今年ももう終わりです。大晦日の夜になると、何となく感傷的になってしまいます。年々、時間が経つのが早く感じられてしまいます。毎日、洪水のように多くの情報にさらされ、時代の流れに翻弄されそうになりますが、来年もバッハの音楽で心身を浄化し、リフレッシュし、ガオーッと気合を入れ、何とか乗り切りたいと思っています。来年も宜しくお願いします。
マルティン・シュタットフェルトの「バッハ:ピアノ協奏曲集第1番、第2番、第5番他」(SONY:SICC 520-1)(ピアノ:マルティン・シュタットフェルト、指揮:アヒム・フィードラー、ルツェルン祝祭弦楽合奏団)を聴いてみました。繊細かつ躍動感があり、ロマンチシズムを感じさせる魅力的な演奏です。バッハのピアノ協奏曲と言えば、やはりグールドの演奏が頭に焼き付いているので、グールドと比較してしまいます。特に、お気に入りの第1番を今まで色々な演奏家で比較して聞いているのですが、グールドを除けばシュタットフェルトの演奏が最も惹きつけられました。協奏曲第1番の第1楽章は同じようなフレーズが繰り返して出てきますが、グールドは奇異に思えるほど微妙に表現を変えて演奏しています。モノラルながらこの個性的な演奏にはまると、他の演奏家がやや平凡に思えてしまいます。それでもシュタットフェルトの演奏はすばらしく、繰り返して聴いてみたくなります。
今週は札幌に出張です。天気が良くなりますようにっ。
最近、オワゾリールからバッハのチェンバロ協奏曲の新譜が出ていました。「J.S.バッハ チェンバロ協奏曲集第2,4,5,1番」(UCCD 1218)(オッターヴィオ・ダントーネ指揮&チェンバロ、アッカーデーミア・ビザンティーナ)(録音:2007年3月31-4月4日、ラヴェンナ)です。
バッハのチェンバロ協奏曲は、個人的にはピアノで演奏する方がチェンバロのパートが良く聞き取れて、演奏者の解釈の違いも良く分かり、聴き応えもあり、ピアノ版が好きでしたが、最近は小編成で、録音も良く、チェンバロの響きが伴奏に掻き消されてしまわない魅力的なCDが沢山出てきています。
このCDも各パート独りずつで構成された小さな弦楽アンサンブルとチェンバロという編成で、チェンバロを含め、各パートの音がクリアで、澄んで聞こえます。ダントーネの演奏は、とにかく丁寧で、キッチリとしています。最近録音されたチェンバロ協奏曲の演奏スピードは以前の録音より速くなっている傾向があるように思いますが、ダントーネの演奏はテンポがややゆっくりしており、スピード感や気迫にやや欠けるように思います。好みにもよると思いますが、何となく模範的な、教科書的な演奏で、個性的な演奏には感じませんでした。ただ、すっきりとした爽やかで明解な演奏です。収録曲の中では、最後の第1番の協奏曲がスピード感もあり、彫も深く、メリハリもあり、最も魅力的な演奏と思いました。
最近、少し涼しくなってきましたが、色々な法改正の対応に追われて、まだまだ年内は忙しい状況が続きそうです。
ドイツ・ハルモニア・ムンディ創立50周年記念シリーズの1つである「ゼレンカ:エレミアの哀歌(全曲)」(BMG:BVCD 38203)(ルネ・ヤーコプス指揮、バーゼル・スコラ・カントールム器楽合奏団)(録音:1982年11月22-27日、カントン・ソロトゥルン州、ゼーウェン教会、スイス)を聞いてみました。ゼレンカについては、1972年にアルヒーフで初録音した「6つのトリオ・ソナタ」(POCC-1058/9)を聞いてから、バッハに次ぐお気に入りの作曲家になっています。とは言っても、あまり国内では発売されていないので、CDはわずか3枚しか持っていません....。
