時間の外  ~since 2006~

気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

「国民的」「美人すぎる」という言葉

2022年05月27日 | 日々の、あれこれ

 

以前テレビで伝えられていたのだが、女性を表現する時に容姿を褒める「美人」という言葉は、使い方に要注意な風潮があるらしい。

 

ある意味「逆差別」みたいなことに繋がらないか・・という危惧があるらしい。

 

 

それを言うなら・・私としてはもっと気になる表現がある。

それは「国民的」という表現と「美人すぎる」という表現。

 

美少女コンテストなどで選ばれたり、グラビアで人気があったりする子を「国民的美少女」と言われたりするし、あるいは一般職に就労しているきれいな女性に対して「美人過ぎる○○」と言われたりする。

 

そういう表現が使われ始めた頃は特に気にならなかった。

だが、やがてその表現がやたら乱発されるようになっていき、今ではすぐにそういう表現がされている。

今ではあまりに安直に使われすぎているようにも私には思えてきている。

 

以前、ある女の子が美少女コンテストみたいな企画で優勝した時、一部のマスコミが「国民的美少女」という表現を使った。

その時、私の友人の中には「俺、別にファンじゃねえし。国民的・・と言われて一緒にされても困る」みたいなことを言っていたのを思いだす。

 

過去に「国民的」という表現をされたもので、私なりに「確かにそうかもな」と思えたのは少ない。

「サザエさん」「ドラえもん」「男はつらいよ」などは納得できた覚えがある。

「ちびまる子」などもそうかもしれない。

他に、キャラとしてはゴジラ、ウルトラマン、仮面ライダーなども。

それらの作品は長い歴史を持ち、長い間国民に親しまれている。

それは長い間、人気を持ち続けたから、そう言われたわけで。もちろん、人気だけでなく知名度も抜群で。たとえその作品のファンでなかったとしても、その作品のことは幅広く知られている。

なので「国民的」という言葉は一種の「称号」みたいな感じで納得できた覚えがある。

 

だが、ポッと出てきた人物なり作品が、たとえ人気があったとしても、それは一過性のもので終わるかもしれない。

そう考えると「国民的」という称号は、ちょっと違うと思える。

あまりに安易に思えて。そう呼ぶのはまだ早いだろう・・とも思えて。

 

このままでは国民的という言葉が安っぽくなってしまう気がした。

 

というかすでにもうその傾向はあるように思えてならない。

 

 

「美人すぎる」という言葉も、よく使われるよね。

まあ、以前よりも多少は減ってきている気もするが。

「美人」という、容姿を褒める言葉が「引っかかる」のなら、「美人すぎる」という表現もひっかかるはずだ。

使われかたとしては「美人すぎる女医」とか「美人過ぎる議員」などなど。

まるで、それだと・・・その職業についてる女性は、普通は容姿はイマイチみたいじゃないか?

だとすると逆説的に容姿差別をしてることにならないのかな?

 

とはいえ、確かに「お、この女医さん、確かにきれいだなあ」「まるで女優のようだなあ」などと思ってしまうことはある。

なので多少なりとも共感しなくもない。

 

言葉狩りをするつもりはないし。

 

ただ、とりあえず私が思うのは、あまりにそういうフレーズを安易には使わないほうがいいのではないかということ。「全く使うな」とは言わないから。

じゃないと安っぽくなると思うのだが。その言葉や意味自体が。

 


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