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気ままな雑記帳です。話題はあれこれ&あっちこっち、空を飛びます。別ブログ「時代屋小歌(音楽編)(旅編)」も、よろしく。

初めて佐賀県を旅する (全47都道府県・完泊の旅、完結編1)

2018年06月13日 | 

数年前、自分がこれまで行ってきた旅行先のことを考えた時、あることに気付いた。

それは、まだ自分が泊まったことがない都道府県が残りわずかであることだった。

一瞬立ち寄ったり、素通りした都道府県を含めても残りは少なかった。

日本には都道府県は全部で47ある。

残りがわずかなら、こうなったら全47都道府県全てに泊まろう・・・と思うようになった。

一瞬立ち寄ったり、素通りした都道府県には、改めてそこに行き直し、ちゃんとその地に降り立って、なおかつそこで泊まろうと思った。それまでに一瞬立ち寄ったり素通りしただけの都道府県は、自分の中で「行ったうちに入らない」ということにして。

 

それまでの私は、旅先選びをする時、何かの作品ゆかりの場所(例えば、漫画家「つげ義春さん」の作品や、拓郎さんなどの旅歌に出てくる場所とか)や、子供の頃から気になっていた場所(恐山や、金田一温泉など)や、秘湯の宿などを選んでいた。

 

「日本全47都道府県に泊まる」というテーマを掲げてからは、旅先選びは「まだ泊まっていない県」の中から選ぶことになり、そういう意味では旅先選びにはあまり時間がかからなくなった。

 

まだ泊まっていない都道府県が少ないことに気付いた時点で、私がまだ未泊だった都道府県は「福井県」「香川県」「岡山県」「佐賀県」「福岡県」「愛知県」だった。

厳密には「愛知県」には十代の頃に家族旅行で泊まったのだが、宿の窓から見えた夜景しか覚えていなかったので「愛知県」もまだ未泊ということにした。

 

ここ数年で、福井県には東尋坊行きで泊まった。

愛知県には犬山城目当てで犬山温泉に泊まった。

香川県にはちょっとした勘違いもあった。というのは以前「鳴門の渦潮」を見に行った時に鳴門に泊まったのだが、私は鳴門はてっきり香川県だとばかり思っていた。だが、よく調べてみたら鳴門は徳島県であり、香川県ではなかった。

なので香川県には行き直さなきゃいけなかった。鳴門に行った時に香川県の高松を経由したので、てっきり香川県はクリアずみだと私は勘違いしていたようだった。

そこで香川県宿泊では、小豆島を選んだ。小豆島には子供時代から気になっていた場所もあったし(無人島・福部島のこと)、実際に行ってみた小豆島は実に良かったし、香川県が空白だったからこそ小豆島に行くきっかけになったのは、私にとってラッキーだった。

 

そして、未泊だった岡山県は香川県の対岸。小豆島から岡山県に渡る船便もあることだし、小豆島に泊まったその足で船で岡山県に渡り、倉敷の街に泊まることで岡山県もクリア。

 

で・・残ったのは佐賀県と福岡県の2県のみになった。

 

幸い、佐賀県と福岡県は隣接している。

こうなったら、佐賀と福岡、一度の旅行で両県に泊まってしまおうと思った。

 

福岡では博多に泊まることにこだわった。それには明確な理由があったが、それはまた後に述べることにする。

問題は佐賀県でどこに泊まるか・・だった。

 

当初は定番の吉野ヶ里遺跡や嬉野温泉なども候補になったが、博多からのアクセスも考えると、嬉野温泉は今回は断念。佐賀空港から行くにはいいかもしれないが、佐賀空港だと博多から少し離れてしまう。

そこで浮上してきたのが、唐津。

佐賀の唐津は、博多空港からのアクセスも良好。空港から地下鉄に乗り換えれば、便によっては西唐津まで直通で行くこともできる。仮に時刻表の都合で「乗り換え」になっても、1回の乗り換えで行ける。このアクセスの良さは大きい。

もっとも、アクセスは良いが、所要時間はそれなりにかかる。まあでもそれは仕方ない。なにせ2県分をまたぐわけだから。

西唐津方面には、私が以前から気になっていたスポットもある・・というのも、唐津宿泊を決定する大きなモチベーションになった。

そのスポットとは、名護屋城跡。ちなみに、愛知の名古屋城とは別物なので、念のため。

あくまで名護屋城であり、名古屋城ではないのだ。

 

秀吉が朝鮮出兵をする時、その出兵の拠点にしたのが名護屋城。そこには徳川、前田、伊達、真田、上杉、石田、島津、黒田をはじめ、全国のスター大名家が勢ぞろいした。まさに当時のオールジャパン軍団。

