バス旅系の番組は最近けっこう多い。
その中でも一番私が好きだったのは、太川陽介さんと蛭子能収さんのコンビに毎回違うゲストがからんだ番組。
私の印象では、バス旅番組が増えたのは、あの番組が大きかったんじゃないか・・・という気がしている。
太川さんと蛭子さんのバス旅番組は、なんだかんだで長寿シリーズになったし、それだけ人気があったということ。
なんでも、ちょっと前に放送された回が、あの2人によるあの縛りでのバス旅としては最終回だったということだが、せっかくの人気コンビなのだし、ちょっとルールを変えて、このコンビでのバス旅企画は継続していくようではある。少なくても、今この記事を書いてる2020年の段階では。
局としても、コンビ解消は、まだもったいないという気持ちがあるのだろう。
バス旅番組を見つけると、ついつい見てしまうことがあるが、特に太川さんと蛭子さんのコンビの番組だと、私は最後まで見てしまうことがけっこうあった。
リーダー役になって旅をしきった太川さんと、マイペースの蛭子さんだったのだが、私の個人的な印象では太川さんがいるから番組が成立し、蛭子さんがいるから面白かった・・そんな見方を私はしていた。
あの番組を見てて、しみじみ思うことがあった。
バスの路線って、こうも繋がっていないものなのか・・・ということ。
日本国内各地に路線バスは多数あるけど、それらの路線バスは、どれもどれかのバスが主要駅同士繋がっているのだろうと、あの番組を見るまで私は思っていた。
もちろん、本数の問題で、乗り継ぎ時間がバラけていることはあっても。
だが、実際にはそんなことないんだよねえ・・。
うがった見方かもしれないが、中途半端な場所までバスがあって、その先は「あとは知らない(?)」みたいな路線は多い印象がある。
もっとも、あの番組には「路線バス縛り」というルールがあったからそうなったのであって、普通の旅行者なら路線バスから電車に乗り継いだり、高速バスに乗り換えたり、タクシーに乗ったりすれば、なんとか目的地までは繋がるものだ。
だが、あの番組はあくまでも「路線バスだけを使う」というルールがあったから、繋がらなかったり、拍子抜けするような時間帯や場所で旅が終わってしまったりもしていた。
番組には日程制限という時間縛りもあったから。
まあ、そこが面白かったのではあるが、私など路線バス同士でも、主要な町にはしっかり繋がっていると思っていたもんだから、「路線バスって、こうも繋がっていないものなのか」という感想に繋がるわけで。
さすがに大きな都市に向かうバスは走っていても、大きな都市と大きな都市の間にある途中のエリアは、それが辺鄙な場所であればあるほど、路線バス同士は繋がっていないことが多い気がした。
「あとは知らん」的でもあるが、実際には「この先は電車を使ってください」とか「この先に行くには、マイカーじゃないなら、あとはタクシーしかありません」なのであろう。
それが前提なのだと思う。
もっとも、中には「昔は路線バスが走っていたが、利用者が少なくて採算がとれないので、今は廃止されている」というパターンなどもあった。
電車でも採算がとれないローカル線は廃止されたりしてるのだから、それはバスでも一緒なのだろう。
ともかく、「路線バス」だけを使って、目的地まで行くというのは、いかに大変であるか・・・ということを改めて実感させられた番組ではあった。
路線バスは、路線バスだけでの「その先」への移動や接続は想定してはいないようだから。
かといって、路線バスから電車や高速バスなどへの乗り換えでの移動がOKだと、普通の旅行になってしまうし、それだと番組にならないよね(笑)。
ただの普通の旅番組になってしまう。
だが、あの番組は「普通の旅番組」は目指していなかった。
番組出演者たちは、路線バスが途切れているエリアは、徒歩で移動していた。
移動手段として「路線バス縛り」がある以上、そうするしかなかったのだ。
だが、その徒歩での移動の距離もかなりの距離になったりもした。
特に暑い夏の移動を見てると、見てて「こりゃしんどいだろうなあ」と思った。
普通の旅なら、電車や高速バスに乗り換えれば、それで解決だったのに。
蛭子さんなどはもうそれなりの年齢。よく愚痴みたいなものをこぼしていた。
なんでも、蛭子さんは過去にもこの番組を降りたこともあったようだが、その後また復活したりした。
スタッフに説得されたのかな、きっと。
1万円分だけ途中でタクシーを使ってもいい・・・というスタッフの妥協案(?)を呑んだのかもしれない。
でも、この「1万円縛りのタクシーOK」というのも、実は戦略性が求められたんだよねえ。
その1万円以内の縛りのタクシーを、どこで使うか・・・ということで。
使い方を間違うと、そのしっぺ返しがどこかで来ることになったから。
一度終わったあの番組の一時復活後の「1万円分だけ使えるタクシー」という新たなルールは、更にあの番組のテコ入れになった感はある。
ともあれ、あの番組のおかげで、太川さんはすっかり再ブレイクを果たした。
旅はしんどかったかもしれないが、太川さんにとっては人生のターニングポイントになった番組であろう。
最初にあの番組が終わった時は、蛭子さんが体力的にキツくなったからだったらしいし、その後一度復活したあの番組が再び終わったのも、やはり蛭子さんが体力的にしんどくなったかららしい。
まあ、あの年齢だと、過酷な旅はキツいのはわかる。
ちょっと残念ではあるが、あの2人によるバス旅企画そのものは、2020年現在多少ルールを変えて存続するようなので、個人的に少し安堵。
とはいえ、いつまた蛭子さんが白旗をあげるかわからないね(笑)。
それにしても、太川さんと蛭子さんを組ませることを考えた人の発想は、どういうものだったんだろう。
なぜあの2人になったんだろう。どこから太川さんと蛭子さんの名前が出てきたのだろう。
よくあの2人をセレクトしたものだと思う。それは非常に気になる(笑)。
私もこの番組だけは大好きで
これに類似した番組もよく見ます。
BSの登場で殆ど地上波は見なくなったんですが。
少し残念な気もしますね。
ありがとうございます。
バス旅は今は何種類もありますね。
複数の放送局で製作されています。
でも、やはり太川・蛭子さんのコンビが一番面白いですよね。
局が、あのコンビを中々手放さないのは、わかります。
局にとって一番の苦労は、白旗を掲げる蛭子さんの説得なのかも(笑)。