貸し本屋。
水木しげる先生やつげ義春先生のエッセイなどを読んでると、ちょくちょく出てくる言葉だ。
水木先生や、つげ先生だけでなく、多くの漫画家が昔は貸し本漫画を描いていた。
私の子供時代にも町に貸本屋は町に1店だけあったような記憶が・・・かすかにある。
2~3回、利用したことがあるかもしれない。
でも、ほとんど覚えていない。
テレビなどが普及してきたり、漫画週刊誌が隆盛を極めていくにつれ、貸し本屋は廃れていった。また、漫画家にとっては貸し本漫画のギャラじゃ食べていけなかったようだ。
それゆえ、貸し本漫画から離れて週刊誌に活路を見いだして大ブレイクした水木先生のような漫画家もいたし、そうではない人は漫画家を廃業していった。
私のかすかな貸し本屋の記憶といえば・・・、今で言う古本屋に似たイメージがあった。
古本屋といっても神保町にあるようなりっぱな古本屋ではなく、寂れた古本屋のような感じだった(もっとも、神保町には寂れた風情の古本屋もあるけど)。
店主は店の奥の方で、無愛想な顔で新聞を読んでたりした。
店にはたいがい右の入り口と左の入り口があり、どっちの入り口から入ってもよかった。
1冊いくらくらいで借りられたんだろう。今でははっきり覚えてはいないのだが、1冊10円くらいだったかもしれない。
置いてある本は、漫画が大半。・・というか、少年だんぞうにとっては漫画本以外には興味がなかったから、他の種類の本も置いてあったのかもしれないが、目に入らなかっただけかもしれない。
置いてある漫画は、ひとくせもふたくせもある作品が多かったように思う。
全体的には暗めのトーンの作品が多かった。
時々、水木先生などの貸し本時代の作品が復刻されたりする。読んでみると、一般雑誌に載ってた作品とはやはりトーンが違う。
暗め・・という印象は健在だった。
でも、怪しい魅力は、今読んでもあると思う。
暗めのトーン・・というのがなんともマニアックな匂いがして、好きな人にはたまらないかもしれない。
あのトーンは、あの時代のトーンだったのだろうか。
それとも、貸し本屋そのもののトーンが作品に反映されていたのか。
きっとどっちも正解なんだろう。
でも、あえて言えば、後者の答の要素の方が強かったのではないか?とも思っている。
あまり利用してなかった貸し本屋だが、気付けばひっそりと姿を消していた。
ある日突然、忽然と姿を消したように思う。
貸し本屋が無くなったしわよせは、一般書店にきた。
私は、本屋で立ち読みをするようになったからだ。
でも、立ち読みってのはおちつかないし、時には本屋のオヤジさんに追い払われることもあった。
そんな時、漫画に餓えていただんぞう少年は、貸し本屋をもっと自分が利用していればつぶれなかったかもしれないのに・・などと思ったもんだった。
実際には私が利用してたとしても、世の中の流れからいって、貸し本屋は無くなっていたには違いないのだが。
今、古本屋などに行くと、貸し本屋に置いてあった漫画本はプレミアがついて、おいそれとは買えない値段になってしまっている。
そんな状況を見るたび、つぶれていった貸し本屋が今の世にリベンジをしているような気になることが・・・ある。
水木しげる先生やつげ義春先生のエッセイなどを読んでると、ちょくちょく出てくる言葉だ。
水木先生や、つげ先生だけでなく、多くの漫画家が昔は貸し本漫画を描いていた。
私の子供時代にも町に貸本屋は町に1店だけあったような記憶が・・・かすかにある。
2~3回、利用したことがあるかもしれない。
でも、ほとんど覚えていない。
テレビなどが普及してきたり、漫画週刊誌が隆盛を極めていくにつれ、貸し本屋は廃れていった。また、漫画家にとっては貸し本漫画のギャラじゃ食べていけなかったようだ。
それゆえ、貸し本漫画から離れて週刊誌に活路を見いだして大ブレイクした水木先生のような漫画家もいたし、そうではない人は漫画家を廃業していった。
私のかすかな貸し本屋の記憶といえば・・・、今で言う古本屋に似たイメージがあった。
古本屋といっても神保町にあるようなりっぱな古本屋ではなく、寂れた古本屋のような感じだった(もっとも、神保町には寂れた風情の古本屋もあるけど)。
店主は店の奥の方で、無愛想な顔で新聞を読んでたりした。
店にはたいがい右の入り口と左の入り口があり、どっちの入り口から入ってもよかった。
1冊いくらくらいで借りられたんだろう。今でははっきり覚えてはいないのだが、1冊10円くらいだったかもしれない。
置いてある本は、漫画が大半。・・というか、少年だんぞうにとっては漫画本以外には興味がなかったから、他の種類の本も置いてあったのかもしれないが、目に入らなかっただけかもしれない。
置いてある漫画は、ひとくせもふたくせもある作品が多かったように思う。
全体的には暗めのトーンの作品が多かった。
時々、水木先生などの貸し本時代の作品が復刻されたりする。読んでみると、一般雑誌に載ってた作品とはやはりトーンが違う。
暗め・・という印象は健在だった。
でも、怪しい魅力は、今読んでもあると思う。
暗めのトーン・・というのがなんともマニアックな匂いがして、好きな人にはたまらないかもしれない。
あのトーンは、あの時代のトーンだったのだろうか。
それとも、貸し本屋そのもののトーンが作品に反映されていたのか。
きっとどっちも正解なんだろう。
でも、あえて言えば、後者の答の要素の方が強かったのではないか?とも思っている。
あまり利用してなかった貸し本屋だが、気付けばひっそりと姿を消していた。
ある日突然、忽然と姿を消したように思う。
貸し本屋が無くなったしわよせは、一般書店にきた。
私は、本屋で立ち読みをするようになったからだ。
でも、立ち読みってのはおちつかないし、時には本屋のオヤジさんに追い払われることもあった。
そんな時、漫画に餓えていただんぞう少年は、貸し本屋をもっと自分が利用していればつぶれなかったかもしれないのに・・などと思ったもんだった。
実際には私が利用してたとしても、世の中の流れからいって、貸し本屋は無くなっていたには違いないのだが。
今、古本屋などに行くと、貸し本屋に置いてあった漫画本はプレミアがついて、おいそれとは買えない値段になってしまっている。
そんな状況を見るたび、つぶれていった貸し本屋が今の世にリベンジをしているような気になることが・・・ある。