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気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

セリフが入らなくなったヒットソング

2007年10月16日 | 音楽全般

今チャートインしてくるヒット曲って、セリフが入っていないよね。
昔の演歌・歌謡曲・ポップスには、歌の途中にセリフが入るケースはけっこうあった。

昔の歌・・・例えばポップスやフォークでは、加山雄三の「君といつまでも」、オックスの「スワンの涙」。まあ、海援隊の「母に捧げるバラード」は特別だとしても、ザ・リガニーズ「海は恋してる」。
演歌などにはたくさんあったように思う。
だが、最近チャートに登ってくる歌でセリフの入る歌って、・・・・ほとんど見かけない。

いや、なにも、歌にセリフを入れなきゃいけないなどと言うつもりはない。
ただの「傾向」として,「今はセリフの入る歌って、見かけない」である。

セリフが入ると、その歌を歌う歌手には役者的要素が必要になる。
そうなると、歌手はその方面にも磨きをかけることになる。
だから、そういう歌を歌う「歌手」って、舞台などをこなしたりできたのかも。

セリフの入る歌を歌ってた歌手ってのは、歌を歌う・・という以上に、歌を演じていたのだろう。
セリフの入った歌が流行っていた頃は、テレビの歌番組にはその曲に見合った背景(美術、大道具、小道具)を用意していた。
そのセットがまた「歌を演じる」のに大きく貢献していたと思う。

で、そういう環境にいた歌手たちは歌を演じることに力を注いでいたのだ。

そういや先日、あるテレビ番組でちあきなおみの特集をやっていた。
ちあきなおみ絶頂の頃の映像を画面で流していた。
それを見てると、まさに歌を演じていることを実感した。
鬼気迫るものさえ感じた。
その時のちあきなおみの歌にはセリフはなかったようにう思うが、見事に歌を演じていた。

今のJ-ポップのシンガーたちがああいうことをやったらどうなるのかな・・と、ふと思ったりする。
J-ポップのシンガーたちはああいうことはやらないし、ああいうのは未知の領域だろう。
彼らの歌う曲には、ああいうのは似合わない・・と思ってる人は多いだろう。
だからこそ、やってみたら面白いのではないか?と思うことがある。いや、ヘンな意味ではなく。
もちろん、歌のシチュエーションには合わせなければならない。

ユーミンがシンクロナイズドスイミングと音楽のコラボによるコンサートをやったりしたが、もしかしたらそれは、ポップス流なりの「歌を演じる」ことの発展系の1つの姿だったようにも思えてくる私は変(笑)?
まあ、ユーミンの場合は「ショー」の意味合いだろうは思うけど。


芝居のようにセリフを入れて、セットもそれらしい美術を用意して「歌を演じる」表現は、演歌系の人がやるから似合う・・そんな見方もあるだろう。歌詞の内容的にも。
ちなみにJ-ポップには、プロモ映像がある。
でも、プロモ映像は芝居ではなく、PR映像であり、デモ映像であり、時にはイメージ映像。
だから、やはり演歌の「歌を演じる」スタンスとはちょっと違うと思う。

セリフを今のJ-ポップに入れたらどうなるんだろう。
正直、セリフってテレくさいよね。
でも、歌で芝居するスタンスにとっては、セリフは芝居の一場面であり、その歌を歌う時は、架空の芝居の一場面をそこに再現してるんだよね。
曲の作り方も変わったと思う。
J-ポップの楽曲は、個人の主張を歌う場合が多いが、昔の歌謡曲は、架空のドラマを歌で歌い、そのドラマの一場面にこめられた主人公の心情にリスナーは感情移入してた。
だから、架空のドラマである歌謡曲にはセリフを入れやすかったのかもしれない。
今のJ-ポップが個人の主張の歌が多いことを考えると、そこにセリフを入れたら「青年の主張」みたいになってしまう可能性があるかもね(笑)。

でも、そうならない、セリフの入った、芝居のようなJ-ポップなんてのが現れたら、見てみたい。
果たしてそういうのに挑戦してみようというJ-ポップのスターは、いるだろうか。
そういうのが出て来ると、J-ポップの曲作りに(特に歌詞)もっともっとバリエーションが出て来るような気がする。
やるとしたら、臭さとの兼ね合いだね。







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