関ヶ原もオールジャパンに近かったが、関ヶ原では大大名たちは東西に分かれていた。

だが、関ヶ原の前の名護屋城では、全国の大名が日本軍ということで「味方」だったということになる。秀吉が当時「天下人」だったからなしえた状況だったのだろう。

 

秀吉の朝鮮出兵は、私は愚挙だったと思っている。というか、当時の大名たちも、本当は反対だったはず。天下人であった秀吉の命令だったから、全国の大名たちはシブシブ集結したのだろう。

 

朝鮮出兵は暴挙だったとしても、全国の大名が名護屋城に「味方同士」として集結したのは、さぞかし壮観だったことだろう。

徳川も石田も、秀吉の死後に関ヶ原の戦いで、日本を2分して敵味方に分かれて雌雄を決する戦いをするなんて、その頃はまだあまり考えてはなかったのではないか。

 

ともかく、日本全国の大名たちが味方として一堂に会した、オールスター軍団が存在した場所・・それが名護屋城とその周辺地域。

もう城は残っていないにせよ、城跡は残っているので、その場所を私は一度見ておきたかった。

そんなこともあって、佐賀での宿泊地を唐津近辺にした。近辺・・・と書いたのは、私の予約した宿は、東唐津にあったからだ。

 

 

私の「日本全47都道府県・完泊」の旅の最後のエリアであった佐賀県と福岡県に行くにあたって、どちらの県を先にするか・・・という課題もあったが、その答はすぐに出た。

福岡を最後に決めた。

しかも福岡では、博多に泊まらないといけない。

なぜなら、博多には、私がどうしても立ち寄りたい場所・・立ち寄らなけりゃいけないように思えた場所があったから。

その場所は、私の「日本全47都道府県・完泊」の旅のゴール、最後に行く場所、完結の地にふさわしく思えた。

なので、まず佐賀に泊まり、最後の宿泊地を博多にしたというわけだ。

 

 

さて。福岡空港に降り立った私は、地下鉄「空港線」で西唐津駅を目指した。

西唐津駅からは、名護屋城跡への直通バスが出てるからだ。

電車は福岡県内では地下鉄という感じだったが、佐賀に入ってからは地上線。

途中から海沿いを走るようになると、確実に目的地に向かっていることをジワジワ感じ始めた。

 

やがて・・・終点、西唐津駅に到着。名護屋城跡直通のバスの時間が気になった。

バス停は駅前にあったので、急いでバス停に向かい、時刻表を調べたら、もうバスが来る時間であることがわかった。

時間のロスがほとんどないまま、名護屋城直通のバスに乗ることができた。

ただ、福岡空港でも、西唐津でも、昼飯を食べる時間がなかったので、名護屋城近くに昼飯を食べられる店があることに期待した。

  

↑道の駅「桃山天下市」。バス停は、この正面にあった。名護屋城観光の拠点にできる。

 

 

西唐津駅でバスに乗り換え、私は無事に名護屋城博物館のバス停に到着。

するとそこには、「桃山天下市」という「道の駅」があった。

売店もあるし、とりあえず中に入って、奥まで行くと、昼飯を食べられる飲食店があり、安堵。

やっと・・昼飯が食べられた。名物の「イカ丼」。うまかった~。

無事に昼飯にありつけた私は、さっそく名護屋城めがけて歩き出した。

さあ、いざ。

 

 

↑ 名物「イカ丼」。おいしかった。満足。


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2 コメント

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Unknown (だんぞう)
2018-06-14 21:11:22
聖地のひとつだと思います。

秀吉の本当の狙いは明国だったようです。

で、明国はそれに気づいたから、朝鮮半島に援軍を送ったのです。
朝鮮半島が秀吉軍にやられてしまったら、次は明国に来ますから、、。

名護屋城博物館で特殊タブレットを借りて名護屋城跡に行くと、今でも名護屋城が存在してるかのような錯覚を覚えますよ。

城跡からの景色は絶景なので、観光地としても一級でした。
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Unknown (鮎川愛)
2018-06-14 20:15:12



佐賀県名護屋城は、戦国武将ファンにとっての「聖地」ですね。


もちろん韓国侵略の根拠地でなければ、幕末維新ファンである私も全く文句なしでした…。


私は、戦国武将には全く詳しくないのですが、彼らが集結した様は、中国義賊譚『水滸伝』主人公である梁山泊のようですね。


当時、カメラや写真が無いことが今更ながら大変悔しいことです。


ついでに、唐津名物イカ丼は、韓国釜山(プサン)名物と同じです。

その事が、とっても嬉しいです。


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