この曲の詳細およびゼレンカの生涯については、解説書に磯山雅氏が解り易く書かれておりますので省略しますが、ゼレンカの晩年がバッハと同じような境遇で、生前に周囲から高い評価が得られなかったのは非常に残念です。この「悲しみの哀歌」は、厳粛で、敬虔で、心にジワッと染み入り、気持ちが落ち着きます。バッハの教会カンタータを彷彿させる所がありますが、また違った魅力があり、新鮮に感じました。磯山氏による解説には、『バロック時代におけるカトリック教会音楽の、最高の成果のひとつ』と記載されています。益々、ゼレンカの曲が聞きたくなってきました。
マレイ・ペライア(1947-)の「バッハ:パルティータ第2番/第3番/第4番」(SONY:SICC 879)(ピアノ:マレイ・ペライア)(録音:2007年6月1-7日&11月13-17日、ベルリン)を聴いてみました。彼の1998年からのバッハ・シリーズは全て聴いてきたのですが、SONYのCDの音作りが今一バッハに合わない感じがして(切れ味が良くないというか、一つ一つの音がクリアでなくぼやけた感じがします)、繰り返して聴く気にはなりませんでした(唯一、グールドの録音は別ですが....)。今回、約3年半ぶりの新譜のようですが、あまり期待せずに聴き始めました。ところが、聴き始めて思わず、“あれっ、これがペライアの演奏かなぁ”、と期待以上の演奏に思わず聞き入ってしまいました。レガートとノンレガート奏法の組み合わせ、左右の手の強弱、ペダルの使い方等、思わずヒューイットの演奏を思い出してしまいましたが、各声部が浮かび上がり、ロマンチシズム漂う、美しい音色で、新鮮で魅力的に感じました。この3年の間に、ペライアのバッハに対するアプローチに何か変化があったのでしょうか?。今後、彼のバッハの録音に期待しています。
アンネ=ゾフィー・ムターのCD、「バッハ・ミーツ・グバイドゥーリナ」」(ユニバーサル:UCCG 1404)(録音:2007年、2008年)を聞いてみました。彼女はバッハの録音を殆どしていなので、ちょっと興味がありました。収録曲は、バッハ:ヴァイオリン協奏曲第1番&第2番、グバイドゥーリナ:ヴァイオリン協奏曲《今この時の中で》の3曲です。諏訪内晶子さんの「J.S.バッハ ヴァイオリン協奏曲集」(PHILIPS:UCCP 1114)と同様に、女性らしい歌うような演奏で、かつ諏訪内さん以上の力強さも併せ持っていますが、ややシャープさに欠け、インパクトが弱いように思います。彼女は現代音楽を含め、幅広いレパートリーを持っていますが、やはりメンデルスゾーンやチャイコフスキーのバイオリン協奏曲が似合うように感じます。グバイドゥーリナの曲については現代音楽なので私にはまだ良く分かりません....。今後、彼女の演奏によるバッハの他の曲のCDが発売されるのを期待しています...。
2005年に、諏訪内晶子さんのCD、「J.S.バッハ ヴァイオリン協奏曲集」(PHILIPS:UCCP 1114)(録音:2005年8月8日-10日、ロンドン、ヘンリーウッド・ホール)が発売された時から気になっていたのですが、発売時にお店で試聴した時にあまりインパクトがなかったのでそのままになっていました。先日、たまたま久しぶりに店頭に置いてあったので買ってみました。諏訪内さんのバッハの録音は、このCD以外には「諏訪内晶子ベストCrystal」(UCCP 3041)に無伴奏パルティータ第3番:前奏曲があるだけです。解説書(諸石幸生著)によりますと、1990年にチャイコフスキー国際コンクールの優勝から15年が経過し、かつてハイフェッツが愛用していたストラディヴァリウスの銘器「ドルフィン」を日本音楽財団からの貸与という形で用い始めて5年が経過した時期での録音です。2つのヴァイオリンのための協奏曲二短調の第3楽章なかに、ウィーン生まれの名ヴァイオリン奏者ヨーゼフ・ヘルメスベルガー(1828-1893)の手によるカデンツァが挿入されており、これは結構聞き応えがあります(ちなみに、カデンツァとは、一般的に、独奏協奏曲の中で、独奏楽器がオーケストラの伴奏を伴わずに自由に即興的演奏をする部分のこと-ウィキペディアより-)。
