モバイルアルビレックスを御覧になって皆さん御承知のように、株式会社アルビレックス新潟の広報室長の栗原康祐さんが、2017年12月31日付でその職務を離れます。
名前と顔が一致されない方は少なくないでしょうが、そんな方でも無意識のうちに栗原さんのお顔を目にしている筈なのです。
アウェイ試合が終わり、選手たちがゴール裏に挨拶に来る際、背広姿の男性が必ず付き添います。
新潟が勝利したアウェイゲーム後、フラッシュインタビューを受けた選手を伴い、ゴール裏にやって来る背広姿の男性がいます。
その人物こそ、アルビレックス新潟広報の責任者の栗原さん。
デンカビックスワンスタジアムでの主管試合でも、ゲーム終了後は勿論のこと、戦前に動いて回る栗原さんが目に飛び込んできます。
試合前の催しで、たとえばアルビレックス新潟元選手のトークショーがあれば、引率して脇で仕切っている男性が、栗原さん。
新潟聖籠スポーツセンターで、時々アルビレックス新潟ユースの試合を視察などもしています。
そして、入江前U-18監督や鳴尾現U-18監督らと談笑する姿も。
新聞社勤務から広告代理店社員となり、アルビレックス新潟の広報に招聘されて現職。
栗原さん御本人が広報ダイアリーで言及されているとおり、広報宣伝の任に実に長い間、就いていました。
新潟の広報といえば栗原さん、栗原さんといえば新潟の広報。
もはや、「栗原さん」は代名詞、記号と同じです。
更に書けば、モバイルアルビレックスに接続することは、栗原さん執筆の広報ダイアリーを読むのと同義みたいでもありました。
毎晩毎晩、栗原さんの広報ダイアリーを読まないと寝れない、という感じ。
退職された青木さん、現職の井伊さんと國井さんには申し訳ないけど、栗原さんのが一番早くアップされないかと、毎日ね。
広報ダイアリーに目を通していて辛いのは、今季昨季が顕著ですが、新潟が負けてばかりの時期の栗原さんの謝罪の言葉。
敗戦当日の夜のは痛々しくて、あんなに毎夜読むのを楽しみにしていたのに、クリックするのが億劫になったほど。
だからですね、知能の低い、或いは感情の抑制が利かないバカが、そんな栗原さん、当然國井さんと井伊さんにもですが、TwitterとFacebookに呆れる愚劣な書き込みを頻繁にしているのに接したときはね。
勝てない苛立ち、怒りを、絶対に反論できない立場の栗原さんたちにぶつける。
なんと卑劣な男、女でしょう。
目に余り、予はツイッターで詰りましたよ、そいつらを。
栗原さんが広報の最前線に立たれ出したのは、新潟の観客動員数が頂点を迎え終わってからという記憶。
無料招待券を配っていればいい、そんな殿様商売をしてて、チーム情報の広報と告知に関して余りにも不親切だった時期。
選手たちが何らかの取材を受けても、それが載る雑誌やテレビ番組の案内などせずでした。
そこから徐々に他クラブ並に告知などを拡充。
現在はそうじゃなくなりましたが、Twitterは開設から暫く栗原さんの個人資格で行っていたようなものでしたから。
そんな名物広報マンが新潟からいなくなる。
栗原さん自身は消えていなくなるわけじゃありませんが、新潟の広報の代名詞がいなくなる、寂寥。
栗原さん、長年、このお仕事お疲れ様でした。
ありがとうございました。
名前と顔が一致されない方は少なくないでしょうが、そんな方でも無意識のうちに栗原さんのお顔を目にしている筈なのです。
アウェイ試合が終わり、選手たちがゴール裏に挨拶に来る際、背広姿の男性が必ず付き添います。
新潟が勝利したアウェイゲーム後、フラッシュインタビューを受けた選手を伴い、ゴール裏にやって来る背広姿の男性がいます。
その人物こそ、アルビレックス新潟広報の責任者の栗原さん。
デンカビックスワンスタジアムでの主管試合でも、ゲーム終了後は勿論のこと、戦前に動いて回る栗原さんが目に飛び込んできます。
試合前の催しで、たとえばアルビレックス新潟元選手のトークショーがあれば、引率して脇で仕切っている男性が、栗原さん。
新潟聖籠スポーツセンターで、時々アルビレックス新潟ユースの試合を視察などもしています。
そして、入江前U-18監督や鳴尾現U-18監督らと談笑する姿も。
新聞社勤務から広告代理店社員となり、アルビレックス新潟の広報に招聘されて現職。
栗原さん御本人が広報ダイアリーで言及されているとおり、広報宣伝の任に実に長い間、就いていました。
新潟の広報といえば栗原さん、栗原さんといえば新潟の広報。
もはや、「栗原さん」は代名詞、記号と同じです。
更に書けば、モバイルアルビレックスに接続することは、栗原さん執筆の広報ダイアリーを読むのと同義みたいでもありました。
毎晩毎晩、栗原さんの広報ダイアリーを読まないと寝れない、という感じ。
退職された青木さん、現職の井伊さんと國井さんには申し訳ないけど、栗原さんのが一番早くアップされないかと、毎日ね。
広報ダイアリーに目を通していて辛いのは、今季昨季が顕著ですが、新潟が負けてばかりの時期の栗原さんの謝罪の言葉。
敗戦当日の夜のは痛々しくて、あんなに毎夜読むのを楽しみにしていたのに、クリックするのが億劫になったほど。
だからですね、知能の低い、或いは感情の抑制が利かないバカが、そんな栗原さん、当然國井さんと井伊さんにもですが、TwitterとFacebookに呆れる愚劣な書き込みを頻繁にしているのに接したときはね。
勝てない苛立ち、怒りを、絶対に反論できない立場の栗原さんたちにぶつける。
なんと卑劣な男、女でしょう。
目に余り、予はツイッターで詰りましたよ、そいつらを。
栗原さんが広報の最前線に立たれ出したのは、新潟の観客動員数が頂点を迎え終わってからという記憶。
無料招待券を配っていればいい、そんな殿様商売をしてて、チーム情報の広報と告知に関して余りにも不親切だった時期。
選手たちが何らかの取材を受けても、それが載る雑誌やテレビ番組の案内などせずでした。
そこから徐々に他クラブ並に告知などを拡充。
現在はそうじゃなくなりましたが、Twitterは開設から暫く栗原さんの個人資格で行っていたようなものでしたから。
そんな名物広報マンが新潟からいなくなる。
栗原さん自身は消えていなくなるわけじゃありませんが、新潟の広報の代名詞がいなくなる、寂寥。
栗原さん、長年、このお仕事お疲れ様でした。
ありがとうございました。