて、何かしらとりえがあったら昼飯リストのひとつに登録することになる。

昼休み1時間をフルにつかうと、結構遠くの店まで遠征できる。
関西のお店は注文してからでてくるのが早いので、お店に入ってから20分とか待つことはまずない。(そんだけ待ったら、次回からは行かなかったりする。)


関西は禁煙化が遅れているが、最近になってようやく少しづつ増えてきた。
分煙も増えてきた。
自分がタバコをすっていたときはなんとも思わなかったが、吸わなくなってから煙に弱くなって、煙がくる店にはいかないと文句をたれている
人間、勝手なものだ。

関西に来てからうれしいのが、安くて美味い店がたくさんあること。
(ワンコインとか、580円とか600円。お弁当じゃないよ。)
ほんと食い倒れの街やね。
通勤時間も短いし、関西に来てよかった
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