繰り返して何回か聞いてみたのですが、諏訪内さんの特徴として、音色が非常にまろやかで、伸びやかで、オーケストラと一体化しており、あまり主張しすぎていない、突出していないことのように思います。歌うような、しなやかな、清楚な、女性らしい演奏です。バッハのヴァイオリン協奏曲では普通、独奏ヴァイオリンが主張する演奏が多いのですが、こういう和のバッハもありかなと思わせる演奏です。2つのヴァイオリンのための協奏曲二短調の第3楽章のカデンツァではさすがに技巧を感じさせます。
2台のチェンバロのための協奏曲ハ短調(BWV1060)を復元した、「ヴァイオリンとオーボエのための協奏曲」も収録されており、フランソワ・ルルーのオーボエの伸びやかな音色と彼女の伸びやかなヴァイオリンの音色の絡み合いが美しく、彼女の良さが非常によく出ている演奏と思います。このアルバムでは最も新鮮な演奏に感じました。
「バッハとクラヴィコード~J.S.バッハ&C.P.E.バッハ鍵盤作品集」(Fuga Libera:MFUG 508)(クラヴィコード:ジョッスリーヌ・キュイエ)(録音:2004年10月8日、ジェティニェ、ラ・ガレンヌ・ルモ城)が店頭にあったので買ってみました。
クラヴィコード、チェンバロなどの鍵盤楽器については、チェンバリストの渡邊順生氏のサイトに詳しく解説されていますので参照して下さい。チェンバロが弦をジャックではじいて音を出すのに対して、クラヴィコードは弦をタンジェントと呼ばれる金属片で下から突っついて発音します。チェンバロでは音の強弱や微妙なニュアンスが出ないと言う欠点があるのに対して、クラヴィコードではタッチしだいで音の微妙な強弱、ニュアンスが弾き分けられ、多彩な表現が可能なデリケートな楽器ですが、クラヴィコードでは演奏者にしか聞こえないくらい小さな音しか出ないため、演奏会や録音には不向きで、今まであまりCDも多くは発売されていないのが現状です。大バッハのみならず、大バッハの次男であるカール・フィリップ・エマニエル・バッハもこの楽器を特にお気に入りであったようです。彼の著書「正しいクラヴィーア奏法」にも“鍵盤楽器奏者の実力を推し量るには、クラヴィコードが最適な楽器である”との記載があるようです。
このCDは、クラヴィコードの魅力を最大限に引き出した録音で、解説書には録音技師のフレデリク・ブリアンのコメントも載っており、興味深いCDと思います。極めて近接したマイクロフォン・セッティングを行っているようで、確かに従来のクラヴィコードの録音に比べると遥かに味わい深いように思います。チェンバロとクラヴィコードの両方を演奏したことのある人でないとこのCDの本当の良さは分かり難いのかも知れませんが、聴いて損はないCDでしょう。
ホロヴィッツによる「ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番」(BMG:BVCC 37647)(指揮:ユージン・オーマンディ、ニューヨーク・フィルハーモニック)(録音:1978年1月8日、ニューヨーク、カーネギーホールでのライブ・レコーディング)の再版盤が発売されていました(左のCD)。この演奏には特別な思いがあります。単独のCDとしては最も多く聴いた演奏の一つです。その後、このCDが紛失してしまって、また買わないといけないと思っていた所でした。ホロヴィッツは1989年11月5日にニューヨークの自宅で亡くなったのですが、この演奏を聴いている最中に彼の死亡のニュースを聞いたのも印象に残っています。好みにもよりますが、この演奏を超えるラフマニノフの第3番はもう出ないのではないかと思います。久しぶりにこの演奏を聴いて、懐かしく感じるとともに、ホロヴィッツのような偉大なピアニストが今後また早く出てきて欲しいと思いました。
