バッハと音楽についての道草日記

~気になる音楽、ドラマ、書籍、雑誌等についての雑記帳~

エイシスとガラテア-その1-

2010-11-02 23:06:55 | ヘンデル

Scan10012 最近、ヘンデルの『エイシスとガラテア』に感動しています。「ヘンデル 牧歌劇《エイシスとガラテア》1718年キャノンズ初演版」(LINN CKD319)(2SACDs)(指揮:ジョン・バット、ダンディン・コンソート&プレーヤーズ)(録音:2008年4月29日-5月2日、Edinburgh、UK)を繰り返して聞いています。
以下、この曲の背景を、三澤寿喜著「ヘンデル」(音楽之友社、2007年)からの引用します。
 この曲はヘンデルのキャノンズ時代(1717-1718)の作品です。ヘンデルは1711年にイギリスに移住し、同年2月24日のオペラ「リナルド」の初演の成功以来、殆どロンドンでオペラ活動をしていましたが、英国王室の政情不安、経済危機により、1717年6月29日にヘイマーケット国王劇場が閉鎖したため、ヘンデルはオペラ活動を中断しています。その頃に、カーナボン伯爵であるジェイムズ・ブリッジズから保護の申し出があり、1717年夏から1718年末までの約1年半をキャノンズで過ごしています(ジェイムズ・ブリッジズは1719年にシャンドス公爵となっている)。この期間が「キャノンズ時代」と言われています。ブリッジズはロンドン近郊エッジウェアの村近くのキャノンズに私的な礼拝堂を有するキャノンズ邸を建てて、贅沢な礼拝を行っていました。ヘンデルの身分は「住み込み作曲家」で、キャノンズ滞在中はオペラから完全に離れて、私的な礼拝用や娯楽用の英語作品に専念しています。この時代に作曲された作品は、11曲の「シャンドス・アンセム」、1曲の「シャンドス・デ・デウム」、私的な娯楽用に作曲された2つのマスク、「エイシスとガラテア」、「エステル」でした。ヘンデルは、この時代に急速に英語への音楽付けに習熟したようです。その頂点となる作品が『エイシスとガラテア』です。
 キャノンズ邸にはかつてバーリントン邸で活動していた文化サークルのメンバーのほとんど(ジョン・ゲイ、ジョン・ヒューズ、アレグザンダー・ポープ、ジョン・アーバスノット、バーリントン伯爵)が集まっており、彼らはヘンデルに英語の詩への音楽付けの試みを誘っていたようです。オペラの作曲が休止中であったヘンデルは、こういう事情で自ら積極的に英語作品を試みており、「エイシスとガラテア」もこのような状況で生まれています。
 「エイシスとガラテア」の作曲、初演の詳細は不明のようですが、1718年の5月末に完成し、6月10日頃にキャノンズ邸の1室でブリッジスと彼らの友人の前で私的に上演されたものと考えられています。この作品は、レチタティーヴォ、器楽伴奏付きレチタティーヴォ、アリオーソ、ダ・カーポ・アリア、2重唱、3重唱、5重唱で構成されています。初演の際、衣装や背景幕は伴っていたが、演技は伴わなかったと思われる点や多様な様式による合唱が重要な役割を果たしている点において、のちの「世俗的オラトリオ」を予示する重要な作品とされています。
 この曲を最初に聞いた時、本当に新鮮で、ヘンデルとしては特異的な作品のように思いました。冒頭の早いテンポの躍動感のあるリズムは、草原を走る小動物や狩りの風景を思わせます。それに続く合唱も美しく、後半のエイシスが亡くなってからの数々の合唱は深遠で美しいです。バッハさえも寄せ付けない若きヘンデルの恐るべし才能を感じさせます。このCDのダンディン・コンソート&プレーヤーズの生き生きとした演奏、LINNの録音、ジャケット、いずれをとっても素晴らしいと思います。本当に満足できる感動的なCDです