時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

共に生きられる時代、そして時間。

2007年05月02日 | 日々の、あれこれ
物心ついた頃、私は親とは一緒に行動をしなくなった。
どこかに出かける場合などは特に。

中学くらいから、その傾向は現れた。
例えば旅行。
小学校の頃は、親に連れられて旅行に行ったもんだが、中学の頃あたりから、親と旅行に行くよりも友達と旅行に行く方が楽しくなった。
親とは一緒に旅行をしなくなった。

ちょっとした反抗期も、その頃にあったからなのかもしれない。

で、大学くらいになると。
私は毎日のように酒を飲み始めた。
親は家で飲んでた。
私は友や後輩たちと外で飲んでた。
家で親と酒を飲むことは、ほとんど無かった。

それは・・・酒飲むと、音楽の話題と異性の話題が中心だったから。
好きな女の子ってのは、絶えずいたからなあ・・あの頃は。

親と私では音楽の趣味も違ったし、異性の話題などは親と話そうなんて気はまったくなかった。


で、音楽の趣味の違い。
例えば、父は毎日エノケン(榎本健一)や鶴田浩二のレコードを聴いていたが、私は洋楽ロックか邦楽フォークを聴いていたし、親との音楽趣味との接点は中々無かった。

もっとも、父がいつも聴いてたエノケンや鶴田浩二の曲は、いつのまにか私の頭の中に入り込んできてはいた(実はエノケンの曲は、やがて私もけっこう好きになっていった)。

正直言うと、親と酒を飲んで音楽の話をしてもつまらなそうだったから、あまり親とは飲まなかったのだと思う。

だが、ある日。
父が1人で飲みながらテレビの野球中継を見てた時。
江川の話になった。
私は江川投手の大ファンだった。
父は、「戦後の右投手でナンバーワンは何といっても江川だな」といった。

父は野球が好きだった。
あの伝説的投手「沢村栄治」を父は球場で見たことがある。
沢村の頃から長い間プロ野球を見続けた父が江川投手に関してそう言ったのだから、言葉に説得力を感じた。

で、私と父は野球の話で話題が続くようになった。
沢村栄治投手の話は興味深かった。
ちょくちょく野球の話をするようになった。
父は表情には乏しかったが、見ようによっては楽しそうにも見えた。


だが、その父は私が30代前半の頃に他界してしまった。


一方、母は。

長らく共通の話題がなかった。

母は60過ぎまで商売をやっていたのだが、仕事をリタイヤしてからは、旅三昧の老後を過ごすようになった。
母は、旅好きだったのだ、

私が旅好きなのは、おそらく母の遺伝子のせいもあるのだろう。

最近では、母とは旅の話では話題が続く。

母は、私が行ったことのない場所にけっこう旅しており、時々私は対抗心を燃やすこともある(笑)。
でもそんな母も最近はめっきり年をとり、体力に自信がなくなったのか、あまり旅には出られなくなっているようだ。



共通の話題。
亡くなった父とは野球観戦の話がそうだった。
母とは旅の話がそうだ。
このへんが共通の趣味。

共通の趣味の話題を、もっと親が若かった頃に、私が見つけられていればよかった・・などと思ったりする。

自分が年をとるように、親もだんだん年をとっていく。
人間、個人個人がどれだけ生きられるのかは分からないし、それはその人次第だが、確実に一緒に生きていられる時間は減っていってるのだ。
そう考えると、一緒の時代に生きていられる時間ってのは、貴重。
それは誰に対しても言えることだが、親に対しては特にそうなのではないだろうか。
年齢が明らかに自分よりも上であるがゆえに。


皆さんは、親との共通の話題って、何ですか?



手前味噌ながら、自作の某曲の歌詞の一節を、ここに引用しておきたくなった。

♪共に過ごせる  時代は短いものさ
 覚えているかい 昔君が出会った人の面影を








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