ホロヴィッツはこの演奏と同じ年の9月にも、第3番を再度演奏しており、これがDVDになっています。右のDVDで、「ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番」(ユニバーサル:UCBG 1028)(指揮:ズービン・メータ、ニューヨーク・フィルハーモニック)(録音:1978年9月24日、ニューヨーク、エイヴリーフィッシャー・ホールにおけるライブ収録)です。この演奏はCD化されていないと思います。色々な角度からの映像により、ホロヴィッツの意気込みや独特な彼の指の動き(指の腹で鍵盤を触るような)が良く分かります。ただ、カーネギーホールでの演奏より、ミスタッチが多いように思います。また、スピードが速いところや、第3楽章最後のフィナーレの所で、メータの指揮よりホロヴィッツのテンポがやや遅れるのが気になる所です。やはり年を感じさせる所があり、CD化出来なかったのではと勝手に思っています。というより、カーネギーホールの演奏があまりにも素晴らしかったと言った方がいいのかも知れません。それにしてもホロヴィッツの年齢を感じさせない気迫、集中力には圧倒され、目が釘付けになります。
この2つのCDとDVDは永遠に残る名盤といえるのではないかと思います。
GLOSSAレーベル、ゲオルク・ベーム(1661-1733)の「ベーム 鍵盤のための組曲集」(GLOSSA GCD 921801)(2CDs)(チェンバロ:ミッツィ・メイヤーソン)(録音:2003年3月、ドイツ)を聴いてみました。ウィキペディアによると、≪ゲオルク・ベームは、ドイツ・チューリンゲン地方の有名な教会オルガニストで、一時期ハンブルグに勤めていた折り、ラインケンに学んだ可能性がある。その後ハノーファー宮廷のあるリューネブルクに移り、1698年に聖ヨハネ教会のオルガニストに就任、終生その地位にあった。専ら鍵盤楽器の作曲家として名を残しており、オルガンのための前奏曲とフーガや、チェンバロためのパルティータは、バッハに影響を与えた。≫とあります。神戸阪神地域芸術文化情報にベームの記載がありました。フランスのリュート音楽の影響が見られるとの記述もありました。私にはいかにもドイツ的で、質実(剛健)な印象がしますが、確かにフランス的な優雅な面もあるようにも思います。バロック時代のドイツは音楽的には後進国であったようですが、本来、バッハが出現するまでのドイツ音楽というものがどういう風なものであったのかはまだ勉強不足で全体像が把握出来ていないのですが、少なくともベームにはイタリア音楽の影響はないように感じます。歴史的には貴重な作品のように思います。
GLOSSAレーベルから、ヴィヴァルディのCDが2つリリースされていたので聴いてみました。左のCDは、「12のトリオ・ソナタ集 Op.1」(GLOSSA GCD 921203(2CDs))(ヴァイオリン:エンリコ・ガッティ、アンサンブル・アウローラ)(録音:2006年10月)(サン・ミケーレ教会、イタリア)、右のCDは、、「ヴァイオリンと低音のための12のソナタ集 Op.2より」(GLOSSA GCD 921202)(ヴァイオリン:エンリコ・ガッティ、アンサンブル・アウローラ)(録音:2005年6月)(サン・ミケーレ教会、イタリア)、です。1993年と1998年の2度に渡って「アントニオ・ヴィヴァルディ賞」を受賞しているガッティの演奏です。
詳細は、良く分からない欧文の解説書に任せるとして、とにかく聞いてヴィヴァルディを再認識させるCDと思います。多くの方が、ヴィヴァルディ=“四季”としか認識されていないと思いますが、これは、多くの音楽学者が至る所で、《ヴィヴァルディは四季を聞けば十分》とか、《ヴィヴァルディの様式はどれも似たり寄ったりで、バッハには遠く及ばない》とか、色々悪評を流していたためのように思います(現在はどうかは分かりませんが...)。私も、昔、学生時代に、某著明なバロック学者が、良く知られた著書(まだ手元にありますが...)で同様の趣旨のことを記述をしたり、ラジオ番組で発言をしていたのを耳にしたことがあります。私も、このような内容に洗脳され、今まであまりヴィヴァルディのCDを繰り返して聞くことは少なかったのですが、特に「12のトリオ・ソナタ集 Op.1」の哀愁漂う、味わいのある響きには感動しました。思わず聞き直したくなり、繰り返して聞いてみました。膨大な彼の作品群の全てを把握するのは時間がかかるとは思いますが、この2つのCDはヴィヴァルディを再認識するきっかけとなり得るCDと思います。ヴィヴァルディについては、The Art of Bachさんの「素晴らしき古学の世界」というブログに詳しい素晴らしい記述がありますので、こちらも参照して下さい。
リチャード・ストルツマンの「ゴールドベルグ・ヴァリエーションズ~プレイズ・バッハ」(BMG:BVCC 31098)を聞いてから、前に買って棚に眠っていたゴルドベルグ変奏曲のアレンジ曲を引っ張り出してみたら、4つ出てきました。ゴールドベルグ変奏曲のアレンジ曲は山ほど出でいるので持っておられる方も多いとは思います。
左から、①「ゴルドベルグ・ヴァリエーションズ<弦楽合奏版>(シトコヴェツキー編曲)」(ニュー・ヨーロピアン・ストリングス)(コンサートマスター:ドミトリ・シトコヴェツキー)(ワーナー:WPCS 5004)(95.6.25)(録音:1993年10月、ハンブルグ、フリードリヒ・エーベルト・ホール)、②「ゴールドベルグ・ヴァリエーション(シトコヴェツキー編曲)」(シュツットガルト室内管弦楽団)(キング:KICC 341)(2001.3.21)、③「ゴールドベルグ変奏曲(シトコヴェツキー編曲)」(シュツットガルト室内管弦楽団、ピアノ:カルマン・オラー、コントラバス:ミニ・シュルツ)(GOOD INTERNATIONAL:GI 3026)(韓国のレーベル)(録音:2000年7月、リーダークランツ・ザール、シュツットガルト)、④「ジャック・ルーシェ・プレイ・バッハ/ゴルドベルグ変奏曲」(TELARC:PHCD 1593)(録音:1999年10月、パリ)、です。詳しい内容は、各解説書に書いてありますので省略しますが、シトコヴェツキー編曲版以外にも、カナダからベルナール・ラバディによる編曲版があるようです。一番左のCDがシトコヴェツキー自身が演奏、録音しているので、これが本家の演奏とは思いますが、シュツットガルト版の方が弦楽合奏で統一されており、落ち着いてしっとり感があり、個人的には好きです。この編曲は綺麗で、すっきりとした印象ですが、もう少し重厚さ、深遠さが欲しいところです(本来、重厚さを求める曲ではないとは思いますが....)。一方、ジャック・ルーシェの編曲は理屈抜きで楽しく聞けます。ジャック・ルーシェのバッハ編曲は今一好きではない所があるのですが、このゴールドベルグのジャズバージョンに関してはお気に入りの一つです。彼の編曲の中では最高の出来と思います。③のGOOD INTERNATIONALのCDは、②のシュツットガルト室内管弦楽団の録音と同じ音源を使っていると思われるのですが、カルマン・オラーによるピアノのジャズバージョンが全体で10箇所挿入されており、この編曲は新鮮に感じました。でも、この曲のアレンジは難しいなぁ~とつくづく思います。
エマーソン弦楽四重奏団の「フーガ集-平均律クラヴィーア集から-」(ユニバーサル:UCCG 1392)(08.3.19)(録音:2007年12月、ニューヨーク)(左のCD)を聴いてみました。2003年の「フーガの技法」(ユニバーサル:UCCG 1175)(録音:2003年1,2月、ニューヨーク)(右のCD)に次ぐ第二弾です。平均律もやはりフーガの技法と同様に楽器を超越していて、興味深く聞きました。フーガの技法もそうですが、鍵盤楽器で演奏するより、弦楽器で演奏する方が各声部が聴き取りやすく、曲の構成も把握しやすくなります。でも、鍵盤楽器で演奏して、複雑に絡み合って聴き取りにくなった各声部を、悩みながら紐解きつつ聞くのも、バッハを聞く楽しみの一つように思います。あまり綺麗に各パートが分離されて聞こえてしまうと、何かスッキリしすぎて落ち着かない(?)感じもします。バッハは平均律を弦楽器での演奏や編曲を意図していたとは思われないのですが(多分...)、バッハ自身が編曲したらこのようになるのかなぁ~と思いながら聞きました。ちょっとあっさり系のアレンジのように思います。
リチャード・ストルツマンの最新作、「ゴールドベルグ・ヴァリエーションズ~プレイズ・バッハ」(BMG:BVCC 31098)(クラリネット:リチャード・ストルツマン、ベース:エディ・ゴメス、ピアノ:ピーター・ジョン・ストルツマン、マリンバ:吉田ミカ、パーカッション:ビル・カーン、チェロ:フレッド・シェリー他)(録音:2007年6、9月、ニューヨーク)を聴いてみました(左のCD)。 このCDには、ゴールドベルグ変奏曲以外にも、半音階的幻想曲とフーガニ短調、パルティータ、G線上のアリアのアレンジも収録されています。どのアレンジも、ストルツマンのクラリネットのゆったりとした穏やかな音色が特徴で、曲のテンポもゆったりとして、落ち着いた雰囲気です。BGMとしてリラックスして聞くのには良いと思います。彼は、2000年のバッハ没後250年に、「ワールドビート・バッハ」(BMG:BVCF 31047)(右のCD)を発表しています。彼のアレンジは、全体的に際立った奇抜さはないものの、バッハだからといって力んでいなくて、非常に自然体で、まろやかで、柔らかい感じが特徴のように思います。写真で見ると、ストルツマン優しいそうな、人間味溢れる笑顔が印象的です。好々爺っといった感じです。彼の人間性がアレンジに現れているように思います。
GLOSSAレーベル、ジョゼッフォ・ツァルリーノ(c.1517-1590)の「ソロモンの雅歌」(GLOSSA GCD 921406)(指揮:マイケル・ヌーン、アンサンブル・プラス・ウルトラ)(録音:2005年5月、ロンドン)を聴いてみました。 ルネサンスの宗教曲は綺麗な歌声で、素敵なのですが、皆同じように聞こえてしまい、まだ勉強不足で良く分かりません。ウィキペディアでは、ジョゼッフォ・ツァルリーノは16世紀イタリアの音楽理論家・ヴェネツィア学派の作曲家で、対位法や調律法に関する理論で有名であり、理論家としての著作で注目されていたようです。1オクターブを12の音からなる音階にわけることを主張し、1558年に「和声論」、1557年に「和声論証」の著書を著し、それによって長調・短調の音階と調性に基づいた和声とメロディーのシステムに近づいていったようです。これらの彼の理論により、ツァルリーノは、その後の初期バロック音楽の作曲家にまで影響を及ぼしたようです。このCDはモテット集なのですが、彼の理論がどういう風にこれらの曲の中で特徴付けられているのかは具体的には分からないのですが、神聖な雰囲気だけは十分に伝わって聞ます。ルネサンスの宗教歌曲は、CDで聞くよりかは、自ら歌った方がよさそうな感じです。